ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

中島岳志 保守と立憲 スタンド・ブックス

2018-08-01 23:02:00 | エッセイ

 サブタイトルは、世界によって私が変えられないために。

 1975年生まれ、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、南アジア地域研究、近代日本政治思想史。

 南アジアというのはインドのことだが、その地域研究と近代日本の政治思想史が専攻ということは、ガンジーに興味を持って、そこから政治思想につながって、ということかもしれないが、「パール判事」という著書もあるということは、戦後の東京裁判でのインド出身のパール判事が、必ずしも、アメリカを中心とした連合国側に立たなかったというところから興味関心を深めたということなのかもしれない。このパール判事のことについては、詳しいことは調べたことはないが、現今の、ここまでの政治の右派、左派の対立の中で、右派の「戦前の日本は良かった」とか、「決して間違ってはいなかった」とかの主張の論拠とされることもあるようで、現在の政治をめぐるアクティブな言論に結びつくものであるとは言えるはずである。

 さて、まず、保守とは何か、である。中島氏によれば、「保守」は「リベラル」であるとう。一般には、「保守」は「リベラル」とは対立すると考えられているところである。

 

「大切なのは、自己の正しさを不断に疑い、他者の多様性を認める姿勢です。」

 

 なるほど。

 続けて、

 

「異なる見解の人に対してバッシングをするのではなく、話し合いによる合意形成を重んじ、現実的な解決を目指す態度こそ重要です。/私はこのような態度こそ「リベラル」の本質だと思っています。そして、「保守」の本質だとも思っています。「リベラル」の反対語は「パターナル」です。「保守」ではありません。」(8ページ)

 

 歴史を遡ると、エドマンド・パークというイギリスの思想家がいたという。人間の理性が、それ自体は無謬であり、合理的に物事を進めれば、歴史は進歩し続けるという合理主義、啓蒙主義、進歩主義に疑問を呈した。

 

「近代保守思想の祖として知られる十八世紀イギリスの思想家エドマンド・パーク…は、フランス革命を支えた左派的啓蒙思想が、人間の理性を無謬の存在と見なしていることに疑問をぶつけました。バーク曰く、革命家や啓蒙主義者たちは、人間の理性を間違いのないものだと考えすぎています。合理的に物事を進めていけば、世界はどんどん進歩して行き、やがて理想的な世界を作ることができる、人間はユートピアを合理的に設計し、構築することができる。そんな人間観が共有されていることに、バークは違和感を表明しました。」(11ページ)

 

 理性をまったく信じない、進歩はあり得ない、という極端な考えではなく、人々が信じ過ぎていることは問題であり、合理的な考えを推し進めた挙句の「革命」はむしろ危険であると。

 

「保守が重視するのは、「革命」ではなく「永遠の微調整」です。そこには人間の能力に対する過信をいさめ、過去の人間によって蓄積されてきた暗黙知に対する畏怖の念が反映されています。」(13ページ)

 

 ここで、リベラルという考え方について、歴史を確認する。

 

「現代的な意味での「リベラル」という観念は、ヨーロッパにおいて宗教対立を乗り越えようとする営為の中から生まれたものでした。十七世紀の前半、ヨーロッパは三十年戦争という泥沼の宗教戦争(カトリックVSプロテスタント)を経験しました。…この戦争が終結した時、これ以上、価値観の問題で争うことを避けるため、異なる他者への「寛容」の精神が重要だという議論になりました。この「寛容」が「リベラル」の起源です。自分とは相容れない価値観であっても、まずは相手の立場を認め、寛容になること。個人の価値観については、権力から介入されず、自由が保障されること。この原則がリベラルの原点であり、重要なポイントとなりました。」(14ページ)

 

「「リベラル」の原理は、保守思想ときわめて親和的です。」(14ページ)

 

 余談になるが、今の日本にいると、カトリックであろうがプロテスタントであろうが、キリスト教の一派に過ぎず、その間に凄惨な戦いが繰り広げられたなどとは気づかないで過ごしているのが普通だろう。もっとも、三十年戦争は、歴史の教科書にも取り上げられているはずではあるが。

 気仙沼近辺の話でいえば、「ケセン語」の大船渡市の山浦玄嗣氏はカトリックであり、「森は海の恋人」の唐桑町の畠山重篤氏はプロテスタントであるが、そこには、なんら対立はない。そんなことを問題にする人は一人もいないだろうし、問題とする必要性もひとつもない。

 そして、立憲主義である。

 

「立憲主義とは、憲法によって権力に制約を加え、憲法をしっかりと守らせるというものです。「国民の人権を尊重しなければならない」とか「表現の自由を侵してはいけない」といったように、権力が暴走しないための歯止めとして存在しているのが憲法です。」(17ページ)

 

 この立憲主義は、民主主義と、時に対立してしまう場合があるのだという。

 

「しかし、この立憲主義は、民主主義の考え方と衝突してしまうことがあります。…(中略)…民主主義の考え方が絶対視されると、立憲主義を敵視する見方が出てきます。憲法は、国民によって選挙された国会議員の決定に対して制約を加えるのですが、これは民主主義への制約であり、国民主権への圧迫ではないか。そんな批判が出てくるのです。」(17ページ)

 

「保守は、民主主義の暴走に対して立憲主義の擁護を基調とします。」(19ページ)

 

 立憲主義は、暴走しかねない民主主義を制約する、政府と国民を制約するのだという。立憲主義という思想が制約するのであるが、この思想は、思想という限り、誰かの思想であるほかない。

 

「では、国民や政府は、憲法を通じて誰から制約を受けているのでしょうか?」

 

「それは死者たちからです。」(20ページ)

 

「立憲主義を否定する政府は、歴史や死者から解放された存在です。これは危険な存在です。」(21ページ)

 

 死者が、直接に、いま生きている私たちを制約するということは、普通には、あり得ない。

 私たちが、死者を想起し、それは、直接血のつながる誰か、直接薫陶を受けた誰かであるかもしれないが、本を読んで、学校での授業や講義を通して学んだ思想家、学者、著述家でもあろう。

 死者たちを含む民主主義ということばに、私がはじめて出会ったのは、思想家・西部邁の著書であった。考えは違うな、と思っていたが、不思議に引きつけられるものがあった。こないだも「保守の真髄」という遺書めいた本を読んだばかりである。

 このあたりの死者を含みこむ、つまりは、過去の歴史に学ぶ民主主義というのは、含蓄のある思想であると思う。

  この中島氏の書物は、真ん中に、立憲民主党代表の枝野幸男氏との対話「リベラルな現実主義」をはさみ、その後に、たとえば、柳田邦男、竹内好、河上徹太郎、福田恒存、吉本隆明、鶴見俊輔などという思想家が取り上げられ論じられている。

 枝野幸男との対談を含むということからも明らかなように、中島氏は、立憲民主党のイデオローグ、理論的支柱ということになるのだろう。もちろん、私は、これを肯定的に述べている。

 どうも、ここまで書いても、中野剛志氏とうまく区別がついていない。いまはまさしく中島氏について書いているところだし、手元に両方の本があるから、明らかではあるのだが、何も持たない状況では、どちらがどちらかよく分からなくなるだろう。


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