吉野弘の名前を聞いたことがなくても、ここにおさめられた詩の何篇かは知っているというひとは多いはずだ。
吉野弘は、現代詩の中では、読みやすい、分かりやすい詩の代表格になるだろう。分かりやすいのだけれど、人間に共通する感情とか出来事を深く切り取って表現してくれる。今の時代を代表する詩人として、片手を折る中にも数えられるような詩人。
表題のとおり、詩人と共に暮らした家族、良き読者でもあり続けた妻と娘が選んだ選詩集であり、言わば「ベスト・アルバム」であるような詩集である。
たとえば、「祝婚歌」、「I was born」、「夕焼け」。タイトルだけでも、ああ、とうなづいたひとはいると思う。
少しづつ引いてみようか。
「二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい」
「祝婚歌」の冒頭である。
結婚式で読みあげられる定番の詩。恐らく現代詩のジャンルで、披露宴の席上でこの詩以上に登場するものはないはずである。
私の妻も、なんどか友人の結婚式で朗読したことがある。
もうひとつ、
「少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさに〈受身〉である訳を ふと諒解し た。僕は興奮して父に話しかけた。
― やっぱりI was bornなんだね ―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
― I was bornさ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね ―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。」
「I was born」、5連目の途中まで。
中学校の英語の授業で、導入に使う先生もいるだろうし、むしろ、倫理とか社会科のほうか、大学の哲学の講義でも、ひとつの素材として使いたくなるような作品でもある。
「夕焼け」は、以下のように始まる。
「いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。」
さる教師の友人が、この詩も教育現場で良く使われる詩なのだ、と言っていた。
どうだろう。この3篇の詩、どこかで聞いたことがあるはずである。
おや、ここの二つの詩は、どちらも「。」(句点)を使っている。散文詩か。いや、純粋に散文詩というより、特に「夕焼け」の方は散文詩と行分け詩の中間点のような詩だ。詩人は、さらりと書き流しているように見えて、実は推敲を重ね最適な表現を探し求めた結果としての作品であることに間違いはないようだ。
私自身、あらかじめ知っていた作品ではない詩のうちで、そうだな、冒頭から二つめに収められた作品が「奈々子に」。実は、これも相当に有名な詩であるらしい。
「赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子
(中略)
唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。」
一連目と、三連目である。
この詩集のあとがきは、この詩にうたわれた長女久保田奈々子さんが書いている。
「この詩は父が二十代最後の頃に作った詩で、吉野弘の代表作のひとつとなりました。…(中略)…ところが数年後中学校の国語の教科書にこの詩が掲載されました。…(中略)…この詩はあまりに有名になりすぎてしまいました。独り歩きしていくこの詩がだんだん自分から遠ざかっていくような気がしました。わたしはむしろ詩の「奈々子」を追いかけるように、この詩を味わうことになりましたが、同時にこの詩に込められた思いが重荷になり、それからずっとその気持ちは消えませんでした。」
実は、昨日、この詩に出会って泣いて、今日、このあとがきを読んで泣いた。我が子に重荷をかけまいとして「多くを期待しない」という詩であるにもかかわらず、それが重荷になってしまうパラドクス。
「この詩が嫌いだったわけではありません。…(中略)…結婚して長女が生まれ、娘の寝顔を見ていた時に、ふとめずらしくこの詩を思い出し、手にとって読んでみて涙が止まらなくなりました。」
そうだろうな。当事者である娘としては、そうならざるを得ない詩だな。
この詩を読んで、私が、翻ってわが身を顧みるに、というところはある。私は何をしたのだろうかと。が、しかし、それはここでは省略する。そのうちに書くことはあるだろう。
ところで、吉野弘は、若い頃のサラリーマン生活を経て、その後は、コピーライターとして生活したらしい。
ひと昔前であれば、詩人の職業がコピーライターであるということは、糊口を塗する生業ではあっても、むしろ、隠しておきたいという類のことだったかもしれない。詩という純粋な言葉の芸術に対して、実用的な、商業的な二級の使用法、みたいな差別があった。
しかし、いま、この時点に立ってみると、彼がコピーライターであったという事実は、彼の詩の長所をこそ成立させた要素である、と言って良いような気がする。どうだろうか?
「コピーライターとしての吉野弘」というような論考はぜひ読んでみたいと思うし、現代詩論としても大きな意義のあるものになるのではないか。
実際、どんな仕事を残したのだろう。コピーライターとして。だれか教えてくれないだろうか?
ちなみに、この本は、本吉図書館の新着図書。明日17日の朝には、返却しておきます。自分でも買っておこう。手元に置いておきたい本の一冊だな。
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