鷲田清一は、哲学者、前大阪大学総長。臨床哲学を唱える。1949年生まれ。
このひとは、読むべき著者、とも思っていたが、あえて読む意味があるか、とも思い、手に取るまで至らないでいた。
中村雄二郎こそは、現在日本において最高の哲学者である、とずっと思っている。(ウィキペディア見ると、1925年生まれで、まだご存命のようだ。大正15年、私の父と同い年、90歳。)共通感覚論、バリ島の魔女ランダ考を著し、演劇的知、パトス(受動)の知、臨床の知を唱えた。
臨床の知、というのは、医学の臨床に由来するものであり、直接には河合隼雄の臨床心理学を踏まえて生み出された言葉だ。
臨床哲学というのは、中村雄二郎の影響のもとに語られた言葉であることに間違いない。
鷲田が、魅力ある書き手だとしても、中村雄二郎をそれなりに読みこんだ人間があえて読む価値があるかどうか。中村雄二郎が言っていないようなことを言っているのかどうか。
ほぼ冒頭で、鷲田自身が以前に書いた「哲学クリニック」という本を引用している。
「「哲学クリニック」では、…中略…薬を出す側が、クライアント以上に深く病にかかっている可能性もありますので、服用するばあいに、いつもちょっとは懐疑的であってください。ついでに「治る」ということじたいにも懐疑的であってくだされば、効能はすこし増すかもしれません。「哲学クリニック」は、治療することをも疑ってかかるヘンな病院です。」(14ページ)
これは、臨床医学を真似た臨床哲学の宣言である。
懐疑的であること。これは、デカルトの方法的懐疑である。最初から切って捨てるための懐疑ではない。確実なことを探すための懐疑である。しかし、もちろん、世間的な常識をそのまま受けいれるのではなく、少し疑ってかかること。先入観で決めつけるのでなく、物事を良く見て、自分の頭で整理して、ありのままの姿を見いだすこと。
より良き道を見いだすための一種の方法としての懐疑。
たとえば、こころ。「こころ」とは何か。先生が「こころ」といえば、生徒はとりあえず分かったような気がしている。でも、ほんとうに私たちは、心とはなんなのか分かっているだろうか?
「わたしの「こころ」は目に見えない。それはわたしの名前がそうであったように、あるいはわたしの「こころ」のかたどりがそうであったように、まわりの他者から贈られるものなのだ。大事にすることが「こころ」を生む……。」(33ページ)
こころは、確かに直に目に見えるものではない。そして、自分で持っているものではなく、他から贈られるものだという。これはいったいどういうことだろうか?
生まれ出た赤子は、まだこころを持たない。身近に、真心を持って子どもを育てる親があって、はじめて子どもはこころを獲得する、というようなこと。
さらには、あの「星の王子様」を引用する。
「こころで見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」(34ページ)
こころは、こころで見なくてはよく見えないということになる。わかったようでわからないことだ。しかし、ここには確かに言い当てている事態がある
さらに、たとえば、仮面。
「仮面は、ふつう思われているように偽装の装置なのではなくて、同一性の檻の外へとひとを誘いだす装置なのだ。それは、「わたし」が知らないわたし、「わたし」へとまとめるために抑えつけてきた別のわたしを、その陰のなかから再浮上させる。(47ページ)
仮面舞踏会の仮面、オペラ座の怪人の仮面、能楽の能面。
それは「わたし」を隠しながら、「わたし」を明らかにする道具だと。
そこでいう「わたし」とは何者なのか。
「わたし」は単純ではない。あるいは、単数ではない。「わたし」は、複雑なもの、複数性のあるものだと。
「わたし」は行動するもの、意志決定するものである。しかし、話はそれほど単純ではない。シンプルではない。
「近代人は、「自由」ということを、何でも自分の意のままになること、つまりは自分が自分の主人であること、自己決定の主体であることに求める傾向がある。けれどもこれは近代人の思い上がりで、わたしたちには自分の存在すら自分の自由にはならない。」(89ページ)
しかし、自由にならないということは、そんなに悪いことではないのだという。
能動的に、自ら決定し、自ら選択し、というばかりではない方法。受け取ること。受動的であること。
「未来との時間的なかかわりは「時を駆る」というかたちばかりをとるものではない。「時を駆る」「めざす」のちょうど反対方向のかかわりが、何かの「訪れを待つ」ということだ。あるいは「機が熟すのを待つ」ということだ。これは未来というものに自分の方から何か仕掛けるのではなく、向こう側から何かがやってくるのを待つという、一見したら受動的な姿勢である。」(86ページ)
待ちの姿勢でいること。ゆっくり待機すること。受け取ること。
ここで言っていることは、中村雄二郎の「パトスの知」と同じである。
「ここにも味な日本語があって、「寝かせる」という言葉がある。これはものがおのずから塾生するのを待つということだ。」(87ページ)
「「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている」。十七世紀フランスの思想家、パスカルの言葉をあらためてじっくり噛みしめておきたい。」(145ページ)
強く能動的に、何でも思い通りにしようとする人間は、逆に弱いのだという。思い通りになることなどほとんどない、と知っているひとほど、実は強いのだ。
以下は、最近の日本の社会のありように関して。
「市民(シティズン)であるはずのひとびとが、サーヴィスの「顧客」もしくは「消費者」とみずからを勘違いしている。このところ、まちににぎわいを取り戻すとしてさかんに「集客都市」というコンセプトが語られるが、都市における市民はお金を落とす「客」ではなく、まずはまちを運営する「主」であること、このことを、市民は、そして行政もしくは都市プランナーは、このサーヴィス社会に溺れて、忘れ果てているのではないか。(168ページ)
「あるいは、「コミュニティ」という合い言葉。かつて多くの若者があれほどそこから出たがっていたコミュニティ、つまりは地域共同体に、ひとはなぜ何のためらいもなく憧れるのか。コミュニティはかつてわたしたちがそこから逃れたいものの筆頭ではなかったのか。そうした帰趨を顧みつつ「コミュニティ」の概念がいまこの社会でもつ意味を検証する作業も。社会科学者の氏名のように思うのだが、これも本気で取り組まれているようには見えない。」(176ページ)
以上の二つの引用は、一見相反することを述べているようにも見える。「個人」と「公共」、「個人」と「共同」との関わり。「個」と「公」、どちらが大切なのか、どちらが根本的なのか。言うまでもなく、これは、どちらか一方だけが大切、ということではない。どちらも大切なのだ。
しかし、そのつど、わたしたちは、そのときの解を求めなければならない。右か左か選択しなければならない。
それは、そのとき、その場で見ることとともに、できる限りその場から遠くへこころを離し過去と未来をも見通す、その双方を踏まえたうえで判断を下すということが必要になる。
「「見えているのにだれも見ていないものを見えるようにするのが、詩だ」と、詩人の長田弘さんはかつて書いた。…中略…そういう視界を概念によって開くためには、「わたしたち」の生のうんと外側に光源をとって世界を見るようなまなざしが必要である。…中略…ひとは「わたしたち」の外輪山のさらにその外側に視点をとって、いわばもっと「大人げない」夢を見なければならない。」(187ページ)
最近流行の人事評価や、明確な尺度を設定して達成度を図る風潮に対して。
「達成度評価では、計画を立てたときに視野にあったものをひとつひとつ達成できたかどうかをチェックするだけで、当初視野になかったけれどいろいろ考えた結果もっとよい方法が見つかり、それに沿って違う方向で仕事をするというような発展的な仕事はまったく評価されない。そう、創造的な仕事は評価されないのだ。ここでもひとは、創造という出来事がとつぜん、予期せぬ時に起こるその時を待てなくなっている。」(79ページ)
ふむ。どうもここまで書いてきても、この本について、いまひとつ明確な分かりやすいことが書けない。難しい書物だ。あ、そうか、「わかりやすいはわかりにくい?」という書名である。もっともなことだ。しかし、読むべきものであることに間違いはない。魅力ある文章である。
考えてみれば、中村雄二郎とは、親子ほども年が離れている。いま改めて、中村にインスパイアされた哲学を語るひとが現れて然るべきことではある。目についた本は引き続き読んでみようと思う。
臨床の知、パトスの知、演劇的知。最近、私自身の行動の様式、ひととの接し方、仕事の進め方を顧みるに、ことのほか大きく中村雄二郎の考え方に影響を受けていることに気づいた。サルトル的な能動性、アンガージュマン(参加)に影響された層と、中村的なパトス、臨床の知に影響された層、そのふたつの層の重層がわたしを作っている。それは、大人になってから表層的にということだけでなく、ずっと小さな頃からのわたしの精神の性癖のようなものとうまく溶け合って重層しているということなのだろうと思うが。
ところで、鷲田小彌太という1942年生まれの哲学者がいて、ちょっと混同していた。一冊本を読んだことがある(http://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/518521ebdf3813c5d6442c023c766e06)が、その哲学は全くの別物であるようだ。近い縁戚関係があるということでもなさそうだ。
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