12月31日 風は強い
昼前、Kさん一家、帰る。
28日 最後の出荷。賃餅や贈答分も荷造りする。私は、ほぼ一日、餅きりと包装に、室内作業。
29日 翌30日の餅つきの準備。作業場の掃除、片づけをして、一年ぶりに、臼と杵を出して洗い、水に慣らしておく。ドラム缶かまどや、大釜をセットして、蒸篭蒸しの用意。モチ米を洗い水につける。お湯を沸かす薪木を引っ張り出す。連れ合いと二人、老夫婦の一日仕事だ。これで、明日の恒例の餅つきの準備はできた。
今夜の忘年会の鍋の準備をして、皆の到着を待つ。
30日 餅つき ジュンペイの連れ合いも初めてのぺったん餅つき。Tさんや、キョウコも日帰りでやってきて、にぎやか。初めましてや、30年近くぶりの再会の懐かしさなどもあり、いや増してにぎやかになった。昼食は、いつも通り、つきたての餅で。午後からは、煮しめ、昆布巻き、黒豆、栗きんとんなど、など、お節料理作りに精を出し、ふたたびの夕食会は、手巻き寿司。今年は、ジュンペイたち二人、娘、キョウコと私たちの子供世代中心のちょっとだけ若返った暮れの風景になったようだ。
31日 朝食後、お節料理の最期をまとめ、kさん一家が帰宅。
2024年、私自身にとっても、大きな出来事となることのあった、あわただしい一年も、恒例の年の瀬風景で送ることができた。
12月27日(金) ときどき
風もほとんどなく、穏やかな年の瀬だ。昨日、頼まれている餅と、弟、甥に送る予定の餅つきをした。餅つき機での作業なので、室内作業。洗って水につけてある米を搗いてくれるを往復するだけ。あとは電気が蒸して、搗いてくれる。出来上がりをポリシーとの上に出し、同じものをかぶせて、伸し棒で薄く伸せば出来上がり。蒸すのに時間がかかるので、一臼できるのに一時間はかかる。3kgのもち米を5臼搗く。なんだかんだで、一日仕事。残る今年は、5日となった。
そして、次の日。昨日動きすぎたのか、少々疲れ気味。やろうかなあと思っていたこともせずに、一日ゴロゴロ。貴重な一日は、過ぎるのがはやく、つるべ落としの陽はもう山の稜線近く。それでも、少しは外に出ようかと、、、、、、、。
12月19日(木) 初パラつく その後は
5時に目を覚ます。スマートウォッチで眠りの状態を記録している。起床を5時としているので、静かな音楽が流れてくるので、布団から出る。朝小便から戻り、腹式呼吸もスマートウォッチの指示に合わせる。入院時に続けていたリハビリ用のストレッチを20分弱。脊柱管狭窄症改善ストレッチも約20分。居間に出てゆくと、ストーブのぬくもりがほどほどになっている。血圧の測定。このところ、150-90台という高血圧傾向が続くが、寝起きすぐと、寒さのせいだと思うので、気にはならない。低血圧で貧血気味の自分には、ちょうどよい傾向かと思うが、少々高すぎるのかな。
腰ベルトを締め、防寒をして、酸素濃縮器を背負い、ゴンの散歩と歩行リハビリの準備をして、外に出る。年明け一週間くらいまでが、最も日の出が遅くなるころで、6時でも、まだ真っ暗で、東の空も赤みも射していない。空気も冷たく、手袋をしていても、すぐに指先が痛くなる。そのうえ、今朝は、パラパラと、霙とも霰ともつかないような水粒が体をたたく。濡れるほどの量ではないが、初雪だろう。しばらく後の7時頃には、一時的に地面がうっすらと白くなった。西風も強めに吹くので、少し端折って、30分近くの散歩を、20分位で帰ってくる。
退院後は、ゴンの糞の事もあり、朝晩の散歩は、二人で歩くようになっている。時にすれ違う知人に冷やかされ、『はい、この先どれくらい、こうして歩けるかわからないもので!』 と答えながら。