千葉雅也氏は、1978年生まれ、東京大学教養学部から大学院で、哲学、表彰文化論を学んだという。現在立命館大学準教授。
今年4月10日に第1刷発行後、5月10日で第4刷となっているが、まだ売れ続けているようだ。
著書は、『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥ―ルーズと生成変化の哲学』、『別の仕方で―ツイッター哲学』。これは、どちらも読ませてもらった。(紹介というか、感想は、ブログに載せている。)
「はじめに」から読んでみる。
「本書は、勉強しなきゃだめだ」、「勉強ができる=エラい」とか、「グローバル時代には英語を勉強しなきゃ生き残れないぞ」とか、そういう脅しの本ではありません。
むしろ、真に勉強を深めるために、変な言い方ですが、勉強のマイナス面を説明することになるでしょう。勉強を「深めて」いくと、ロクなことにならない面がある。そういうリスクもあるし、いまの生き方で十分楽しくやれているなら、それ以上「深くは勉強しない」のは、それでいいと思うのです。
生きていて楽しいのが一番だからです。
…(中略)…
人は「深くは」勉強しなくても生きていけます。」(11ページはじめに)
千葉氏は哲学者だし、ドゥ―ルーズだとかなんとか、小難しいことばが並んでいそうだと思うところだが、そうではないのだという。楽しくやれればいいのだと。
確かに読みづらい本ではない。すいすいと読める。
しかし、言っていることが簡単だ、ということにはならないようだ。
分かりやすいようだが、実は、そんなに分かりやすいばかりでもない、みたいな。
「勉強を深めることで、これまでのノリでできた「バカなこと」が、いったんできなくなります。「昔はバカやったよな!」というふうに、昔のノリが失われる。全体的に、人生の勢いがしぼんでしまう時期に入るかもしれません。しかし、その先には「来たるべきバカ」に変身する可能性が開けているのです。この本は、そこへの道のりをガイドするものです。」(13ページ)
バカになるために勉強する。そのためのガイドブックであると。
東大出の大学の先生が、バカになるために勉強するのだという。
「言語を周りのノリから引き離し、それ自体として、玩具的に使うことで、自由に可能性を操作する。そのテクニックをこれから説明します。
それは大きく二つあります。みなさんおなじみの、お笑いにおける「ツッコミとボケ」です。このペアの機能を、本書では、「アイロニーとユーモア」と呼び直して説明したい。
ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアが、環境から自由になり、外部へと向かうための本質的な思考スキルである。」(63ページ)
ツッコミ、ボケ、それから、もう少し先にはナンセンス、という言葉も登場する。
学問をお笑いに例えるという実験をした哲学書、ということにもなるのだろう。
「本書は、ドゥールーズ&ガタリの哲学とラカン派の精神分析額を背景として、僕自身の勉強・教育経験を反省し、ドゥールーズ&ガタリ的「生成変化」に当たるような、または、精神分析過程に類似するような勉強のプロセスを、構造的に描き出したものです。」(222ページ 補論)
ドゥールーズ&ガタリであり、ラカンである。
読みやすい入門書でありながら、同時にそれ自体エンタティメントとしてお笑いを演じつつ、良くわからない深いところにも繋がっていく、という素晴らしいパフォーマンスの本である。大学に入って、これから学問を究めようとする人、あるいは、学問にも少々触れてみようくらいのレベルで関心を持つ人にお勧めの入門書と言える。
きょうびのイケてる女子大学生は、千葉雅也を小脇にはさんでキャンパスを歩く、というのがデフォルト、みたいなことになっているのかもしれない。
もちろん、吉本隆明を持って歩く、というひとがいてもいいわけであるが。
いずれにしろ、何であれ本を小脇にはさんで、という大学生が、いま、どの程度存在しているものか、私には詳しい情報はない、のであるが。
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