詩人の丹野文夫さんが発行兼編集人なのだと思うが、B5版10ページほどの機関誌というよりは機関紙で、毎月送っていただいている。毎号読みごたえのある文章が掲載されているが、必ずしも読めているわけではない。今回は、冒頭の文章が目について、そのまますべて読みとおしてしまった。
ところで、このACTは、演劇研究会の通信なのだが、正直に言って、演劇に関する記事はひとつもない。いや、ときにはあるのだろうが、ほとんどない。この2月号にも出てこない。正確に言えば、最後の記録欄に、タイトルがいくつか並べられているだけである。
このあたりは、どういう経緯によるものなのか、仙台とは距離のある気仙沼に暮らす人間としては謎である。仙台演劇研究会なる組織が、ほんとうに演劇を研究しようとする組織なのかどうかも含めて。
冒頭「『小さな物語』が生み出す磁場」と題した文章は、医師で仙台演劇研究会所属の平石浩文氏によるものである。
厚生労働省がホームページに掲載した公的年金についてのマンガがツイッターなどで叩かれているらしい、というところから話は始まる。
「二十歳代から三十歳代にかけての世代と話をしていると、世代間格差についての被害者意識は、『怨念』とさえ言える水準のものであることがわかる。…(中略)…年金だけではない。団塊及びその下の世代(四十歳代後半ぐらいまで)は正規雇用があたりまえの『おいしい時代をすごした世代』、現在の自分たちは非正規雇用が大多数の『不幸な世代』。そのような嫉妬も混じっているように思える。/私見だが、近年の若年層の右傾化や排外主義も、世代間被害者意識の怨念の結果ではないかと睨んでいる。若年層からみれば団塊は全共闘世代でサヨクである。…(中略)…団塊の世代に対する反発が、彼ら彼女らの右傾化や排外主義を後押ししているように思えてならない。」
戦争や冷戦など世界の状況から規定される「大きな物語」ではなく、あくまで国内的な世代間格差などの「小さな物語」の影響力が大きくなっていると。
「私のような五十歳代は…(中略)…小さな物語の影響力は、戦争や冷戦構造にも比するぐらい重大なものであることを、認識する必要がある。」
詩人の竹内英典さんは「パブロ・ピカソ『母性』」
「ヨーロッパの伝統では、死んだ子を抱く母の姿は、磔刑にされたイエスを抱くマリア― 嘆きの聖母(ピエタ)に、また、母が子を抱く絵は、マリアが幼いイエスを抱く聖母子像に連なる。つまり『ゲルニカ』の母子像はピエタであり、『母性』は聖母子である。」
「見るごとに、『母性』は、ぼくのこころをすっかり溶かしてしまう。匂うような気品に満ちた顔立ちの豊かな裸体の母親に抱かれた裸ん坊の赤ん坊。…文字通り聖母子である。」
「どのような母子も聖母子である。何処でどのように生きていようと、いまやむなく子どもを手放そうとしていようと、首に手をかけようとしていても、二人は聖母子である。…殺戮と飢餓の時間に離れ離れになっていてもかれらは聖母子である。『母性』は『ゲルニカ』の殺された子を抱き泣き叫ぶ母から生まれたのだから。」
「今月の一冊」は、北大の文学の教授押野武志氏による、河出文庫のミステリー、深水黎一郎作『最後のトリック』の紹介。「一生にひとつの詩」は、「山形詩人」編集の高橋英司氏による秋亜綺羅さんの詩「秋葉和夫校長の漂流教室」(詩集「ひよこの空想力ゲーム」(思潮社)所収)の紹介。詩人佐々木洋一さんは「江刺追分 北海道民謡」で、北海道で暮らした両親と叔父の人生を振り返る。樋口洋作氏は、「違和感の本質」と題して、仙台一高の先輩・菅原文太の「仁義なき戦い」のこと。社会文学会員の山岸嵩氏「反戦歌うと『監視』対象のミュージシャンが警鐘」。
最後のページは、丹野文夫さんの詩「朝」。
と、今回は、最後まで一気に読んでしまいました。
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