ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

5月7日(月)のつぶやき

2012-05-08 01:22:40 | 嫌いだ嫌いだ
14:30 RT from web  [ 5 RT ]
オリビエのオセロが死にゆく時、傍のデズデモーナの死顔を見乍ら、幼児のように透明な表情をする。切なく愛おしい。人間の纏った社会性や自意識の衣の向こうに透けて見える「子供の顔」は確かに『何か』ではある。但し、「ボクは大人になんかならないゾ」式のピーターパン芝居とは違う。念のため。
壤 晴彦さんのツイート

14:30 RT from web  [ 35 RT ]
金太郎飴役者は本当に多い。どんな芝居のどんな役をやっても同じ表情の同じ演技…ちょっと自分に自信を持っていると危険。かつて成功したり褒められたりした演技は忘れよう。前とは作品も役も違うのよ。設問は違うのに、解答がいつも同じっていうのはあり得ないでしょ?それ凄くカッコ悪いよ。
壤 晴彦さんのツイート

14:31 RT from web  [ 9 RT ]
全国の朗読サークル又は個人で朗読をなさっている皆さんに向けて、「お友達になって、ご一緒にわが国の朗読シーンについて考えましょう」という提案を行いました。演劇倶楽部『座』のブログの「座長の独り言」をご覧下さい。
壤 晴彦さんのツイート

14:31 RT from web  [ 37 RT ]
ただ台本の文字を声にするな。それじゃ活字も声も「記号」だよ。役の「そいつ」には歴史があって記憶があってトラウマもあって、現在の環境と情緒に包(くる)まれ乍ら、意志を持ち目的を持ち、思わずか意図的にか行動する。台詞も行動なんだよ。これ全部捕まえて初めて役が生きる…有機化出来るのよ。
壤 晴彦さんのツイート

23:18 RT from web  [ 24 RT ]
オランドが勝ったね。オランドがどのような政治的手腕を発揮できるのか不明だが、サルコジ的フランス(対米追従、緊縮財政、反知性主義)が終わることは確かだろう。ゆっくりと、確実にいかがわしいグローバリズム的世界観が終焉を迎えるのだと思う。日本は最後尾なのが残念だけど。
平川克美さんのツイート

by motochida on Twitter

最新の画像もっと見る

コメントを投稿