日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

貧困ビジネスと ”集団としての協調性”

2016年09月24日 09時37分55秒 | 日々雑感
東日本大震災(2011年3月)や熊本地震(2016年4月)の災害時、よく海外の報道で、「日本人はあんなに大変な震災が起きても暴動が起きないのは不思議」とか「避難所の悪環境の中でも秩序を守って生活するのは感動的」など日本人に対する賛美がある。しかし、日本人全員が公徳心の高い人ばかりではないようだ。あのような悲惨な状況の中で火事場泥棒に走る輩は必ずいるのだ。

宮城県警察は3月30日、東日本大地震発生の11日から26日までの県内の 窃盗被害総額が、約1億円に上ったと発表した。犯人は、地元の人か、他県からの人か不明であるが、地元の人であれば誰もいない所に金目のものがあったのでちょっと失敬するとの出来心であったろう。しかし、わざわざ他県からの出張泥棒となれば、計画的であり、かなりの確信犯であろう。

現日本では、火事場泥棒が一定の割合で発生すると言ってもその率は極めて低いと思われる。すなわち日本人の誠実さは世界的には特殊で、例えばお金の遺失物の場合72%が持ち主に返されるという輝かしい実績があるそうだ。被災者の秩序正しい行動は、他国から不思議がられ、羨ましがられているのは、自慢してよいし、誇りとしてよいだろう。

このすばらしい国民性は、日本の単一民族性に大きく関わっている気がする。日本は農耕民族であり、農耕は皆の協力なくしては成り立たない。秩序を乱す行為は村八分だ。しかし、東京を始めとする大都会ではどちらかと言えば狩猟民族的な行動が得をする。ある獲物、利益を巡って互いが競争する社会である。そこでは助け合いの精神は薄く、地域のコミュニティは薄くなる。今後経済格差の拡大と共にこの傾向は高まるだろう。また文化の異なる外国籍の人も多くなっている。首都直下の大地震が発生したとき、これまで通りの秩序正しさが保たれるであろうか疑問である。

最近貧困ビジネスに関する報道がたびたび登場する。貧困ビジネスとは、社会活動家の湯浅誠氏により提唱された概念であり、経済的に困窮した社会的弱者を鴨として利益を上げる事業行為を指すとのことである。先述の他県から出張する火事場泥棒の類もこれに含まれるであろう。

貧困ビジネスに従事する者は、表向きは貧困者支援の顔を持ち、貧困者を食い物にする。例えば、ボランティアの名目で被災地に赴き泥棒する。あるいはホームレスの人々を自分たちの無料・低額宿泊施設に入るよう斡旋するが、国から支払われる生活保護費を違法に受けさせ、大部分を着服してしまう。農耕民族にはあるまじき行為である。

貧困ビジネスが流行る原因は社会関係資本の低下で説明される。社会関係資本とは単純化して表現すれば、集団としての協調性の重要性と言うことであろう。まさに農耕民族の本質だ。

日本ではお金の遺失物の場合多くが戻ってくる現実をみると、貧困ビジネスが盛んになりつつあると言え、他国に比べ社会関係資本はまだまだ残っていると理解してよいのだろう。そう考えると、他国における貧困ビジネスは、さぞかし大手を振って流行っているのであろう。アメリカの貧困ビジネスの典型は、2008年9月に破綻した投資銀行リーマンブラザースによってなされたと主張する人もいる。

この投資銀行はサブプライムローンと称する低所得者向け住宅ローンをやっていた。当時、アメリカの地価が上昇してたので、貧乏な人たちはそのローンでお金を借りて土地が高くなったら売って儲けて借金を返そうとしていた。これ煽っていたのがリーマンブラザースと言う訳だ。

この投資銀行の破たんはリーマンショックとなり、世界の経済に影響を与えたが、日本の貧困ビジネスとは規模が違う。さすが、狩猟民族の国、米国ならではとも思ってしまう。日本は、グローバル経済の中で、このような国と競争していかなければならないが、狩猟民族を真似るのではなく、今こそ社会関係資本の重要性を世界に訴えるべきだ。

2020年の東京五輪において、”おもてなし” や、 ”もったいない” をキャッチフレーズにしようとしているが、これらの行為は社会関係資本と大いに関連している。おもてなしは他人との協調であり、もったいないは物をお互いに協調して使用する精神だ。日本には、まだ根強く残ると思われる社会関係資本を有効に生かすべきである。2016.09.24(犬賀 大好-271)

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