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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

飢餓陣営セレクション4 「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか 言視社

2016-10-23 23:53:04 | エッセイ オープンダイアローグ

 飢餓陣営というのは、1953年秋田県生まれのフリージャーナリストでフリーの編集者である佐藤幹夫の編集工房ということのようだ。

 精神医学とか、障害者関係、また、吉本隆明関係とかの本を編集出版しているようだ。

 冒頭「オープンダイアローグ」についての問題提起ということで、編集人の佐藤幹夫が概略を紹介している。

 

 「斎藤環さんが解説と、原著者の翻訳論文を掲載した「オープンダイアローグとは何か」が本日のテキストです。」(6ページ)

 

 「斎藤さんも、最初は半信半疑。代替療法やマガイモノではないかと疑ってかかりながらも、あっという間にこの“本物性”に惹かれていく様子が、解説を通してよく伝わってきます。」(6ページ)

 

 代替療法というのは、ネットで見てみると、科学的に実証された現代医学以外の、あらゆる医療、療法の総称、ということのようである。漢方からカイロプラクティックやらあやしげなシャーマン的治療とか何でもかんでも含むらしいが、使う人によって、その内包(意味する範囲)が違ったり、プラスの意味からマイナスの意味まで幅広い含意で使われるようだ。

この言葉に深入りするとまあ、ずいぶんとメンドくさいことになりそうなので、ここでは、読み飛ばしておくことにする。

要は、オープンダイアローグは、まがいものではない、本物であると、精神科医・筑波大学教授の齊藤環氏は思った、ということがポイント。

実は、私も、齊藤氏のこの本を読んで、一読、おお、これだ!とひざを打った人間なのだが、佐藤幹夫氏も同様であったものと思う。

そこで、さっそく、関係や関心の在りそうなひとびとを集めて、原稿依頼したり、座談会を開催して、1冊とした、ということのようである。精神科医である小林隆児、同じく熊木徹夫ら、また臨床心理士、障害者施設職員らの論考や、対話の記録。

まったく百パーセント、納得して、ということでもないようで、いろいろ疑問点も提示している。精神科医は、自らの実践と比較して、それに引き付けて評価していたりする。

これは、世のなかの精神科医が、日々、それまで身につけた手法でもって治療行為を行っているわけで、オープンダイアローグという新しい方法を、まっさらなところから受容するというわけではない、その受容の際の、当然ありうべき摩擦というか、すり合わせというか、そういうものなのだろうと思う。

私としては、オープンダイアローグは実際によく効くことに間違いないだろうと思うし、自分で、鷲田清一氏の臨床哲学にならって哲学カフェなど見よう見まねで始めた手ごたえとも、距離感はあっても何か同調しているようなところもあり、今後、日本の社会に定着していくことを願っているところで、こういう書物が引き続き書かれ、編まれることは期待したいところである。

問題は、健康保険の対象となる医療として定着するかどうか、精神科医が、取り組めるような診療報酬が得られる制度となるかどうか、というところに絞られてくるわけだが、言ってみれば、巨大なパラダイムの転換ということなのかもしれず、相当に困難なことなのかもしれない、と思う一方で、案外、簡単に定着してしまう可能性もあるのかもしれないと思ったりもする。

こういう局面に、なんらかの寄与ができるようでもありたいと願うところだが、そう簡単なことではない。医師でも、臨床心理士でもないかぎりは。

 

しかし、こういうふうにオープンダイアローグに関する本を読み、こうしてネット上に紹介するという行為はできるわけで、そのためには、関係する書籍が刊行される必要があるわけだ。



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