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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

藻谷浩介氏講演会を聴いた

2019-01-23 23:09:26 | エッセイ

藻谷浩介氏講演会を聴いた

 

 1月22日、気仙沼市健康管理センター“すこやか”において開催された、藻谷浩介氏講演会、「地域を元気にする観光、元気にしない観光、その決定的な違いとは?」を聴講した。主催は、気仙沼観光推進機構である。

 気仙沼観光推進機構とは,観光で稼げる地域経営と地域経済の循環拡大をめざし、気仙沼市、気仙沼商工会議所、気仙沼観光コンベンション協会など地域の行政と経済団体を糾合して設立された組織である。

 実は、こういう、地域活性化とか観光振興を目指した行政と民間が共同した組織というのは、気仙沼においてこの30年の間に繰り返し設立されてきた。そのどれもが、傍目にはそれほど目立った成果を上げることなく自然消滅してきた、という歴史の繰り返しである。

 というのも、私自身、その初期のころの当事者であったから言えることではある。観光課の職員として、たとえば、気仙沼コンベンションビューロー協議会の創立に担当として関わり、5年ほどで、気仙沼湾観光協会と統合、気仙沼観光コンベンション協会の発足まで、観光課長補佐、協議会の企画課長という立場で関わった。

 この協議会の成果は確かにあった、と自負するところはある。しかし、統合という名の消滅の当事者であったというのも確かなことだ。

 このあたりのいきさつは、また、別に書くこともあるだろう。世の人気経済小説のネタになりそうな、ということも言える。

 藻谷氏のおっしゃることは、そのころから繰り返し繰り返し語られ続けていることではある。だから、今回の講演も役に立たない、無駄に終わるということが言いたいわけではない。

 むしろ、藻谷氏のような語り方でこの事態を表現されたということは、素晴らしいことである、と私は考える。繰り返し繰り返し語り続けられるべきことなのだ。

 いま、ようやく、ここに来て、社会に受け入れられる素地が整ったとも言えるし、藻谷氏が、受け入れられやすい語り方をしてくれているのだとも言える。

 これまでの日本社会の在り方、世界の在り方に根本的な変革が迫られる時期となったとも言えるのだ。ただ、それは全く新しい世界に転換するということではない。むしろ、昔ながらの人間らしい普通の生活を取り戻すということに他ならない。表面では見えにくくなくなってしまった普通の生活を前景に掘り起こして、置きなおしていくというか。

 これは、だから、そうそう分かりやすいことではない。正義の味方がさっそうと現れて、事件を解決に結びつけるというような爽快感はない。なあんだ、こんなことか、とか、えー、昔に戻れという話か、とがっかりした感じが伴うことですらあるかもしれない。

 しかし、藻谷氏の語り方は、分かりやすく、新しく有効な展開が生じうると思わされるかもしれない。何よりも、自分たちでもできそうだと思わされる。今の世の中で、そういうふうにすれば十分に実現可能だと思わせられる。

 さて、藻谷浩介氏は、(株)日本総合研究所調査部主席研究員、日本政策投資銀行地域企画部特別顧問(非常勤)。2013年7月に発売された『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』(角川新書)を著し、話題となった。NHK広島取材班との共著ということになるようである。

 まことに元気な方であった。

 パワーポイントで、統計表を映し出し、数字を示す。全国の商業小売りの売上額は、平成初年に比べて現在2倍以上になっていること。この20年は、ほとんど成長はしていないが、世界の中で相当に高い水準を保っていること、輸出も増加していること。

 日本は、決して衰退しているわけではないとおっしゃる。

 地域の活性化とは、人口が減らないことともおっしゃる。

 北海道の小樽や函館を取り上げ、観光客は多いのに地域活性化に結び付いていない事例として紹介される。多大な観光客の消費が、地域経済に貢献していないのだと。いわく、経営者が、東京だったり、札幌だったりであること、従業員も、札幌から通っている、商品の素材がすべて市外から移入されたものであること。お金はほとんど地域の外に流れ去ってしまう。

 四国の葉っぱビジネスで有名な徳島県上勝町では、高齢者の収入に結びついている点で、小樽等よりも優れているが、自分で山で拾ってきて、他地域に販売する、その売り上げが地域に循環しないのだと。町内から何かを仕入れるわけでもなく、収入で町内で消費するわけでもない。すべて、高齢者の預金となり、そのまま、相続され、その多くは市外に転出した息子たちに渡る。地域内で貨幣が有効活用されず、退蔵されるのみであると。

 それに対して、成功例は、北海道ニセコ町であり、福島県の会津の一番奥の桧枝岐村であるという。ここでは、宿泊施設等で地域内の産品を提供する形ができている。

 それを、震災後ここ5年間の人口の推移、特に15歳から65歳の生産人口年齢、0~4歳の乳幼児年齢の推移の表を示し、説得的にお話しされる。

 ちなみに、気仙沼は減少していることに間違いはないが、小樽、函館等よりはましだというお話しであった。

 私は、このあたり、氏のおっしゃることに間違いはないと思う。全くその通りだと考える。

 ところで、一般的に経済学において、景気の動向はトータルな金額そのもので見るということではないはずである。問題は、成長率である。数学の微分積分の微分的な見方をするものである。円とかドル換算にしても固定的な額面で比べるものではない。問題は以前との比較、成長率である。パーセンテージである。固定的な生の数字の推移ではなく、変化の割合である。

 イザナギ景気とか、なんとか景気というのは、成長が持続した期間のことを言うのである。最近のアベノミクス云々の評価はさておいて、長い期間にわたって景気が低迷していたというのは紛れもない事実であるはずである。経済学の一般的な常識ではそういうことになるだろう。

 これは、経済学的な常識であるのみでなく、現代社会の常識であると言っていいはずだが、今回の講演のなかで、藻谷氏は、成長率についてはひとこともふれることはなかった。

 一般的にはいぶかしいことである。

 私は、これは、藻谷氏の、実に戦略的な振る舞いであると考える。

 経済学の常識といま言ったが、実は、現在の主流派経済学の枠内のものの観方においては常識であろう、と限定すべきかもしれない。

 人間社会の経済にとって、成長率が大切であるというのは実は神話に過ぎないのかもしれない。「成長神話」である。

 経済という言葉の語源は、経世済民である。エコノミーも、古代ギリシャ語のオイコスとは家のことであり、家政を切り盛りすることが語源だという。生活に必要な物資が、きちんと供給されることこそが経済であり、その仕組みを探求することこそが経済学である。利潤のみを追求したり、貨幣の増殖を求めたりすることが経済なのではない。

 そこをはき違えているのが、現在の社会の窮状の根源である。

 この点は、現在の識者の間で共通理解となっていると言って間違いでないはずである。

 藻谷氏の著書のタイトルに「マネー資本主義」という言葉があり、「里山資本主義」という言葉がある。

 実は、私は、まだ氏の著作を読んだことがないのだが、「マネー資本主義」の社会から脱却して「里山資本主義」といえるような社会を目指すべきであると主張されているということは間違いがないはずである。

 著作を読んでいないというのは、これまで学んだ地方自治論とか、経済、思想関係の本から、当然に導き出せる内容というふうにも思えたからではある。

 今回、気仙沼という小さな地域に暮らす庶民たちの前で、このことは、声を大にして明言されてもよかったはずであるが、小なりといえども経営者、現在の社会・経済・政治状況の中で、日々奮闘されている経済人を前にして、そのあたりのことはぼやかして、耳障りのよい言葉を選ばれたのだ、というのが、私の見立てである。

 「地産地消」ではなく「地消地産」を目指せ、と氏は語った。主に宿泊観光客を念頭において、地域で消費されるものは、できるだけ地域の産物を提供せよ、と。旅館の食事であり、土産物であり、その他の人的サービスである。

 100%とは言わず、1%でいいから地域のものを消費拡大することを目指せ、地域内で経済循環せよ。

 消費の大半を中央の資本に吸い上げられること、また、個人でため込み、消費されないまま蓄蔵、退蔵されること、それらは地域のためにならない。

 1%でもいいから、というのは、地域の人々にとって、ハードルを下げる効果をもつ。そのくらいなら、なんとかできそう、と思わされる。地域内の経済循環を増やせ、ということも当然のことであり、だれも異議を唱えるはずのない主張である。

 私は、藻谷氏を非難しているわけではない。主張を曲げたとは言っていない。まさしくおっしゃる通りであると同意しているものである。主張を隠したとも言っていない。

 ただ、その場の聴衆に通りよくするため、あまりあからさまには明言されなかった部分があると言っているのみである。

 氏は、「マネー資本主義」の成長神話を脱却して、「里山資本主義」と呼ばれるような成長なき定常社会で人類が生き延びていく道を探ろうと主張されているはずである。

 気仙沼市は、チッタ・スローである。日本で初めてスローフード都市宣言を行ったスローシティ。(講演冒頭の挨拶を行った菅原昭彦気仙沼商工会議所会頭は、スローフード気仙沼の理事長であるということは言わずもがな。)

 畠山重篤氏の「森は海の恋人」の運動の現場である。また、糸井重里氏がバックアップする気仙沼ニッティング株式会社が設立されている。気仙沼ニッティングの手編みのセーターは、原材料こそ、移入されたものだが、その付加価値の大部分を占めるのは、地域のひとびとの手編み作業の手間である。大きな雇用の場として継続していこうとしている。(付加価値といえば、糸井重里氏らのブランド力ということももちろんのことではある。)

 畠山重篤氏、御手洗瑞子氏のことは、気仙沼の2015年の赤本、青本と並び称して、このブログで紹介している。畠山氏の「牡蠣とトランク」、御手洗氏の「気仙沼ニッティング物語」である。

 また、このブログでは、これまで、「地方小都市で暮らすということ」、「気仙沼の観光について」そのほかのエッセイを書いてきた。

 市内唐桑半島には、首都圏等から、Iターンしたいわゆる「ペンターン女子」など、若い定住者も見られるようになった。

 藻谷浩介氏のお話は、いまの社会状況に対する大きな提言であると同時に、まさしくこの気仙沼において実現されるべきことであると思う。

 最後に、挙手して質問した。

 「里山」と、今回の講演会のテーマ「地域の活性化、地域を元気にする観光」との関わりを、ひとこと語って欲しいと。相応の回答はいただいた。

 しかし、大切なポイントは明言されなかったと思う。そこには藻谷氏の戦略があったことは確かである。


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