経団連の中西会長が、4月8日の記者会見で、原発の運転期間について、今の最長60年より延ばすことや停止期間を運転期間に含めないようにして事実上延ばすことを初めて求めた。
また国内電力の現状について、原子力エネルギーは遠い将来を含めて必要という議論を深めるべきだ、と主張した。原子力エネルギーに関して議論することは必要だが、将来必要になるとの前提条件を設けることは余計なことだ。
東電福島第1原発事故以降、国内では原発悪者論も根強いが、中西氏は感情的な反対をする方と議論しても意味がないと言明した。小泉純一郎元首相が顧問を務める「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」から公開討論を申し込まれていることなどを念頭に置いた発言とみられるようだが、自らも冷静な判断が必要だ。
経団連の中西会長は原子力発電事業を手掛ける最大手の日立製作所の会長でもある。日立製作所の原子力事業は、国内の原発事業が低迷する中、英国への原発輸出も頓挫し、お先真っ暗状態である。先の発言は経団連の会長と言うより日立製作所の会長としての焦りの発言であろう。
現状の日立製作所の苦境を救う手っ取り早い道は、原発の再稼働や新設、核燃料サイクルの存続、高速炉の開発計画の推進である。
原子力エネルギーの将来を議論する必要性は当然ある。原子力エネルギーは太陽光発電等の自然エネルギーと比較し、現時点では24時間一定電力を出力できることが大きな長所であるが、蓄電池の進化により未来永劫この長所を保ち続けられるか分からない。
なお、昨年作成された国のエネルギー基本計画でも、2050年という長期展望については技術革新等の可能性と不確実性、情勢変化の不透明性に伴い、蓋然性をもった予測が困難であるため、常に最新の情報に基づき重点を決めていく複線的なシナリオによるアプローチとすることが適当である、とし未来予測の難しさを示唆している。
ただ、経団連は原子力発電の将来を議論する前にこれまでの負の遺産の処理を考えてもらいたい。原発事故前には原子力の安全神話を信じ込み我が世の春を謳歌した。昔の良き時代の再来を願い、原子力エネルギーは必要という議論を深めるべきだ、と主張しているように思う。
東電福島第1原発の後始末には、当初の計画より費用が膨らみ国家予算にも匹敵する費用がかかりそうである。デブリを取り出さずにコンクリートで封じ込める、いわゆる「石棺」方式を採用した場合は減額になるとの話だが、この方式はこれまでの政府の方針と大きく異なるため、地域住民の賛同は簡単には得られないだろう。しかし、この方式もそろそろ検討しなくてはならないだろう。
通常原発の運転期間は原則40年であり、1970年代に作られた初期の原発は寿命を次々迎えるようだ。当初の寿命40年を60年以上に延ばしても、福島第1原発事故後、再稼働を申請していない原発17基の多くは古くて出力も小さいので、いずれ廃炉になる可能性が極めて高いが、トイレの無いマンション状態は続いている。
東日本大震災以前には原発は安価な電源として重宝し、廃炉に関しては単に技術的な課題として問題先送りし、能天気に胡坐をかいていたのだ。廃炉に伴い生ずる高放射能を帯びた制御棒や核容器の廃棄物に関しては最終処分地は未定のままだ。
これらの積み残し課題を解決、あるいは解決までの道筋を示した後に、原子力エネルギーの将来像を考えるべきであろう。2019.04.13(犬賀 大好-537)
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