昨晩、熊谷育美クリスマスライブ「X’mas Time 」を気仙沼市南町海岸のレストランnineoneナインワンにて聴いた。見事な歌唱力で、大人がくつろいで楽しめる時間になっていた。私と山本重也さんに『絵本 湾』を紹介する時間もいただきたいへん感謝している。その報告も書くべきだが、アンコール前の本編最後の曲が「僕らの声」だった。
その場でも語らせていただいたが、震災後に、被災地に住む私たちを勇気づけてくれた力のある楽曲である。涙なしには聴けない。
その曲を聴きながら、もう一曲、「旅路」という歌について以前書いたことを思いだしていた。堤幸彦監督の映画「悼む人」の主題歌である。
2015年にこのブログに掲載した「堤幸彦監督 「悼む人」 そして主題歌「旅路」のこと」と題したエッセイから抜粋する。
「この映画「悼む人」は、堤監督が、ようやく撮った本音の映画、なのではないか、と思った。テーマは、人間の死、それと生き残ったものの生、である。
重い、まじめな映画。そうだな、笑うシーンはひとつもない。
世のなかに、死も生もありふれている。
震災でたくさんのひとが死んだが、震災がなくても、毎日多くのひとが死んでいる。テロでも、戦争でも、交通事故でも、病気でも、ひとは死んでいく。
そして、毎日多くの子どもが生まれる。
死ぬことも生きることも、ありふれた日常茶飯事である。
…
この映画、ひとは死ぬし、暴力もある。しかし、観つづけることがひとつも苦痛でなかった。なにか大きな赦しのようなものがある。癒しのようなものがある。被災地の人間は、妻を失い、子を失ったものがたくさんいる、実際今日も、そういう方が何人もいらっしゃった。そして、上映の後、思いを語られた。重い事実を語られた。しかし、そこに、ひとつの浄化のようなものがあった、とは語っていいと思う。
ラストに、熊谷育美の主題歌「旅路」が流れる。この映画のテーマが、そのまま歌になり、情感を大きく加増(クレッシェンド)しながら大団円に向う。
育美ちゃんは、原作を読み、脚本を読み、撮影も見学しながら、曲を作り詞を書いたという。映画の世界を最後に締めくくる構えの大きな世界を、歌で表現しえたものと思う。天童氏の小説、堤監督の映画の世界を、彼女はきちんと読みとりえた。彼女は、ここで見事に成長した。」
続けて、私は、熊谷育美自身が書いた「旅路」の歌詞の一節を取り上げた。
「私の祈りが水平線に重なるまで」
そして、こう続けた。
「このことばは、いまの気仙沼にとって、津波のあとの気仙沼にとって、確かな未来を指し示すことばだと思う。とても重要なことば、大切なことばとなるだろう。この一行を書きえた熊谷育美を私は誇りに思う。」
このブログと同時期に、熊谷育美の気仙沼市民会館大ホールでのコンサート「PROCEED」が行われたが、その直前に地元の三陸新報に、「見果てぬ夢、のような」と題して寄せた一文のなかでは、次のようなことまで書いていた。
「映画「悼む人」のラストに流れる育美さんの「旅路」は、まるでこの映画はこの曲を聴かせるためにこそ創られた長大なプロローグであったか、と錯覚させるような圧倒的な楽曲であり、歌唱である。」
気仙沼市上田中のバプテスト気仙沼教会で行われた「悼む人」の試写会には原作者の天童荒太氏、堤幸彦監督もおいでだったが、そのラストで、私は「旅路」の歌に圧倒されていた。
映画本体は、最後の主題歌「旅路」に到達するまでの長大なプロローグであった。
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