内田樹氏の語ることは信頼に足ると考える人々が、現在の日本に相応に存在する。私も、そのひとりである。数えてみると、本棚の氏の著書は、30冊を超えている。もっとも最近は、そのすべてを追っかけて買うということにもならず、ときおり、より興味深いテーマのものを選んで買い求めるという具合になっている。この前は、安田登氏との対談『変調「日本の古典」講義』以来ということになるのかな。
今回は、どこかの書評に載っていて、あ、これは、と思ったのだったかもしれない。
まえがきに「日本辺境論以来の久しぶりの大風呂敷」とある。これはやはりチェックしておくべき本だった、ということで間違いはないと言える。
さて、「習合」というのは、まずは神仏習合のことである。神仏混淆ともいう。しかし、この書物では、それにとどまらず、さまざまな切り口で、日本文化の「習合性」とでもいうべき様態を解き明かすものとなっている。
帯を見ると「共同体、民主主義、農業、宗教、働き方…その問題点と可能性を「習合」的に看破した傑作書き下ろし」ということになるようである。これが傑作だというのは、内田氏自身の自己評価ではなく、発行者で編集者であるミシマ社社長の評価であると思うが、私も、その評価には深く同意するものである。
「『日本辺境論』にも書いたことですけれど、日本はユーラシア大陸の東の端です。…だから、大陸・半島・南方から到来してきた制度文物はここに貯蔵される。…すると、いつの間にか「ハイブリッド」ができる。コーヒーと牛乳でコーヒー牛乳ができて、カレーと蕎麦でカレー蕎麦ができるように、先にあったものを排除しないで、その上に乗っかっているうちに、接合面が癒着して、混ざり合ったものができてしまう。」(まえがき 2ページ)
「ハイブリッド」こそ「習合」であるということだろうが、松岡正剛氏であれば「たらこスパゲティ」と語るところであろう。
「昔、中沢新一さんと『日本の文脈』という対談本を出したことがありますが、そのときに「在原業平というのは個人の名ではなく、辺境における習合戦略のことではないか」という話になって大いに盛り上がったことがありました。在原業平は都会的洗練の極致のような人ですけれど、なぜか東に下る。そして、辺境の人々と交流して、そこの女性と親しい関係になる……。『伊勢物語』が…種族的に採用された異文化との和解スキームを物語っているからではないのか……と思ったのです。」(3ページ)
「養老孟司先生によると、日本列島には三次にわたって別の土地からの集団移住があったそうですが、この三つの集団のすべてのDNAが現代日本人には残っているそうです。ということは、かつて外見も違う、言葉も通じない、生活文化も違う異族同士が遭遇したときに、彼らは殲滅でも、奴隷化でも、逃亡でもなく、「混ざる」ことを選んだということです。」(3ページ)
と、ここまでの習合の観方の例を挙げた後で、特に「神仏習合」を典型として取り上げるという。
〈神仏習合について〉
「僕の『習合論』は「神仏習合は雑種文化の典型的な事例である」という仮説から出発するものです。」(7ページ)
「数年前にスイスのラジオ局からインタビューの申し入れがありました。…返答に窮したのが「神仏分離」についてでした。「どうして千年以上続いた宗教的伝統が政令一本で簡単に破棄されたのですか?」と聞かれて、うまく答えられなかったのです。…神仏分離を通じて政府が何をしたかったのかは言えますけれども、どうしてそんな理不尽な命令に対して組織的な抵抗運動がなかったのかが説明できなかった。」(7ページ)
日本の中にいるだけでは気づき得なかった問題について、外国のひとから質問を受けてその存在に気づく、ということはあるだろう。
「それからずっと喉にささった棘のようにそのことがひっかかっています。」(9ページ)
習合というのは、お互いに違う、分かり合えない、そこから出発する。初めから一体であるとか、大方のところは分かりあっているという関係では生じない。初めて出会ってすぐに共感しあえるなど、そんなにはない。共感できなくて当たり前。まさにハイブリッドである。
「共感や理解を急ぐことはない。この本で言いたいことは第一にそのことです。僕が「習合」という言葉に託しているのは、「異物との共生」です。…異物を排した純粋状態や、静止的な調和を…人々は求めすぎている…それが社会を生き生きとしたものであることを妨げている。
いくつかの構成要素が協働しているけれど、一体化してはいない。理解も共感もないけれど、限定的なスタンスについては、それぞれ自分が何をしなければいけないかがわかっている。そういうシステムのことを「習合的」と僕は呼びたいと思います。」(64ページ)
私として思うに、神仏習合についても、われわれの先祖が神と仏とまったく一体化したものと捉えていたかというと、恐らくそんなことはなくて、別々のモノとは認識していたのだろう。神社の社と、お寺のお堂とは、とりあえず別のモノとして存在していたのではないか?同じ境内にあっても、建物は別だったのではないか?そこらが、融合とは違う習合たるゆえんではないか?そんな気がするがどうだろう。現在でも、お寺の境内に神社が残っている場合があるが、お堂はお堂だし、神社は神社である。少なくとも私の乏しい経験の中ではそうだ。また、神社を持たないお寺もあっただろうし、お寺に付属しない神社もあったはずだ。ただ、羽黒山等の修験道などは、例外的に融合的だったりしたところもあるのだろうか、とも思う。このあたりは、詳しい方のご教示をお願いしたいところである。
ちなみに最後まで読んで、神仏分離が、なぜ急激に行われたのかについては、いまいちスッキリとした解答があるわけではない。府県ごとでかなり違っているとか、習合の揺り戻しとしての純化、爆発的な純血化、復古のようなことが時々起こることがあるとは言っている。
いずれ、神と仏は、習合はしていても、融合してはいなかったから、神仏分離が、思いのほかすっぱりと成し遂げられてしまったということにはなりそうである。
この書物は、「習合」という日本文化の特性について語ったものであって、神仏分離の秘密を解き明かすのが目的ではないわけだから、叙述としては、そんなところか。
〈農業と習合、若者の地方回帰〉
山口県の周防大島での講演を基にした「農業と習合」という章に若者の地方回帰のことが書いてある。
「地方回帰の動きが際立ってきました。都市での定型的な賃労働と定型的な消費活動を離れて、山河の中で、地面を踏みしめて生活することを選択した若者たちが僕の周りにもたくさんいます。みんな二〇一一年の三・一一の後に、そういう生き方を選んだ若者たちです。この動きは不可逆的に進行し続けると僕は思っています。」(128ページ)
「日本には一方に豊かな海や森があり、一方に近代的な都市があります。その中間にこの周防大島のような里山エリアがある。里山の機能は、文明と自然の間にあって、二つを架橋することです。二つをつなげる橋であり、かつ二つを隔てる緩衝帯でもある。」(136ページ)
「(アメリカの人々とは違って)…日本の農家の人たちは…農作物は商品ではないんじゃないかとなんとなく感じている。お米とパソコンを目の前に置かれて、「ほら、どちらも同じ商品でしょう?」と言われると、なんとなく違うような気がする。これは「なんとなく違うような気がする」というのが正しいのです。」(142ページ)
ふむ。「なんとなく違うような気がするというのが正しい」。どういうことだろうか?
「農業は(市場とは)違います。食べる人間がいて、その胃袋に詰め込める量の算術的総和が「必要な農作物」の上限です。それ以上作ってもしょうがない。…でも、金が欲しいという人には上限がない。「需要に上限のある生産活動」を「需要に上限がないシステム」によって制御することはできません。」(148ページ)
かように、農業と市場とは違う、折り合いが悪い。しかし、これまで、農業は、市場に屈服させられてきた。いまの政府は、さらに積極的に農業に市場を持ち込もうとしている。
「前近代の農村共同体は市場経済の前に屈服しました。それに対抗するだけの理論武装がなかったからです。だから、市場経済のロジックと五分で渡り合えるような農村共同体の新しい理論と実践のかたちは、これからみなさんが手作りするしかない。それがこれから農業する若い人たちに課せられた人類史的な課題だと僕は考えています。」(151ページ)
「今後、堰を切ったように、都市部の若者たちが地方に流れ出る「エクソダス」の動きがあるだろうと僕は思っています。
…藻谷浩介さんによると、今は地方回帰の流れを引っ張っているのは女性のほうだそうです。
…まず頭で考えて、理屈が先にあって、身体がついていくというのではなく、身体や感覚が先行して、まず「ここにはいたくない」という気持ちに駆り立てられて、都市を離れていく。こういう流れは七〇年代にはなかったものです。これは大きな転換だと思います。」(157ページ)
「里山資本主義」のエコノミスト藻谷浩介氏が登場する。
ところで、このあたりの農業へのさらなる市場経済の導入というのは、自民党だけでなく、民主党系にも推進派が多いような気がする。一方で、自民党系にも慎重派が多数潜んでいる気もするがどうだろうか。
このあたりの転換が進んでいくとすると、日本の経済、社会の根本的大転換が進む、ということになるのだろうと思う。グローバルな農業の発展など、ここらで歯止めをかけるべきである。
気仙沼湾唐桑半島の「森は海の恋人」の運動、そして移住者〈ペンターン女子〉の活躍など、この気仙沼も、日本における地方回帰の受け皿、一方の中心として役割を果たすということになるのだろう。
〈株式会社の平均寿命、社会的共通資本〉
農業だけでなく、現今の行き過ぎた市場経済万能主義は、ほんとうにどうにかしなくちゃいけない問題であるというべきである。
私自身に関連することではあるが、気仙沼図書館を、当時流行りの市場主義図書館にしなかったのは、ほんとうによかったと思っている。佐賀県武雄市の、例の武雄図書館を視察訪問した際、指定管理者であるツタヤの図書館部門責任者は、5年で投資は回収するものとして図書館事業を進めていると明言していた。その後、不要不急の中古本の購入とか、貴重な郷土資料の廃棄とか、いろいろ世の中を賑わせたのはご存じの通りである。
「株式会社の平均寿命は五年なんですから、それ以上先のことを考えてもしかたがない。そんな平均寿命の短い組織体が「百年後の会社のかたち」や「百年後の従業員の幸福」なんか考えるはずがない。考えても無意味だから。今期の売り上げが落ちて、株価が下がったら、それで会社は「はい、おしまい」です。十年後どころか来年もない。だから、今期の利害損得に一〇〇パーセント集中するしかない。それが「当期利益最優先」という株式会社的な時間です。そして、現代人はもうほとんどがこの株式会社的発想に骨の髄まで冒されてしまっている。」(130ページ)
「でも、そういう短いタイムスパンでは判断してはいけない領域があります。
それなしには人間集団的に生きていけない資源のことを経済学の用語では「社会的共通資本」といいます。これには三種類のものがあります。自然環境、社会的インフラ、そして制度資本です。
自然環境というのは山河のことです。大気、海洋、河川、湖沼、森林……そういうものです。その豊かな恵みの上に僕たちの社会的制度は存立している。社会的なインフラというのは、上下水道、交通網、通信網、電気ガス水道のようなライフラインのことです。制度資本というのは、行政、司法、医療、教育などの制度のことです。
社会的共通資本は…安定的に継続的に、専門家によって、専門的な知見と技術に基づいて管理維持されなければならない。とにかく急激に変えてはならない。だから、社会的共通資本の管理運営に政治とマーケットは関与してはならない。」(131ページ)
〈社会的共通資本〉といえば経済学者宇沢弘文である。岩波新書の名著であるが、このあたりの行論は、それを踏まえたものである。
〈行政、医療、教育〉に、マーケットが関与するな、というのは分かりやすい。私などは、ごく当然のことと思う。しかし、政治が関与してはならないというのは、一見、奇異な話である。〈司法〉については行政が関与してはならないというのは分かりやすいかもしれないが、それにしても大きな意味では政治の範疇に含まれるはずである。
ここをきちんと守っていくことこそ、政治の使命というべきではないか?
そのときどきの政治が、うかつに関与して、軽々しく改善だの改革だの言い出すべきではないということであって、そういうものは、「公共的なものへの配慮」でもって、慎重に保守する方向で、簡単に変革しない方向で判断していかなければならない、そういう政治でなくてはならないということである。
このあたりは、宇沢弘文の行論を踏まえて、内田氏が常々主張なさっていることである。
政治は、人間を守るために、大事なところを保守し続けなければならない。〈立憲主義〉にも通じる話である。選挙で多数を取ったからと言って、なんでもしていいわけではない。
「…社会的共通資本を動かすのは…「公共的なものへの配慮」です。そこにはオリジナルな要素がまったくありません。当然ですよね。「空気はあったほうがいい」とか「水道の水はきれいなほうがいい」とか「法体系は合理的なほうがいい」とかいうことに対して異を唱える人はふつういないからです。」(134ページ)
公共的なものへの配慮、基本的人権を守ること、それらは、どんな政権であっても守るべき原理原則である。このあたり、現今の官僚、テクノクラートの劣化は、目を覆わんばかりである。矜持をもって本来の役割を果たしてもらいたい。政治家が、官僚制度の内部に手を突っ込みすぎず、専門性でもって自律的に機能するよう配慮していくということは、実は相当に重要なことである。この問題も、ここで手を打たないと後戻り不可能なポイントを超えてしまうことになりかねない。
〈コモンの再生,ステイクホルダー資本主義へ〉
歴史を振り返ると、イギリスでの資本主義の発生というのは、そもそも胡散臭い、問題の多い代物でもあったらしい、もちろん、ここまで相当の良き結果を人類にもたらしてきてはいるのだが、それは、都度つどの修正の結果であるとも言えそうである。市場が万能であるなどとはとても言えない。
「日本資本主義の成功の要因のひとつは、この前近代までの大店システムがあまりかたちを変えずに株式会社に移行したことにあります。土着の大店という業態と、英国渡来の株式会社が「習合」したわけです。
ヨーロッパの株式会社の起源的な形態は『ヴェニスの商人』を見るとわかります。出資者たちが集まって、船を一隻仕立てて…戻ってくれば大金持ち、沈んでしまえば一文なしというようなきわめて投機的なものでした。…あまりに賭博に近いので、株式会社という業態そのものが1720年には英国政府によって違法とされました。
でも、日本の場合、そうではなくて、…江戸時代の定常経済に適応した、良質の商品とサービスを安定的に供給すること、取り引き先と顧客との信頼関係を継続することに軸足を置いたありかたです。」(163ページ)
「イギリスの田園には「コモン(common)」と呼ばれる共有地がありました。自営農たちがそこで羊や牛を飼ったり、果樹を育てたり、野生獣を狩ったり、魚を釣ったりしていた。」(171ページ)
コモンは、16世紀から19世紀にかけて「囲い込み(enclosure)」によって消滅したとされる。「エンクロージャー」は、資本の本源的蓄積過程と呼ばれ、資本主義の発展にとって、必要な前提であったとされている。
「たしかに歴史が教える通り、コモンの生産性は高くはありませんでした。…人々はそれ(儲け)よりもコモンからどういう「生活の豊かさ」を汲みだすか、それをまず考えた。」(172ページ)
人類は、儲けのために〈生活の豊かさ〉を犠牲にしたということになる。そもそも〈儲け〉とは、〈富〉とは、〈生活の豊かさ〉を得るためにこそ追求されるはずのものではないだろうか?甚だしい本末転倒が実現してしまった、と言わざるを得ない。
「前に農業と市場は相性が悪いということを申し上げましたけれど、共同体と市場も相性が悪い。というのは、相互扶助のネットワークが活発に機能していると、そこでは人々が「必要なものを市場で、貨幣を投じて購入する」という機会が減じるからです。だって、お金を出して買わなくても、手に入るから。」(176ページ)
ここいらで、なんとか、軌道修正を図らなければならない。
「株主資本主義は放置しておくと資本主義そのものを破滅に導く。僕はそう思っています。だから、再び政治的な介入を行って、富裕層に課税し、労働者を保護し、貧困層の社会的上昇を支援する法律・制度を整備する必要がある、という「ほとんど社会主義」的な政策が必要だと思います。さいわいアメリカでも、そういう主張をするエコノミストがじわじわと増えています。
「現状の資本主義はすでに限界に達している。内側からシステムを改革しない限り、存続することはないだろう」と書いたエコノミストは、その道筋を「企業の目的を『株主』だけでなく。『あらゆるアメリカ人に貢献する経済』を促進することへ」、シフトすることだとしています(「資本主義を救う改革を 株主資本主義からステイクホルダー資本主義へ」、クラウス・シュワブ、…)
「ステイクホルダー資本主義」というのは、経済活動にかかわりを持つすべてのプレイヤーが等しく受益できる資本主義のことです。…宇沢弘文先生の「社会的共通資本」という概念を借りれば「ステイクホルダー資本主義」というのは「社会的共通資本主義」と言い換えることができるでしょう。」(186ページ)
このあたりの行論は、最近の、心ある論者たちに共通する問題意識であるといって間違いない。とくに気鋭の若い学者たちは、同じことを語っていると思う。
市場経済万能主義、金融資本主義、グローバル資本主義、そんな現在の経済の考え方はすべて、誤っている。ここを超えていく。修正資本主義であろうが、社会民主主義であろうが、共産主義とは別の訳語を当てはめようとするコミュニズムであろうが、空想的社会主義であろうが、言葉尻の小異を捨てて、大同を見ていかなければならないはずである。
〈引きこもりバッシング??〉
この間、ツイッターを見ていたら、誰かが、この『日本集合論』を引き合いにだして「内田樹は引きこもりを山奥の田舎の空き家の管理人の仕事をあてがって引きずり出して放り出せみたいな暴論を吐き始めた」みたいなことを言って非難しているのを見かけた。
精神科医で筑波大教授の齋藤環氏は引きこもりの専門家で、「自立支援ビジネス」というのだろうか、困り果てた家族の依頼で、無理やり引きこもり当事者を引きずり出して稼ぐ暴力的行為の犯罪性を糾弾なさっており、言うまでもなくそれは大きな問題である。そういう手合いが、主観的には善意で振る舞っているのかもしれないが、とんでもない犯罪者であることは言うまでもないだろう。
そのツイッター上のつぶやきは、あたかも内田樹がその手のビジネスまがいの主張を始めた、あるいは、その手のビジネスの擁護につながるような話しを始めたみたいな論調であった。私に言わせれば、それはずいぶんとあからさまな誤読である。
「家というのは、人が住まなくなるとすぐに荒れてしまう。…たぶん家というのも、そこに住んでいる人間から何らかの「生命力」のようなものを受け取って、それで生きているのではないかと思います。」(192ページ)
「山で暮らす哲学者である内山節」をも引きながら、山歩きの際に「枝をはらい」「蔓を切る」とか、家で「床を掃く」、「打ち水をする」とかいう「ちょっとした作業」をして、「そこにわずかなりとも秩序をもたらそうと志向することで里山が維持され、家の生命力が賦活されるのだという。
里山は、人間と自然が習合する場所であるというようなことである。
そこから「「引きこもり」を現代の堂守・寺男として採用」という節に続くのだが、人口減少地域への移住を進めてはどうかという着想を得たということである。
「この堂守・寺男の仕事を無住の寺社、無住の家屋の維持管理のために就業斡旋することはできないだろうか……ということをこの間考えつきました。」(196ぺージ)
「日本にはいま、「引きこもり」が一〇〇万人いるそうです。…外に出たくない、誰にも会いたくないという人がそれだけいる。…
他人とコミュニケーションを取るのが苦手だというので部屋にこもっているのだとしたら、「他人の家で寝起きして、煮炊きして、ときどき雨戸をあけて風を入れたり、座敷を掃いたり、廊下を拭いたりしてくれるだけでいい」という仕事なら「やってもいい」という人がいるんじゃないでしょうか。一〇〇万人のうちに何千人かでも、そういう人がいたら、就業機会を提供できる。」(196ページ)
「もちろん、十年二十年と家に引きこもっている人たちにしてもらうというのは簡単なことではありません。けれども、働くことに慣れていない人たちの就業を支援することは今の日本社会ではとてもたいせつな仕事だと僕は思います。」(199ページ)
引きずり出して、放り出せなどとは一つも言っていない。もっと丁寧なプロセスのなかで考えていきたいということである。将来的に就労に失敗して家に引きこもってしまう可能性のある人々が、そうならずに済む場合もありうるだろうということでもある。現今の〈仕事〉についての考え方に大きな変革を迫ろうとするものである。
「…就業支援が成り立つためには、二つのことが必要です。一つは個人が蔵している社会的能力をできるだけ多様な「ものさし」で考量すること。これまでは社会的能力として認知されてこなかったものを積極的に「能力」として評価するということ。もう一つは、これまで「仕事」としては認知されていなかったことを積極的に「仕事」として評価すること。つまり「労働者」と「労働」の両方の概念を拡大するわけです。「そんなものは仕事とは言わない」とか…仕事をきびしく限定する発想法をいったん棚上げ…(す)ることです。」(199ページ)
仕事を変えることは、社会を変えること、経済のシステムを変えることに結び付いていく。資本主義の限界と突破するのは、こういう取り組みでもあるだろう。
〈再び習合について〉
後半で、「スローフード運動」に触れている箇所がある。
実は、気仙沼は、国際的にスローフード運動の拠点にもなっていて、私も、〈スローフード気仙沼〉創立時からの会員であり、国際組織の会員でもある。下記で「少し前に…あった」というのは、世の話題としてはそうであるに違いないのではあり、しょうがないところでもある。(気仙沼市は、スローフードの国際組織から公式に認定されたチッタ・スロー=スロー・シティ=スローフード都市である。あ、そうそう、市議会議決を経て都市宣言も行っている。)
「少し前にイタリアの「スローフード運動」というものがありました。…これはマクドナルドのローマ出店に抗議して、イタリアの固有の食材を伝統的なレシピで食べようという「ファスト・フード」に対抗する地産地消を目指す運動でした。それだけ見るとごく「まとも」な主張のように思えます。でも、彼らが言う「固有」や「伝統」は果たしてどこまで遡れるのか。」(174ページ)
南米からトマトが入って、たかだか200年やそこらであるという話で、京都の一昔前が戦国時代だとかいうたぐいの伝統格式マウンティングのようなことでもあるが、本居宣長が、仏教が日本に入って千年以上たっても「漢心」だと言っていることの対比で言っているところである。その土地本来の食生活というときには、200年も継続していれば立派なものであると、私は思う。スローフード運動の意義については、正負ともども考えてみるべきところだろうが、ここで内田氏がこれ以上、何かを語っているわけではない。また別のことになるが、気仙沼のひとびとも、スローフード運動の文明的な深度、未来の社会に対して果たすべき意義のことはもっと考えなければならないところである。気仙沼で、どう習合していくのか?
「僕が神仏習合が好きなのは、それが実に複雑な構造物だからです。…好き嫌いだから理屈はありません。でも、「話を簡単にしよう」と言い出す人間がだいたい何かを排除したり、何かを破壊するのに対して、「話を複雑にしよう」と言い出す人間は何も排除しない、何も破壊しない、習合というのは破壊しないこと、排除しないこと、両立し難いものを無理やり両立させることだからです。」(277ページ)
「僕が習合というありかたにこだわるのは、社会を持続的に住みやすいものにしていく方法はそれしかないと思うからです。浄化や純血化や初期化や原点回帰…によって僕たちはあまりに多くのものを失ってしまう。…
…外来のものと固有のものが出会って、そこにアマルガムが生じ、ある種の化学反応を起こすときに、日本文化は多様で豊饒なものになる。
…遠いものを近づけ、異質なもののうちに共生可能性を見出すこと、僕はそれが「できる」というところに日本人の可能性があると思っています。」(282ページ)
そのあとに、日本国歌が、明治初頭のイギリス人、ドイツ人のお抱え音楽家の作曲、改作によるものだということも記される。これも、興味深い話である。
内田氏が(盟友の平川克己氏も)大好きな大瀧詠一もメンバーだった、はっぴいえんど(他の3名は、細野晴臣、松本隆、鈴木茂)も登場する。
「はっぴいえんどというベンドが六〇年代に企てた「日本語によるロック」という音楽的創造は、実は日本人がずっと昔からやってきたことをそれと気づかず再演していたのだ、と。それは外来のものを土着のものと習合させて、新しいものを創造するということです。」(283ページ)
その〈はっぴいえんど〉からの流れにおいて、フランスで「日本のポップスは一九七〇年代初頭に同時代に世界のポップスのポールポジションを制していた。」(285ページ)と評されたという話題は、初めて聞いたが、これもとても興味深い。
やっぱり、はっぴいえんど、細野晴臣であり、松本隆であり、もちろん、大瀧詠一である。鈴木茂というギタリストも、私は、とても優れたミュージシャンだと思う。この流れが、日本の現在の音楽に与えた影響は深甚なるものであり、彼らなしには、今の日本の音楽はあり得なかったし、音楽のみならず現在の日本文化は全く別のものになっていたと思う。この話題は、私にとって、また別に大きな課題である。
さてさて、また、長くなってしまった。
この本も、取り上げるべきポイントが多かった、ということである。
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