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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

國分功一郎監修 哲子の部屋Ⅰ 哲学って、考えるって何? 河出書房新社

2015-10-14 23:02:08 | エッセイ

 引き続き、國分功一郎氏。氏は、監修名義(と出演)、著者は、NHK「哲子の部屋」制作班ということで、テレビ番組を元にして制作された本。3回放送で、3巻同時刊行、ということだが、とりあえず、1冊目のみ買ってみた。ちなみに、2巻目も國分氏監修だが、3巻目は、千葉雅也氏が登場するようだ。あのきらびやかな哲学者千葉雅也。(たぶん、きらびやか、なのだと思う。)

 この本は「哲学って、考えるって何?」というテーマ。

 國分功一郎氏が、このテーマに沿って、若手女優の清水富美加さん、怪優マキタスポーツ氏を相手に解説するという趣向である。

 1時間番組で放映された内容だけでなく、収録しながらカットされた部分も大幅に増補したということだが、ほぼ100ページの薄い本で、会話を文字起こししたものでもあり、大変に読みやすい。

 哲学の専門家が、言ってみれば素人相手に解説するという体で、分かりやすいものにはなっているが、内容は決して薄っぺらなものではない。

 解説するとは言っても、一方的に哲学の知識を講義するという形でなく、3人の刺激的な会話の中で、哲学が生まれる現場をつくり上げている、といったら良いだろうか。

 ソクラテスの弁論、これも一方的に自説を主張するというのではなく、むしろ相手の言うことにしつこく質問を重ねていくというものであったらしいが、その対話の中で哲学が産声を上げた、その体験を、いまここで追体験している、みたいなと言ったら良いだろうか。

 この番組では、毎回、「きょうのロゴス」と題して、対話のきっかけになる言葉を掲げるということでこの回は、「人は考えるのでなく、考えさせられる」というものだとのこと。

 ロゴスとは、ギリシャ語で言葉とか論理だとかいう意味であるが、それはさておき。

 ひとは自ら積極的に考える、ということをするのでなく、仕方なく受動的に考える、ということを強制されるのだ、というのだ。

 どうだろう。

 なんか変なことを言っている、とみんな思うだろうと、私も思う。

 あの有名な言葉、「人間は考える葦である」と言ったのはパスカルだが、そうそう人間は考えるもの、人間なんだから自由に自分から考えてるよね、と思うのが普通だ。

 でも、そうじゃなくて、考えさせられている、のだという。

 ああ、そういえば、学校では、先生に「考えろ」ってよく言われるし、そうだな、テストの問題も、自分で好きで考えるというより、考えろ、って言われるから仕方なく考えているんだよな、そんなふうにも思われてくる。

 と、あま、これはいま、私が適当に書いただけだが、「人は考えさせられるのだ」というテーマについて、國分氏ら3人が、語り合っていくことになる。

 これは、現代の社会を生きていくうえで、とても大切なことだ、とわたしは思う。実は「知は能動的であるよりも、受動的なもの」なのだ、ということが。

 ということで、この本は、國分、清水、マキタの3氏が、楽しく愉快な会話を交わしながら哲学を探求するという刺激的な書物、だということになる。


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