畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

2月5日(水曜日)  一月の作業

2025-02-05 15:41:00 | 暮らし
自給用畑作りのために
鶏舎の南にハウスがあった。2019年の台風で、メインのハウス共々つぶれた。ほとんどメインのハウスを使い、あまり使用はしていなかったが、作り直して、鶏舎から搬出した鶏糞の置き場所と、堆肥作りにと立て直した。しかし、一年ほど利用したが、その後また強風でつぶれてしまっていた。鶏糞置き場だからと、妻側を手抜き、アーチの間隔も少々広げたために、強度不足だった。緊急性を感じないまま、2020年の手術で体力が落ちたことも言い訳に、放置したまま、今日まで来てしまった。
農業から身を引くことにして、借りている畑を返すので、自給用プラスの野菜つくりのため、我が家の周りのちょっとした空きスペースを畑にしてゆくことにした。そんな時最初に手を付ける場所がここだ。
つぶれて折れ曲がったパイプハウスの撤去作業に取り掛かった。

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立春寒波ー2月4日(火)

2025-02-04 18:04:25 | 暮らし
やはり、暦の上では春といえ、寒い。空模様も、冷気の侵入からか落ち着かない。午前中は、🌤基調だったが、午後は、時間とともに、雪雲のような雲が覆ってくる。3時を過ぎると、薄暗くなり、パラパラしてくる。傘なしでは濡れるほどと、空を眺めると、白いものもパラパラ。霰だ。氷ではなく、真っ白い雪の塊のような霰が、地面を覆うほどではなく、ぽつぽつ白い豆が転がるように、地面に落ちてくる。
ほんの少しの短い時間だが、冬ならではのひと時だった。
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節分 2月2日(日曜日)

2025-02-04 10:11:04 | 暮らし
2月4日(火)
今年は例年とは違い、節分は二日だった。天体の周期が人の作った時刻割で割り切れない結果が、巡りまわっての結果だという。
何はともあれ、例年通り恵方巻を作ろう、ということになる。と、昨年の日誌を見ると、2月3日昼食後入院へ、の書き込み。昨年の節分の日が肺のガン切除のための入院日だった。だから、昨年は、恵方巻を作ってはいなかった。
そんな話をすると、『去年は豪華な恵方巻だった。お父さんが作ったんだっけ?❓』 と、娘。
二年ぶりに、恵方巻は作った。
そして、翌日は、立春。今年は、立春寒波の到来らしく、寒さが続き、この一週間は、今冬、一番の寒さらしい。冬ごもりが続きそうだ。

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発熱

2025-02-01 16:17:12 | 暮らし
2月1日(土)
昨日、普通に過ごした夕方、少し寒気がするなと思い、体温計を使うと、38度5分の熱。他には症状はないから、ちょっとした風邪なのだろうと、解熱剤は飲む。
夕方のゴンの散歩だけはいつも通りで、帰ってすぐに布団に入り、夕飯は連れ合いに頼む。食後は、すぐ床についてしまう。そのまま眠り、夜中に幾度かは目が覚めるが、いつもより寝坊して、5時半過ぎに目覚める。ゴンの散歩は、自分のリハビリ、ストレッチを兼ねるから、よほどのことがない限りやりたい。今朝の気分も、寝坊以外は悪くない。冷気もそれほどでないと、連れ合いと出かける。いつもより少し少ないぐらいだが、30分ほど歩く。
新聞を読み、いつも通りに、朝食。その後は、ふたたびベットに入り、昼食時以外は、時々、本を読むが、眠ったり目覚めたり。ゆっくり休んだ。
それにしても、よく眠れるものだと、感心しながら。
まあ、もう大事無いだろう。
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モリタク さん

2025-01-31 10:24:57 | 暮らし
1月31日(金)
29日。
大幅に出遅れて、一月も終わるころに、新年の決意とか、今年の予定とかを綴っておこうとブログを開いたのだが、その日のニュースに驚かされた。
森永卓郎氏がなくなったとの速報だ。何かにつけて、ラジオを聴きながらの作業が多かった。ニッポン放送のリスナー歴が長く、ここ数年は、文化放送に切り替えることも多かったので、『モリタク』の声を聴かない日の方が少ないぐらい、耳にしていた。膵がんのステージ4と診断されて、一年と少しだ。その後、原発不明癌として、免疫療法をやっていることを報告し、ラジオからは、かなり良好のように耳にしてはいた。今年になってからは、さすがに、あまり芳しくないような報告もきかれるようになってはいたが。今週に入ってからは、自宅からの電話出演だといってもいた。
かなりしんどいのだろうとは思っていたが、28日の昼過ぎに、自宅で亡くなったとの報道だった。
かなりの衝撃だ。
がん診断後の生き方は、百分の一もまねることはできないが、少なくとも、最後まで、自分と向き合う姿勢のほんのちょっとでも、真似たいものだと思う。
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新年は

2025-01-29 15:55:36 | 暮らし
2024年の年越しは、二人だった。皆は帰り、娘は、夜勤で夕方には出勤。
静かな年越しと、穏やかな新年を迎えた。
おせちを並べ、雑煮をよそり、新年を乾杯する。正月早々の駅伝をバックに、ほろ酔いになるころ、夜勤を終えて帰った娘も加わり、二度目の新年のあいさつ。
2日には、甥が家族でやってくる。大工仕事はなかなか忙しいそうで、よいことだ。二人の子供も元気で、皆で、にぎやかにお昼を食べて、夕方には早めに帰る。
箱根駅伝を見ながらの変わらない三が日は終わる。
そして、6日は、病院はじめ。整形外科は、とりあえず、今日で終わり。脊柱管狭窄症のその後は、あまり芳しくなく、ふたたび、しびれたり、痛みが時々出たりするが、だましだまし、リハビリをしながら、やってゆくしかなさそうだ。
もう、せくこともないのだからと気持ちを切り替え、できることを、できるだけやってゆこうと決めたから、悩んだり、気落ちすることもない。
こんな風に、新年の一週間は過ぎた。
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片付~整理の年に

2025-01-29 10:21:16 | 暮らし
2025年1月29日(水)
年明けから、もう、一月になる。ずっと、今年の予定を考えていたわけではない。寒さがきついとか、ちょっと動きにくいとか、何もせず、ダラーッとしていることが、一番楽だから、そうしている時間が長くなる。その結果が、もう一月も終わろうとしている、と慌てさせられる原因だ。
昨年からそうだが、体力的にかなりきつくなってきて、まとまったことがやりにくく、あるいは、やれなくなってきている。けれど、少しづつ、ゆっくりとなら大概の事はまだやれるようなので、時間をかけて、締めくくりをやっていこうと思う。そう、今までは、やれるときは、勢いに任せ、あれもこれもと、なんでもできるというように、やりまくってきたようだ。そして、締めくくることなく、次々と。
だから、やりっぱなしで、散らかし放題。事々も、気持ちの事でも。そうしたことを、締めくくり、整理、片付けていこうと、そういう2025年にしようと思う。


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2024年も終わろうとしている

2024-12-31 15:56:03 | 暮らし

12月31日  風は強い

昼前、Kさん一家、帰る。

28日 最後の出荷。賃餅や贈答分も荷造りする。私は、ほぼ一日、餅きりと包装に、室内作業。

29日 翌30日の餅つきの準備。作業場の掃除、片づけをして、一年ぶりに、臼と杵を出して洗い、水に慣らしておく。ドラム缶かまどや、大釜をセットして、蒸篭蒸しの用意。モチ米を洗い水につける。お湯を沸かす薪木を引っ張り出す。連れ合いと二人、老夫婦の一日仕事だ。これで、明日の恒例の餅つきの準備はできた。

今夜の忘年会の鍋の準備をして、皆の到着を待つ。

30日 餅つき ジュンペイの連れ合いも初めてのぺったん餅つき。Tさんや、キョウコも日帰りでやってきて、にぎやか。初めましてや、30年近くぶりの再会の懐かしさなどもあり、いや増してにぎやかになった。昼食は、いつも通り、つきたての餅で。午後からは、煮しめ、昆布巻き、黒豆、栗きんとんなど、など、お節料理作りに精を出し、ふたたびの夕食会は、手巻き寿司。今年は、ジュンペイたち二人、娘、キョウコと私たちの子供世代中心のちょっとだけ若返った暮れの風景になったようだ。

31日 朝食後、お節料理の最期をまとめ、kさん一家が帰宅。

2024年、私自身にとっても、大きな出来事となることのあった、あわただしい一年も、恒例の年の瀬風景で送ることができた。

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年の瀬

2024-12-27 15:22:56 | 暮らし

12月27日(金)  ときどき 

風もほとんどなく、穏やかな年の瀬だ。昨日、頼まれている餅と、弟、甥に送る予定の餅つきをした。餅つき機での作業なので、室内作業。洗って水につけてある米を搗いてくれるを往復するだけ。あとは電気が蒸して、搗いてくれる。出来上がりをポリシーとの上に出し、同じものをかぶせて、伸し棒で薄く伸せば出来上がり。蒸すのに時間がかかるので、一臼できるのに一時間はかかる。3kgのもち米を5臼搗く。なんだかんだで、一日仕事。残る今年は、5日となった。

そして、次の日。昨日動きすぎたのか、少々疲れ気味。やろうかなあと思っていたこともせずに、一日ゴロゴロ。貴重な一日は、過ぎるのがはやく、つるべ落としの陽はもう山の稜線近く。それでも、少しは外に出ようかと、、、、、、、。

 

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ゴンとも、一緒に

2024-12-19 12:16:15 | 暮らし

12月19日(木) 初パラつく その後は

5時に目を覚ます。スマートウォッチで眠りの状態を記録している。起床を5時としているので、静かな音楽が流れてくるので、布団から出る。朝小便から戻り、腹式呼吸もスマートウォッチの指示に合わせる。入院時に続けていたリハビリ用のストレッチを20分弱。脊柱管狭窄症改善ストレッチも約20分。居間に出てゆくと、ストーブのぬくもりがほどほどになっている。血圧の測定。このところ、150-90台という高血圧傾向が続くが、寝起きすぐと、寒さのせいだと思うので、気にはならない。低血圧で貧血気味の自分には、ちょうどよい傾向かと思うが、少々高すぎるのかな。

腰ベルトを締め、防寒をして、酸素濃縮器を背負い、ゴンの散歩と歩行リハビリの準備をして、外に出る。年明け一週間くらいまでが、最も日の出が遅くなるころで、6時でも、まだ真っ暗で、東の空も赤みも射していない。空気も冷たく、手袋をしていても、すぐに指先が痛くなる。そのうえ、今朝は、パラパラと、霙とも霰ともつかないような水粒が体をたたく。濡れるほどの量ではないが、初雪だろう。しばらく後の7時頃には、一時的に地面がうっすらと白くなった。西風も強めに吹くので、少し端折って、30分近くの散歩を、20分位で帰ってくる。

退院後は、ゴンの糞の事もあり、朝晩の散歩は、二人で歩くようになっている。時にすれ違う知人に冷やかされ、『はい、この先どれくらい、こうして歩けるかわからないもので!』 と答えながら。

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