最近、新型コロナウイルスの新規感染者の数が下がっており、25日緊急事態宣言が全国的に解除された。しかし、即従来の生活に復帰出来る訳ではなく、何らかの自粛の要請は相変わらずである。またそれに応えて多くの人々が自粛に努めているのにはすこぶる感心する。
ワクチンが出来ていない現状、自粛の全廃は間違いなく第2波の到来を招くとの識者の意見は間違いないであろう。しかし、自粛が長期化する中、感染者の数が少なくなってくると気持ちの緩みが生ずるのは誰も止められない。
一方自粛要請の行き過ぎが目に付く。例えば、地域の早朝ラジオ体操の自粛、老人を集めての健康体操の自粛など、コロナウイルスの拡散は防げるかもしれないが、高齢者の体力低下や認知症患者の増加等逆効果も出てくる。
また、若者の間で盛んなサーフィン等の自粛も叫ばれるが、サーフィン自体にはリスクは少ないがその前後における談笑や近くの商店における買い物等がリスクを高めるからであろう。そこでサーフィンを悪者にするのではなく、食料は自宅で準備し食事は各自離れて摂れ等のマナー喚起をした方が、社会全体としては役立つであろう。
更に行政の自粛要請に便乗した「自粛警察」の動きも結構あるようだ。子供連れの親子が公園で遊んでいるのを警察に通報する行為や、ツイッターなどのSNSに公園や店舗に人が集まっている写真や動画を掲載し、これを非難する投稿が相次いでいるのだ。
また、都内のライブハウスが、無観客でライブを実施しインターネットで配信したところ”自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます”という張り紙が店先に貼り付けられたケースもあったそうだ。
こうした行為は自粛要請に応じて取り締まるのは警察ばかりでなく市民の役目だとして、一種の正義感からくる行為であろうが、個人の正義が行政に裏付けされたとなると我が意を得たりと増長されるから厄介だ。
正義は人によって捉え方が様々であり、往々にして些細な正義に固執し、拡大解釈する正義があるから始末が悪い。このような一見正義面した行為は緊急事態宣言が解除されたところで、多少は収まるかも知れないが、常日頃社会のあらゆるところに見かけるストレスの捌け口だ。
例えば公園の入り口に”ボール遊びは禁止”の看板をよく目にする。この目的は危険行為の禁止であろうが、親子のボール遊びを見かけると、それが危険な行為かはさておき看板を指さし出て行けと声高に注意し、自己満足して胸を張る。
昨年台風19号が東京を襲った。ホームレスの男性が自主避難所となっていた小学校を訪れたが、区職員は収容人数が限られることから区民のための施設ですと断ったそうだ。この行為を人道上の問題として非難した人がいた。困っている人を誰でも避難所に受け入れることは人道上の問題としては正論である。このような正論は時と場所をわきまえないと迷惑以外の何物でない。
今回のコロナ騒ぎが収束する前に避難所を必要とする自然災害が起こることは十分考えられる。そこでの避難所で三蜜が要求されるとなると問題は複雑になる。区民を優先するか、弱者を優先するか、先着者を優先するか、絶対的な正解は無いだろうが、普段から考えて置くだけの価値はある。2020.05.27(犬賀 大好-603)
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