ずいぶん前、20世紀中に書いて、地元の新聞に載せたもの。
エル・ヌメロ・ケセンヌマ
ー気仙沼、顕数3ー
7月30日の気仙沼にどんな風が吹いていたか、今となっては定かな記憶がない。
ついに梅雨が明けずじまいの夏とも呼べない夏で、地中海風の乾いた風が吹きわたって
いたということだけはないはずだ。
人にあふれたホールで、握り寿司をほおばりながら、サルダーナの踊りを見た。
「ここには軽快さがある。ひねくれた複雑さのかわりに、ここにはのびやかな単純さが
ある。…ジプシーフラメンコの対極にあるようなこのサルダーナは、ほとんどカタルーニ
ャ人の人生そのもののような踊りだ。」(中沢新一「バルセロナ、秘数3」中央公論社
1990.6.7初版22~23頁)
メジャーなのに3度と7度がどうしてもフラットしてしまうブルーなブラックミュージ
ック系統に慣れ親しんできた耳には、サルダーナの音楽は、どうにもあっけらかんとひっ
かかりがない。ジプシーキングズのジャカジャカしたフラメンコギターや、ジプシー風の
バイオリンは好んで聴くが、そういうものとは、何の関わりもない明るく軽く乾いた音楽
である。
これは、ギリシャ・ローマ以来の地中海的なヨーロッパの典型なのかもしれない。カタ
ルーニャは、スペインの中で他と明確に区別された特別の地域だという。いわゆるラテン
系で情熱的なスペインではないということだろうか。(このラテン系とは、古代ローマの
言語であるラテン語系の言葉を使う地域、人々の意味だが、どうも、イメージがうまくつ
ながらない。逆転している。)
「19世紀の末…バルセロナはスペインのなかでゆいいつ資本主義の発達した街だった
。」「世紀末文化は資本主義と機械技術の発達と、それに触発されて浮上してきた新しい
『自然』の感覚の登場というふたつの顔から成り立っている。…ここバルセロナのモダニ
ズムにおいては、地中海の海と太陽と生き物が育んできた自然の感覚が、いっせいによみ
がえってきたのだ。」(同上24頁)
気仙沼の海の道には、ガウディ風のトカゲのベンチが置かれ、パブロ・カザルスの鳥が
漁船の見送りデッキの上、街灯の上にたたずんでいる。
これまでの気仙沼が、獲ってきた魚を売り捌くことのみで成り立ってきた経済優先のま
ちであったとしても、いま、二十世紀末、三陸の海と太陽と生き物(森や魚介など)が育
んできた自然の感覚が、いっせいによみがえってきている。
海の道は、全国のふるさと創成事業のなかでも出色の(あるいは異例のとさえ言えるか
もしれない)成功事例だろう。
気仙沼湾を別に鼎ヶ浦と呼ぶこと、さらに、鼎とは三つ脚の器であることはあえて言う
までもないことだが、3とは「エル・ヌメロ・カタルーニャ」カタルーニャの数なのだと
いう。中沢新一の引用の書名の由来である。これが気仙沼の数であるとも言える。
何故、3なのか。さまざまな理屈は立てられているようだが、結局のところ、カタルー
ニャ州が、三角の形をしていることに由来するようである。気仙沼湾に、神明崎、柏崎、
蜂が崎の3つの岬があるということと同工である。「ひねくれた複雑さのかわりに、ここ
にはのびやかな単純さがある。」ということで、地中海風の乾いた風(寒風?)が吹きわ
たったところで、唐突に拙文を終えることをご容赦いただきたい。
ただし、カタルーニャは、スペインのなかで、強く自立を希求し続ける地域であるとい
う。気仙沼が、そこに連携することの意義は大きい。
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