ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

予感のなかに (改訂)

2015-08-11 00:19:50 | 2015年4月以降の詩

ものごとはいつも

予感のなかにあるときがいちばん美しい

 

実現するものが美しくなくていい

ということでなく

実現すべきものの美しさが

遡って

なおさらに

予感を美しくする

 

ときめき

とは

ものごとが成就するそのときに向けて

時が熟していく

その過程をこそ指し示すことば

 

成就した途端に

盛りはすでに過ぎてしまう

 

建築物の完成は成就ではない

有機的な組織機構が成長していく

その過程での

ひとつのエピソードに過ぎない

その都度の

とりあえずの着地点ではあるとしても

 

ほんとうの成就は

だから

いつも先送りしなくてはならない

 

その先に

 

しかし

その先は

阿弥陀仏のような何億光年ものその先

ではない

 

せいぜいが

わが子の

その子の時代までの地平

見通せる距離のなか

けして未来永劫のその先ではない

 

ひとは生きているあいだは

ひとに成りきれない不完全な存在

死んで初めて一個の人間になる

その間は成長する

せいぜいが子に孫にその果実を受け渡す

その限りでの

成長

 

ひとそれぞれの

ばらばらな尺度の成長がある

ひとつのものさしでは測れない

座標軸はばらばら

方角もばらばら

だから

地球の規模では

すべての成長は打ち消し合って

均衡してゼロ地点から動かない

はず

 

経済学の成長はひとつの仮説

仮の尺度をあてがった近似値の予測

経済学の予測が完全に実現することはない

さらに言えば

ある条件における解釈の問題でしかない

 

あなたはそれを知っているだろうか?

 

未来永劫の美しさなどない

そんなものに心が動かされることはない

 

ときめく今の美しさ

むしろその予感をこそ

 

注;4月の作品、少し手直しをしてみました。


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