國分功一郎 @lethal_notion 「暇と退屈の倫理学」朝日出版社。こういう本を書きたかった、という類の本。冒頭と最後は小説みたいだし。
國分功一郎、ウィリアム・モリスを引いて「革命が到来すれば、私たちは自由と暇を得る。そのときに大切なのは、その生活をどうやって飾るかだ、と」(暇と退屈の倫理学25ページ)
國分功一郎「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。」(同27ページ)
使命をもって、戦って生きること、は生きがいのある生き方ではあろう。しかし、使命が良く果たされて得られるより良き生活において、ぼくらは自由で暇な時を過ごすことになる。そこでは、すでに使命を持ちようがないことになる。果たすべき役割のないということになる。さて、そのときどう生きるのか?
言ってみれば、革命の後の満たされた生活とはどんな生活なのかみたいなね。そういうこと、考えてみたかったし、本に書いてみたかった。やられたなあ、というところだな。
國分功一郎、暇と退屈の倫理学からもう一か所「人の生活がバラで飾られるようになれば、人間関係も産業構造もすこしづつ変化していくだろう。非正規雇用を構造的に要請するポスト・フォーディズム的生産過程も見直しを余儀なくされるだろう。それは大きな社会変革につながる。」
昔はなんと言っても東北弁が馬鹿にされていたけど、だんだん、近場の関東圏の中で差異が見出されてきたのだな。東北弁、関西弁などは、別の圏域の別のジャンルのことばとなっているのだろう。@p0ire_ 甲州弁がすごいdisられてるけど多摩弁も負けてないと思うの・・・
確かに、良きことへの報酬でなくて、悪しきことが起きた時の罰ゲームにしかなっていない。@noieu ダメだこりゃ。“@G_D_Greenberg: この、程度の低い広告に関する費用はどこから捻出されているのだろう?→「私、森永卓郎は東京招致できたら、メイド服のコスプレをして応援しま
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