ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

酒井俊を、ヴァンガードで聴いた

2017-09-23 22:10:21 | エッセイ

 2年ぶりの酒井俊である。9月19日、火曜日、気仙沼市南町ヴァンガードにて。バックは、ピアノに伊藤志宏、パーカッションは、井谷享志の二人。

 歌も演奏も超絶技巧であるとか、肉体をもった存在自体が楽器であるとか、無機的な物質としての楽器では決してなく、生命に裏付けられ、深い感情に裏付けられた楽器であるとか、自由自在に闊達で、しかも、声の軸に一寸一分の迷いも狂いもないとか、いろいろ言うべきことは多いのだが、一昨年5月のライブについて書いたものを読みかえすと、同じことの繰り返し、ということにもなってしまう。語るべきことは、語っていた、ということだ。

 この夜も、酒井俊は、圧倒的であった。

 ひとつ、会場のヴァンガードについては、語ることがある。

 前の週から、当面、休業となった。店を仕切っているY***さんが、加減が少々、ということで、しばらく休むと。

 しかし、あらかじめ予定されていたこの日だけは、友人たちの尽力で、ライブを実施すると。ほぼ満席の観客の前に進んだ酒井俊は、ライブが実施できたことに驚きと感謝を述べる。

 前半では、ジョニ・ミッチェルの名曲、Both Sides, Now「青春の光と影」、そして、アンコール前の本編最後の、あまりにも有名過ぎるフランク・シナトラのMy Way「マイウェイ」、これらのよく知られた名曲たちは、溢れ出ざるを得ないようなウェットな情感を、ほんとうに最低限に抑えこんで、ドライに歌う。ドライに歌っているのに、ひとつも渇いていない。伴奏も絶対に歌い過ぎない。

 マイウェイは、その夜、そこにいない、Y***さんに捧げた歌唱であった。

 さて、この夜、酒井俊は、「満月の夕べ」を歌わなかった。それを歌っては、歌い過ぎ、となるところだった。何かが過剰、となるところだった。私の期待に応え過ぎ、となるところだった、ということだ。

 

 一昨年の酒井俊のライブのこと。

http://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/49616d0fccc32428c424f5dec8d695ad

 

 ヴァンガードのことは、ことし3月、YAHOOニュースに書かせてもらっている。

気仙沼市南町ヴァンガードでコーヒーを。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170308-00010001-yjnewsv-l04

 


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