ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

村上龍「55歳からのハローライフ」幻冬舎 (ツイートから再掲と補足)

2014-06-30 10:55:00 | エッセイ

 これも、経済学だな、一種の。これ、2か所ほど、泣いてしまった。涙が落ちはしなかったが、涙腺が活動した。まさしく、私のため、まあ、私の年代のために書かれた連作小説だ。

 私が淹れたコーヒーは、美味いし、休日はそのコーヒーを飲んでゆっくりする。

 喫茶店とかカフェとかの評価は、私が自分で淹れたコーヒーの味との比較で決まる。

 既に退職したとか、もうすぐ退職するとかの年代。でもこの村上龍の小説は、前向きの希望のある再出発を描いていて、よろしいことと思う。深刻に真面目になり過ぎず、読む楽しみを与えてくれるが、しっかりと考えさせてもくれるし、納得もさせられる。小説というのは、こう書かなくてはいけないのだな。

 ま、そういうことで今夜は寝ようか。少しづつ、ひとつの詩の構想もどこか頭の奥のほうでで温めつつ。心の奥に潜み、少しづつ滲みだしてくるようなものを。

 

 以上は、2013年2月20日のツイートの再掲。私自身は、56歳の時点。ブログに、読んだ本の紹介を書き始めたのは、いつからだったか?ようやく1年くらい経ったかどうかということか。ブログ内を検索すれば分かることだが。この時期は、ツイートに連投で書いていた。

 夕べ書いた、気仙沼のカフェ事情についてのエッセイと同じことを書いている。無意識と意識のはざまの記憶、前意識みたいなところの記憶がつながっている、ということか。

 いま、NHKの衛星放送で、この連作小説がドラマ化されている。5つの短編が、それぞれ、ドラマの一回分にちょうど良いだろうな、と読んだ時から思っていた。

 最初のリリー・フランキーが主役の回が、まあ、コーヒーが出てくる。わざわざ手動のミルで豆を挽くところから、何度も描かれる。このミルがどこかのメーカー製のたいへん優秀な機械らしい。昔の手回しのミルのイメージとは全然違うらしく、手間がかからずに挽けてしまうようだ。

 私は、もっぱら電動ミルだが。

 このリリー・フランキーという役者かタレントか(もちろん小説家だけど。読んだことはない。)も、ずいぶんと流行っているものだ、CMとかMCとかドラマとか。このドラマを見ながら、ああ、なるほどな、とちょっと分かったような気もしてきた。この、見かけはさもない中年男がこれほど、起用される理由が。

 しかし、実際に淹れたコーヒーは、私のほうがうまい、はずだ。と、これは無用な対抗意識。

 ところで、冒頭の「経済学だな」というのは、少し説明しないといけないな。村上龍が、しばらく前から現代社会の経済に関心を持っているのは周知のとおり。でもないか。「13歳からのハローワーク」という、イラスト入りの大判の本は、続編も出たりした。この連作小説の題名も、それにちなんだものであることは言うまでもない。55歳からの生活というなかに、経済的な事情(家庭の)だとか、状況(社会の)だとかが反映されていることに間違いはない。村上龍は、そういう部分をこそ書いている。リリー・フランキーの回も、早期退職して、退職金の割り増し分でキャンピングカーを買うとか買わないとか、お金が多少心配なので再就職するとかしないとかがテーマだ。

 ドラマは、先週見損ねたが、あと2回楽しみにしている。小説のほうも、是非、読んでほしい。お勧め。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿