ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

10月4日(日)のつぶやき

2015-10-05 01:22:16 | つぶやきまとめ

書評・中沢孝夫 気仙沼「一生もののセーター」ができるまで 地方で「仕事を作る」とはどういうことなのか『気仙沼ニッティング物語?いいものを編む会社』御手洗瑞子 (新潮社) | 週刊東洋経済| toyokeizai.net/articles/-/858…

千田基嗣さんがリツイート | 19 RT

12/9(水)「熊谷育美コンサート2015 PROCEED in TOKYO」渋谷duo MUSIC EXCHANGE!スペシャルゲスト有り。本日10/4 (日)10:00~ 一般発売。詳細は熊谷育美公式WEB kumagai193.com/index.html

千田基嗣さんがリツイート | 5 RT

そうなんですよ。小牧市の住民投票の日に、映画の図書館戦争が放映されるという…(誰となく)

千田基嗣さんがリツイート | 31 RT

陸前高田の一本松。この松原は、わたしの祖母の生家、松坂家の祖先、松坂新衛門の植えたもの。今日、はじめてこの根本まで行ってきた。これまでは、国道の方から眺めることしかしていなかった。駐車場からは、案外、遠かった。 pic.twitter.com/2sDFy4qakB


松坂家は、伊達藩の玉山金山の下代という役職で、侍身分ではないが、今で言えば、第3セクターの社長とか言う感じだと思う。新右衛門は、元禄ころのひとで、今の気仙沼市本吉町山田の芳賀という家から婿に入った人だという。鉱山関係の家なのだろう。 pic.twitter.com/eildnYFMU4


私の千田という姓の家は、祖父と父は建築板金業だが、その前は大工だった。先祖は、安永年間に、やはり今の陸前高田の浜田の千葉某の次男が気仙沼に来て、千田と名乗ったということで、市内八日町青龍寺のお墓に彫ってある。代々大工だったとすれば、気仙大工の系譜ということになる。


この気仙大工というのが、鉱山の坑道の木組みの技術者の系譜であるとすれば、千田も松坂も、鉱山関係の山師の系譜ということになる。


浜田の千葉というのが、笹ヶ陣の戦役で、気仙沼の熊谷と戦った浜田の千葉安房守とどんな関係なのか定かではないが、なんらかの関係はあるのだろう。詳しく資料に当たる気もないが、想像してみるのは楽しいことではある。松坂家は、秀吉の頃までは、伊勢の松阪の大名だったと言っている。


家系図がどうこうというのは、まあ、楽しいというか、面白いというか、興味は引かれてしまうことだな。松坂家については、江戸時代に玉山金山の支配をした以降は、記録にも残った確実な家系だ。岩手県史や宮城県史にも資料を提供したと言っている。詳しく見たことはない。


千田も、江戸時代中期の安永年間の先祖のお墓から、そのまま墓石が残っているのだが、最近、風化が進んできて、いまいち、はっきり文字が読みとれなくなっている。先祖は、濱田邑千葉冶良二郎だったか、定良二郎だったかの(お墓を見てくれば分かるのだが)次男想六で安永年間に没している。


父が、紙に書いた、想六以来の系図、メモ程度のものだが、河原田の実家が津波を被って流されているので、たぶん、仏壇に置いたその紙も流されている。先祖の位牌も流されて、弟が、母の位牌だけは見つけて、震災のあと、父の名を入れてもらうことができた。


そうだな、私の生まれ育った河原田の実家は、今は弟がひとりで住んでいるが、津波は1メートル浸水しており、半壊の認定で、先祖の位牌や、消防団長だった父の勲章も流されている。私の住んでいる本町の高台の家は、揺れで物が落ちることもなかったが、そういう意味では、被災者のひとりではある。


念のため言っておくと、父は、震災直前の3月3日に病気で逝った。葬式も無事済んでからの震災だった。ここに書いたような経緯ということだな。blog.goo.ne.jp/moto-c/e/61dd5…


秋亜綺羅 詩、柏木美奈子 絵 ひらめきと、ときめきと。 あきは書館 goo.gl/4mx2cJ



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