日本では民主主義が普及しているとほとんどの人が思っているであろうが、決して成熟していないとのことだ。民主主義の基本は皆で決めることであるが、それには議論が土台となる。ところが日本人は一般に議論することに慣れておらず、下手である。特に高齢者が議論を始めるとすぐに喧嘩になり、まともな議論が出来ない傾向がある。最近の若者はどうであろうか。日本では議論下手に起因する民主主義が育ちにくい要因があるのだ。
民主主義が成熟しないのは、現在の民主主義は日本国民が自ら勝ち取ったものではなく、第2次敗戦後米国から与えられたものであるとの理由付けもあるが、もともと日本人が議論が下手だからとの理由が最大の原因と思う。
日本民族は農耕民族と言われる。稲作等の農耕においては皆で協力し合って仕事をなす事が重要である。毎年同じような作業が繰り返されるため議論はさほど必要ない。それより和が必要である。聖徳太子の”和をもって尊しとなす”を始めとして、相手の気持ちを汲みとり、仲良くすることを重視する傾向は、日本の古来からの伝統である。
そこでは、忖度、斟酌、謙譲、惻隠の情、等の相手を思いやる気持ちが美徳とされる。最近話題の忖度は、国語辞典では他人の心中やその考えなどを推しはかることであり、それ自体は決して悪いことではない。
最近忖度が悪い意味で使われているが、これはこれを悪用する人がいるからだ。相手がこうすれば喜ぶだろうと、証拠書類を破棄したり、嘘をついたり、する。また、忖度される人は、忖度する人が勝手にやっていることとして、知らぬ存ぜぬと責任を一切負わないのだ。
森友学園問題では、籠池前理事長に9億円の土地が1億円で払い下げられた問題があった。財務省理財局長であった佐川宣寿氏は、大阪府豊中市の国有地が大阪市の学校法人「森友学園」に格安で売却された問題を巡り、たびたび国会で答弁に立ち、適正な価格で売却したと説明していた。しかし森友学園との売買交渉記録についても「記録が残っていない」と平然と述べた。
佐川氏は東大経済学部卒で大蔵省に入省した、記憶力抜群で ”一を聞いて十を知る” 頭の切れる優秀な官僚であろう。凡人と異なり一年ばかり前のことを忘れる筈は無いが、取引の不公平さを示すような証拠書類はすべて隠匿し、内容は記憶にないと述べた。流石に優秀な官僚である。
恐らく、上の方からの直接の支持は無かったであろうが、その意向は十分理解していたことだろう。上司の意向を上手に叶えたためであろうか、佐川氏はその後国税庁長官に昇格した。官僚は国民のために奉仕するのが義務だ。政治家は国民に選挙で選ばれた人間である為、政治家の言うことを聞くことは当然であろう。しかし、政治家の真意を理解して、それを個人の利益に結びつけるのは単なるゴマスリだ。森友学園問題は忖度の問題ではなく、ゴマスリの問題だ。
マスコミは、この事件を忖度の問題として取り上げているが、本来美徳である忖度をこのような場合に使って欲しくはないものだ。ゴマスリと言った方が適切である。
欧米では、忖度に相当する単語が無いとのことだ。上司の命令はすべて言葉で行われるとのことである。忖度は日本文化の神髄であり、残したい伝統であるが、悪用する人間が居るとなれば、民主主義の成熟のためにも悪しき伝統とすべきかも知れない。
来週、安倍首相が出席する特別予算委員会が開かれ、加計学園問題が話し合われるとのことである。ここでも忖度が焦点となる筈であるが、安倍首相はすべて私の意向を忖度した結果であると説明し、今後忖度は一切ご法度であると表明すれば、内閣支持率は一気に挽回されるかもしれない。2017.07.19(犬賀 大好-356)
民主主義が成熟しないのは、現在の民主主義は日本国民が自ら勝ち取ったものではなく、第2次敗戦後米国から与えられたものであるとの理由付けもあるが、もともと日本人が議論が下手だからとの理由が最大の原因と思う。
日本民族は農耕民族と言われる。稲作等の農耕においては皆で協力し合って仕事をなす事が重要である。毎年同じような作業が繰り返されるため議論はさほど必要ない。それより和が必要である。聖徳太子の”和をもって尊しとなす”を始めとして、相手の気持ちを汲みとり、仲良くすることを重視する傾向は、日本の古来からの伝統である。
そこでは、忖度、斟酌、謙譲、惻隠の情、等の相手を思いやる気持ちが美徳とされる。最近話題の忖度は、国語辞典では他人の心中やその考えなどを推しはかることであり、それ自体は決して悪いことではない。
最近忖度が悪い意味で使われているが、これはこれを悪用する人がいるからだ。相手がこうすれば喜ぶだろうと、証拠書類を破棄したり、嘘をついたり、する。また、忖度される人は、忖度する人が勝手にやっていることとして、知らぬ存ぜぬと責任を一切負わないのだ。
森友学園問題では、籠池前理事長に9億円の土地が1億円で払い下げられた問題があった。財務省理財局長であった佐川宣寿氏は、大阪府豊中市の国有地が大阪市の学校法人「森友学園」に格安で売却された問題を巡り、たびたび国会で答弁に立ち、適正な価格で売却したと説明していた。しかし森友学園との売買交渉記録についても「記録が残っていない」と平然と述べた。
佐川氏は東大経済学部卒で大蔵省に入省した、記憶力抜群で ”一を聞いて十を知る” 頭の切れる優秀な官僚であろう。凡人と異なり一年ばかり前のことを忘れる筈は無いが、取引の不公平さを示すような証拠書類はすべて隠匿し、内容は記憶にないと述べた。流石に優秀な官僚である。
恐らく、上の方からの直接の支持は無かったであろうが、その意向は十分理解していたことだろう。上司の意向を上手に叶えたためであろうか、佐川氏はその後国税庁長官に昇格した。官僚は国民のために奉仕するのが義務だ。政治家は国民に選挙で選ばれた人間である為、政治家の言うことを聞くことは当然であろう。しかし、政治家の真意を理解して、それを個人の利益に結びつけるのは単なるゴマスリだ。森友学園問題は忖度の問題ではなく、ゴマスリの問題だ。
マスコミは、この事件を忖度の問題として取り上げているが、本来美徳である忖度をこのような場合に使って欲しくはないものだ。ゴマスリと言った方が適切である。
欧米では、忖度に相当する単語が無いとのことだ。上司の命令はすべて言葉で行われるとのことである。忖度は日本文化の神髄であり、残したい伝統であるが、悪用する人間が居るとなれば、民主主義の成熟のためにも悪しき伝統とすべきかも知れない。
来週、安倍首相が出席する特別予算委員会が開かれ、加計学園問題が話し合われるとのことである。ここでも忖度が焦点となる筈であるが、安倍首相はすべて私の意向を忖度した結果であると説明し、今後忖度は一切ご法度であると表明すれば、内閣支持率は一気に挽回されるかもしれない。2017.07.19(犬賀 大好-356)
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