ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

奥本大三郎 奥山準教授のトマト大学太平記 幻戯書房

2014-06-23 14:05:04 | エッセイ

  

 トマト大学というのは、国立大学なのだが、半独立行政法人なのだということである。

 「奥山先生の勤める「トマト大学」はもともと国立大学だったのだけれど、最近、半独立行政法人というものに切り替えられて、文科省からの補助金が減らされる、このままでは予算が足りなくなる、もっとお役人にアピールすることを考えなければ、とあせりはじめた。」(9ページ)

 奥山準教授は、役に立たないからと補充されないフランス文学の、最後にひとり残った専任教員とのことである。フランス文学など学んでも、社会に出て何の役にも立たないみたいな話で、端的に言うと、就職口がない。そんな学生を供給しても無駄である。そもそも、そんな専攻に入学しようとする学生などいない。みたいな理路になる。

 大学にたったひとりの専任教員で、定年間際なのに、教授にもされない、万年準教授(会社で言えば、部長になれない万年課長とか、万年係長とかいう立場。)である。それで、名前は、奥山万年だそうだ。奥山万年準教授である。

 いま、国立大学は、すべて国の直轄から切り離されて、独立行政法人の一種である国立大学法人化されているのはご存じのとおりである。国立と称しながら、外郭団体化されている。東大など旧帝大も、埼玉大学など地方国立大も同様である。

 この小説では、「国立大学法人」ではなく、「半独立行政法人」という形態となったということとされている。これは、もちろん、名称が「独立…」であっても、実体は、従属、あるいは、隷属というと言い過ぎかもしれないが、「実は全く独立しておりません」という事態を揶揄して、そう名付けたものである。

 あ、そうそう、「大学の自治」などは古くさく、既得権益だからぶっ潰せなどという議論がある。「経営の効率化」だとか「判断の迅速性」だとか言って、教授会の権限をなくし、学長に権限を集中させようという議論。これは、外から(上から)大学を支配しようとすることに都合がいい議論に過ぎない。個人による統治ではなく、集団的な自治ということがとても大切だという話。これは、稿を改めて考えてみたい。(というか、内田樹師などが、何度も言っていることの焼き直しにしかならないだろうが。)もちろん、これは大学だけのことではない。集権から分権へ、である。

 さて、トマト大学だそうだが、日本のどこかにトマト銀行というのがあった。まだ存続しているのだろうか?西のほう、岡山かどこかの地方銀行だったはずだ。社会的にちゃんとした組織の名称は、すべからくお堅いものでなくてはならない、などという旧来の常識をぶっ壊す、という威勢のいい掛け声でそんなことになったはずだが、それはそれで、悪いことでもなかったと私は思う。 

 奥本大三郎先生のことだから、トマトであれば、そこらに放置しておけば、アリやらキリギリスやら、昆虫が寄って来る、それと同様に、昆虫同様のそこらの受験生が名称にだまされて寄って来るという理路で、こういう大学名もアリであろうと構想されたに違いない。結構まじめに考えられたのだと思う。(決して、本の題名で読者を騙して釣ろうなどと浅ましいことを考えられたとは思わない。もっとも、この題名で釣られて買うような読者もそんなにいるとは思えない。)

 この大学は、ほぼ九割方、埼玉大学、その教養学部がモデルであると言って間違いはない。

 埼玉県さいたま市に所在する首都圏の国立大学だが、旧制高校を母体とする地方国立大学であり、なんとも中途半端でもあるような、いわゆる駅弁大学のひとつ。

 昔々、一期校、二期校の制度があった時代(センター試験の前の共通一次のさらに前だ)に、東京およびその周辺で、フランス文学やら哲学やら、特に文化人類学を学びたいと考えた受験生は、東大の滑り止めとしては、埼玉大学教養学部を受験するほかなかった。(私大を除く。)(いや、よく考えると東京外大でもよかったのだが、あまり語学はやる気ないし、などと生半可な考えを持った人間にとっては、のこと。今になってみれば、語学を学ばずして、何の文学だったか、哲学だったか、というようなことである。あ、これは個人的なお話でした。)

 奥本大三郎先生は、フランス文学者にして昆虫愛好家。ファーブル昆虫記の翻訳者として知られる。小説としては「パリの詐欺師たち」(二〇〇八年集英社)がある。長く埼玉大学教養学部でフランス文学の教授を務められた。(ご自身は、万年助教授ではない。)

 私は、先生がまだ非常勤講師で埼玉大学にいらしていた当時に、一年間、フランス文学特殊講義で、ランボーの詩をご指導いただいた。当時は、横浜国立大学かどこかで助教授だったか、常勤講師であったかのころだ。たぶん、学生は七~八人で、教室ではなく、フランス文学の研究室で講義を受けた。特殊講義とは言っても、内容的には演習で、ひとりひとり割り当てで、ランボーの初期詩編を訳していく。「麦にちくちく刺されながら」だとか、「太陽と一緒に行ってしまった海」だとか、「真夏の正午の海水浴」だとか、まあ、そんなこと。

 実は、奥本先生のランボーは三年生のときの一年間だけで、翌年は、残念ながら先生のご都合か何かで開講されなかったのだが、白百合女子大だったか、須長先生という方のボードレールは、私ともうひとりの学生二人だけで、二年間続いた。「倦怠」だとか、「憂鬱」だとか、「ダンディ」だとか言って。

 まったく空贅沢な話である。こんなことで、相当の税金を浪費いただいたわけだ。

 今の大学では、こんなのは、許されなくなっているのだろうな。

 私自身が、それだけ税金を使っていただきながら、どれほど、ボードレールやランボーを身につけているかと問われると、悲しむほかないわけだが、この無駄、この浪費、この贅沢な時間、これこそが、教養、なのではないか。こういう大学の存在の仕方こそが、現在の日本の分厚い財産になっているのではないか?

 効率だとか、費用対効果とか、すぐに役立つ実学だとか、それは、無駄な教養が裏打ちとしてあってこそ、有効なのではないか?この一見無駄な教養の蓄積が失われていけば、実学の効用は、やがて失われてしまうのではないか?つまり、日本は潰れてしまうのではないか?

 なんてね。

 フランス文学の研究室で、スコッチ、ハイランドタイプというのか、ホワイトホースだったような気がするが、まさしくお酒であるのに、豊潤で甘く、濃厚なクリームのような味わいだった。はじめて、そういうウィスキーに出会った。それをお持ちいただいたのが奥山先生だったはずだ。講義のあと、夕方にそのままそこで、皆でグラスを傾ける。氷も何もなかっただろうから、少しづつ口にした程度だろうが。当時は、そういうことが許された時代だ。経験したことのない海外の文化に触れたときだった。(イギリスのスコッチであって、フランスのブランディではないというあたりは置いておいて。あれ、ちょっと変だな、イングランドはスコットランドではない。)

 というわけで、この小説は、奥本先生が、まさしく私のために書いた小説である。有難いことである。もっとも、先生は、四〇年近く前の、仏文専攻でもなかった一学生など覚えておられるはずもないが。

 (私は、専攻は、哲学・思想ということになっているが、そうだな、パスカルは若干原典で読んだけれども、大学の三年、四年と、ランボー、ボードレールには、相応の時間を費やした。しかし、仏文専攻とはおこがましく、まともに専攻と呼べるものなど何もないのだ。四年間、一般教養のみで過ごしましたと、つねづね言っている。)


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