ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

山浦玄嗣 ホルケウ英雄伝 この国のいと小さき者 上・下 角川書店

2017-02-14 00:23:37 | エッセイ

 山浦先生の小説。

 このひとが先生であるのは、大船渡市盛町に開業する外科医であるから、でもあるし、私にとっての師のひとりであるからでもある。

 ケセン語の、ケセン語訳聖書の山浦玄嗣である。

 東北大学医学部の助教授を務めた医学者であり、音韻、文法を研究して、日本語とは区別したケセン語を打ち立てた言語学者である。

 という前提が、この冒険小説を読み進めるうえで役に立つ。もちろん、そんな知識が必要だというわけではない。しかし、そのことを知っておくことは、この小説をもっと楽しむために役に立つ、ということである。

 

 本の帯には、著名人による推薦文が並んでいる。

 上巻では、作家の池澤夏樹氏は「こんなにもキラキラまぶいしい冒険世界があったのか」、下巻では、東えりかという書評家が、「エミシ(蝦夷)とウェイサンベ(大和)の激突はさながら『古代日本の西部劇』!」と書いている。これらは、まさしくそのとおりである。

 桐野夏生、佐藤優氏からも推薦のことばが寄せられ、また、三省堂、有隣堂など書店員からも「これは抜群に面白い!!」と称賛の声が寄せられている。

 読み終えて、これらの言葉は、掛け値のないものだと、自信を持って言える。と、あまり煽ってもどうかということにはなるのであるが、ここは素直に乗せられて読んでみることをお勧めしたい。特にあなたが東北人であればなおのこと。

 ただ、私は混じりけのない純粋な日本人である、と自己規定しているひとには、お勧めできないかもしれない。大陸、半島の血も混じらず、縄文の血も引いていない、という日本人には、我慢のならない物語かもしれない。(おっと、言うまでもないことではあるが、念のため言っておけば、そんな日本人はひとりも存在しないはずである。)

 山浦先生によれば、この物語は、実は20年も前に書きあげていたものだそうだ。その時点ですでに、先生の中に、こういう壮大な物語があった。「ケセン」への思いがあった。

 主人公の若者は、広大なエミシの大地(モシリ)を流れるピタカムイ大河のほとり、モーヌップの地で出会った男に、こう挨拶する。

 

「わたしはマサリキンです。ケセのオイカワッカから来た遍歴修行のものです。」

 

 ピタカムイ大河とは、北上川のことに間違いはない。北上の語源は「ひたかみ」ともいわれ、「日高見」の字をあてる。古代において、は行の「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音したらしいので、「ひた」は「ぴた」となるし、この「かみ」は「神」のこととして、そのアイヌ語である「カムイ」をあてて、ピタカムイと山浦先生が造語したものと思われる。

 ケセは気仙地方、オイカワッカは、恐らく大船渡市猪川町のことである。古代には、「ん」の発音は表記しなかったと言われ、「ケセ」と書いて、実は「ケセン」と発音していたはずともいわれるし、単語の冒頭の母音は、簡単に欠落する傾向があるともいわれるので、オイカワッカから、オが欠落したとすればイカワッカ、この最後の「ッカ」は、アイヌ語風に見せるためにくっつけた語尾だとすれば、これはケセン地方の「イカワ」のことであるに違いないことになる。

 というふうに、架空の地名、人名が、言語学の知識に基づいて、現実の名前から変換されて、創作されている、と私には思われる。

 また、敵役であるアゼティは、漢字で書くと朝廷の官職の名である「按擦使」であり、普通には「あぜち」と読むが、これも、古代には「たちつてと」が「たてぃとぅてと」であった可能性もあることから、あえて、なじみのない「アゼティ」という呼び方にしたものと思われる。そして、この人物の本名は「上毛野朝臣広人」、読み方は「カミトゥケヌのアソミピロピト」と振っている。

 このあたりも、まったくでたらめの名前をつけたわけではなくて、相応の根拠に基づいて、規則的に命名したものと思われる。

 また、この人物の出自は、いまの北関東にあった独立勢力の毛の国の王族の子孫で、大和朝廷に降伏して、大貴族となっている、西から来た征服者と土着民とが混血しつつ在地の独立権力として形成されたというようなことで、ここらあたりも、古代史の通説的なものから大きく逸脱はしていないはずである。

 さらに、血で血を洗う戦いの場面、そのあとのけがの様子を描く場面での、肉体の損傷を描く描き方は、まさしく外科医としての専門性があきらかと言うべきであろう。

 ということで、この一大空想叙事詩は、言語学、歴史学、そして医学に照らして、まさにほんとうにそういう事態が起きていたと言ってつじつまの合わないことのないリアルな物語になっている。

 このあたり、ほんとうに気持ち良くはなしが進んでいく。日本の古代史にまずは興味を持って、そこから読書に入っていった、さらに、現に東北地方、「ケセン」の地に住み続けているものにとって、こんなのは荒唐無稽ですじ道が合わないと感じることなく話が展開していく。今風の表現を使えば、「ストレス」がない、ということになろうか。

 古代、東北の地で、いかにもこんなことがあったかもしれない、あったに違いない、と思わせるような物語である。

 私自身は、現在の東北のわれわれは、縄文人の、エミシの子孫である割合よりは、西から来た征服民の血の割合のほうが高いはずだと考えている。平泉の藤原氏も、京都の藤原氏の末裔である。ただし、言うまでもなく混血であり、在地に独立の権力を持った。東北に、中央とは別の政権を打ち立てた。

 この歴史は、忘れ得ぬものだ。抹殺されようのないものだ。

 われわれまつろわぬ民という自己規定。

 鎌倉時代以降には、千葉氏、畠山氏、熊谷氏、斎藤氏、佐藤氏、その他もろもろ、関東の武士団が、領地を与えられ下向してきたし、黒潮に乗って、鈴木氏など紀州方面からやってきた海民もいる。いまの、われわれは、そういう名字を持ったものがほとんどである。そういう西からやってきたひとびとの子孫である。もちろん、混血しつつ縄文時代から土着していたひとびとの子孫でもあるわけだが、人数としては西からの植民者に比べ圧倒的に少なかったのではないだろうか。

 ではあっても、東北にあって、われわれまつろわぬ民、という自己規定は、重要である、というふうに、私としては考えているところである。そんな思いに強い共鳴を呼び起こすような物語である。

 下巻の帯には「東北の民よ、立ち上がれ」とある。上巻には「度肝を抜かれる面白さ」とある。

 まさしく、そういう物語である。


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