ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

東浩紀 ゲンロン戦記「知の観客をつくる」 中公新書ラクレ

2021-01-11 23:34:33 | エッセイ
 東浩紀氏は、1971年生まれの批評家である。
 以前は、批評家という肩書は一般的ではなかった。評論家、という言い方はあった。様々なテーマの評論を書き、語るひとびと。その前に様々な専門分野の名称が冠され、文芸評論家とか、経済評論家とか、音楽評論家とか言ったものである。
 余談だが、私自身、地方に住んで、地方のことを語る「地方評論家」と名乗ろうか、と考えたこともある。地方自治について語り、地方に住まいする意義について語る専門家であろうという思いで、ということになるが、気仙沼という小さな地方においてしか通用しない評論家、という意味でもあるかもしれない。いささか時代にのり遅れた者との自虐もあるかもしれない。
 いずれ、評論家ということばは、テレビのワイドショーで使いやすく使いまわされて、いつのまにか、価値の低下が起こってしまい、いまやだれも使わない、絶滅寸前のことばと成り果ててしまった。
 代わって、批評家、という呼称を用いる人が出てきたわけだが、現代日本における批評家の嚆矢は柄谷行人ということになるのかな。いまのところは、そんなに広く使われることもなく、指し示す意味範囲も限定されており、それなりの品格は保った言葉になっているだろう。
 東氏は、若いころ哲学者・思想家としてデビューしたし、その後、大学教授にもなったし、サブカル評論もしたし、小説家にもなった。大学教授を辞したあとは、昔風に言えば評論家、今は批評家、ということになるのだろう。社会のありようを批判的に見て、語り、書き、世に伝えていこうとするひと。(ここでの〈批判〉は、必ずしも悪し様に評価するというだけではなく、肯定的な観方も含みこんだものである。)
 で、実は、さらに、企業経営者なのでもある。中小企業経営者。
 この書物は、経営者としての20年の悪戦苦闘の記録である。手記であり、回顧録である。
 ただし、それが同時に、東浩紀の哲学の表現であり、哲学の実践の記録でもあるような書物である、という。そうそう、あとがきに、こうある。
 
「ぼくは批評家で哲学者である。ぼくの批評と哲学は、ゲンロンの実践抜きには存在しない。だとすればやはり本書は批評の本で哲学の本なのかもしれない。」(268ページ)

 ところが、冒頭「はじめに」を読むと、一見、真逆のことが書いてある。

「本書は批評の本でも哲学の本でもない。本書で語られるのは、資金が尽きたとか社員が逃げたとかいった、とても世俗的なゴタゴタである。」(4ページ)

 この始まりが、この結末へとたどり着く。それがこの書物というわけである。

〈ゲンロンの目指すこと〉
 さて、私は、ゲンロン会員ではない。しかし、東氏の著作は追いかけているほうだろう。主要な著作はほぼ読んでいると言っていい。現在の日本において、読むべき著作家のうちでも特に重要なひとり、と捉えている。
 じゃ、では、ゲンロンの会員かと言えば、違う。これからなるかと問われても、恐らくならないと答えるだろう。
 これはいったいどういうことだろうか?
 目次の次、本扉の裏に、株式会社ゲンロンとは何かが記されている。

「ゲンロンは、2010年4月に創業した小さな会社です。…
 ゲンロンは、学会や人文界の常識には囚われない、領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を目指しています。…
ゲンロンは、未来の出版と啓蒙は「知の観客」を作ることだと考えています。あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。権力か反権力か、「友」か「敵」かの分断を解き放ち、自由に観客が集まったり考えたりする場が必要です。
 哲学(フィロソフィー)はもともと古代ギリシャ語で知(ソフィア)を愛する(フィロ)ことを意味する言葉でした。哲学の起源に戻り、知をふたたび愛されるものに変えること。それがゲンロンのミッションです。」

 〈これまでの常識にとらわれない、集い考える場を作ること。そして、本来の哲学(=知を愛すること)を取り戻すこと〉。
 これは、まったく、非難すべきところのない、歴史上のどんな思想家も、どんな哲学者も唱えてきたことといっていいだろう。
 どんな時代にも、哲学は、それまでの常識にとらわれずに考えることを使命としてきたものである。だから、東氏も、正統なる哲学者であるに違いない。
「権力か反権力かの分断を解き放ち」、と東氏は語っている。

「いま日本ではリベラル知識人と野党の影響力は地に堕ちていますが、その背景には、2010年代のあいだ、「その場かぎり」の政権批判を繰り返してきたことがあると思います。
 これから本書で話すことは、ゲンロンがいかにその風潮に抗い、「べつの可能性」を生み出してきたかという悪戦苦闘の歴史でもあります。」(21ページ)

 ふむ、そういうことだな。
 分断を解き放ち、架橋すること、「べつの可能性」、オルタナティブを生み出すこと。東氏が、ゲンロンという小さな会社に拠って(失敗を繰り返しながらも)、その場所で、分断に架橋を試み続けてきた。で、架橋は実現したのか、失敗したのか、少しづつ橋頭保を確保してきたのか?

〈事務の重要性〉
 会社経営における「事務」の重要性を語るところがある。

「これから順に語っていきますが、会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
 本書ではいろいろなことを話しますが、もっとも重要なのは「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。」(32ページ)

 誰かも、ツイッターで、この個所(会社の本体は事務にある)に深く同意すると語っていた。実は、私も同様である。
 市役所で長く事務職として仕事してきた。お役人とか、官僚とか、テクノクラートとか呼ばれるが、仕事が、安定的な業務として継続して遂行されていくためには、事務職の存在が不可欠である。一般の企業、組織の社員とか職員、経営者や運営者も含めて、むしろそんなのは世間の常識であるというべきだろう。
 制度というか、組織的に何かものごとが変わるというのは、一見地味でつまらない、人手のかかる事務的な作業をも含めて新しい形態に編成されなおすということである。そこまで変わらなければ本質的な改変とは言えない。
 私も、定年まで市役所の事務屋として、新しい施設やイベントや制度を企画し、何ごとかは実現してきた。その際には、何枚もの紙の資料を作ったり、会議を招集したり、予算案を作って、領収証を集めて決算をまとめたり、案内文書を作ったり、何十通単位の郵送文書の封入作業を何回も行ったり、何千枚のPRチラシを作ったりした。そういう事務作業なしには、新たな企画は実現しなかったのである。
 組織の本体は事務にある、というのは全く正しい言明であると言える。

〈亜インテリ〉
 「亜インテリ」という懐かしい言葉が出てくる。私も、丸山真男の書物で出会った言葉に違いない。私は、「インテリ」でありたかったわけであるが、階層的には「亜インテリ」でしかないのだろうと思う。地方文化人とか、疑似インテリとか、似非文士とか、自称詩人とか。

「丸山真男は終戦直後に、大学教授やマスコミ人のような「インテリ」と小中学校教員や公務員、地方の名士のような「亜インテリ」に分けたことがあります。いまとなっては問題含みの分類ですが、あえて援用するとすれば、その分類ではゲンロンはかなり「亜インテリ」にリーチしている会社です。」(192ページ)

 ふむ。哲学書とか思想書とか、最近では、國分功一郎氏とか、内田樹氏とか、東氏自身も、もちろんそうだが、一定の部数が出た書物は、地方の「亜インテリ」まで届いた書物、亜インテリ層に支持された書物ということなのではないだろうか?大学教員や博士課程の院生や、大マスコミの記者などのみの「真インテリ」層、あるいはそのあたりの同業者層を超えて、「亜インテリ層」までリーチが拡がってこそ、部数が伸びるのであり、いささかなりとも売り上げが上がるということになる。
 東氏の著作は、書物としてそもそも亜インテリにまで届いているのであるが、新たな試みとして立ち上げたゲンロンという組織体の活動全体も、同様にそこまで届いた、それを喜ぶ、という、それは敢えて書くに値することではあろう。

〈対面コミュニケーションの大切さ〉
対面のコミュニケーションが大切であり、意図しない誤配が大切であるという話が出てくる。
 『観光客の哲学』は、一定の部数に達して、経営的にはかなり助けられたという。

「『観光客の哲学』はあくまでも哲学書です。けれどもその内容は、本書でここまで述べてきた「観客」や「コミュニティ」や「観光客」の概念を哲学の言葉で展開するものになっていて、観光地化計画の失敗や、ゲンロンカフェ。スクール、チェルノブイリツアーなどの経験がなければ書けないものでした。それがようやく評価されたのだと感無量でした。」(197ページ)

 私も読ませていただいたが、その行論は大いに納得できるものであった。
 さらにオフラインの飲み会の意義を語っている。

「飲み会こそがコミュニティをつくり「観客」をつくる。それがぼくの主張でしたが、いまや飲み会は感染症対策の敵です。
 …
 とくに問題になるのが「友の会総会」です。…150人近い参加者が、登壇者も一般会員も関係なく、ドリンクを片手に飛沫を飛び散らかせながら議論し、各会場を回る特別な夜になっていたのです。それは「三密」そのものです。…
 けれども、そのぶん友の会総会は「誤配」に満ちていました。有名人も一般人も混在し、普段ならけっして出会わないようなひとたちが出会い、普段ならけっして話すことのないような議論をする。それこそが総会の魅力で多くの会員が楽しみにしてくれていたのです。」(232ページ)

 このあたり、まったく同感である。たとえば全国の自治関係の学者、職員、議員、市民が集まる自治体学会の総会の前後のパーティーや、引き続く二次会、そういう場所での語らいは、実に実り多いものであった。40年以上も前、私が大学生となったころのコンパとか、市役所に勤めてからのアフターファイブの飲み会においても、繰り返し耳にしてきたことである。何人もの酒好きの先輩が美味い酒を酌み交わしながら語り合う場の意義を得々として語る姿がありありと目に浮かぶ。

「第3章の最後で整理したように、ゲンロンはオンラインをうまく使いながら、オフラインの価値を高めることを旨としてきた会社です。オンラインの情報発信を「オフラインへの入り口」として使うことで、オンラインが消してしまいがちな「誤配」を仕掛けるというのがゲンロンの哲学でした。
 それは第4章で主題にした「観光」にも通じます。」(234ページ)

 これほどオンラインが普及し、それなしには様々な仕事が成り立たなくなったかに思える現今であっても、やはり、オフラインの直接対面するコミュニケーションが重要であるということである。無駄の効用というべきか。

「旅の価値のかなりの部分は、目的地に到達するまでのいっけん無駄な時間にあります。そのときにこそひとは普段とは違うことを考えますし、思いがけぬひとやものに出会います。そのような経験こそ「誤配」です。ゲンロンはその無駄にこそ価値があると言ってきたわけです。」(234ページ)

〈資本主義批判。スケール批判。マルクスの評価。〉
 ここは、引用が少々長くなる。

「お金は、それを道具として使っているかぎり便利なものでしかありません。貨幣を介した商品交換自体は誰も不幸にしません。問題は「資本の蓄積」です。いまのことばでいえば「スケール」です。お金の蓄積が自己目的化し、数に人間が振り回されるようになったときに、社会と文化は壊れていくのです。この点では、いまネットで起きていることは、19世紀にマルクスが指摘した問題の延長線上にあります。
 だからこそ、ぼくはネットにスケールを追い求めることなく、地味にお金が回っていく世界」をつくりたいわけです。100万人、1000万人を追い求めなくても、1000人、1万人の「観客」をもつことで生きていける世界。
 いまは、資本主義だけでなく、反資本主義も反体制もスケールを追い求めるようになっています。…そのような運動はいっけん派手です。…けれども多くの場合、怖ろしいぐらいになにも変えない。なぜならば、いまの時代、ほんとうに反資本主義的で反体制的であるためには、まずは「反スケール」でなければならないからです。その足場がなければ、反資本主義の運動も反体制の声も、すべてがページビューとリツイート数の競争に飲み込まれてしまうからです。
 だからぼくはゲンロンを「小さい会社」として続けています。そして、そのような活動こそが、ほんとうの意味で、反資本主義で、反体制的で、オルタナティブな未来を開くと信じているのです。」(247ページ)

 東氏は、ここでも、ごくまっとうなことを述べている。既成の言い方で言えば、左翼だし、リベラルだ、と私は思う。知識人なのであるから、それは当然のこと、と言うべきかもしれない。東氏は資本主義の潮流に積極的に掉さす側なのではないか、という誤解があったかもしれないが、「反資本主義で、反体制的で、オルタナティブな未来」を希求するような反動派は存在しないだろう。そんなグローバル資本主義者は存在しないだろう。知識人は、必然的にリベラルでしかありえない、のではないだろうか?「反資本主義で、反体制的で、オルタナティブな未来」を希求するような右翼がいるというならお目にかかってみたいものであるが、恐らくそんなものは存在しない。そんな新自由主義者やグローバル市場至上主義者も存在しない。自称するかしないかは別にして、そういう考え方を、ひとはリベラルと呼ぶ、のではないだろうか。
 ところで、反スケールといえば、地方分権である。中央政府よりも、より身近な地方政府を重視すること。顔の見える規模の役所、役場を大切にすること。
 東氏が、ゲンロンという小さな組織体に依拠するように、小さな自治体に依拠する。これからの日本をより暮らしやすい場所に変えていくために、小さな地域を拠点にする。私たち自治体学会に拠る地方分権主義者は、そういうことをこの数十年来主張してきたわけである。
 いささか失礼な物言いになってしまうかもしれないが、東氏が今いる場所と、私の場所はほぼ重なっていると言えそうである。
 さらにいえば、このところ私が読んでいる書物の著者たちは、すべて同様の立ち位置にいる、と私は思う。
それぞれの立っている場所で、なすべきことをして、それが水平につながっていって、連帯して、「オルタナティブな未来」が実現する。小さなエリアで実現したことが、もっと大きな場所に広がっていく。社会全体がすべてのひとにとってより過ごしやすい場所に変成していく。そんなことはありうるのだろうか?
 そんな時は来るのだろうか?
 あるいは、来ないのだろうか?
 そんなことがありうるとして、そんな時がやがてやってくるとして(いや、やってこないのだとしても)、東浩紀氏には、狭い自分の場所に専念するのみでなく、そこから広い場所への見通し、「オルタナティブな未来」への道筋を語る先達として、大きな構えでもって存在し続けてほしいと希うのみである。
現在の日本の知識人の代表者のひとりとして。
 さて、私は、ゲンロンの会員になる気はないが、東氏とゲンロンから離れず、少々の距離を置いて観測し続ける観客の立場に居座り続けたいものである。気になる氏の著作については購入し、読んで何ごとか語る。
できれば、いつか五反田のゲンロンカフェを観光してみたい。(荏原中延の隣町珈琲も訪れてみたい。)
 ふう、ようやく書いた。また長くなってしまった。

〈参考〉
 東浩紀 ゲンロン0 観光客の哲学 株式会社ゲンロン

 末尾に、これまでこのブログで紹介した東氏の著作のリストも付いている。


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