ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

古い2本のポプラ

2014-06-16 10:43:48 | 肯定する

建築が完成すると

それがすぐに見慣れた風景になってしまう

取り壊された以前の構築物は

もはや古い記憶のようにかすんでしまう

 

そのもう少し前には

大きなポプラが2本川岸に並んでいた

大きなポプラと

少しだけ丈の低いポプラと2本

夫婦のような樹木

夫婦ポプラ

夫婦杉でも

夫婦松でもない

 

ポプラであれば

恋人ポプラとか

そのほうが似つかわしいか

 

ネーミングはどうであれ

小さな方の一本は嵐で自然に倒れ

もう一本は危険木として

人為的に倒され

もはや人間の淡い記憶の向こうにしか残っていない

 

それからいまはもう

新しい橋が完成し

2本のポプラが立っていた場所は

道の真ん中になってしまった

 

古い橋の撤去は終わり

その両岸の土手が崩され整地されかけて

まだ作業が終わらないが

橋自体はもう失われ

もちろん作業用の仮橋もすべて撤去が終わり

 

いまは一回り大きくなった新しい橋が

道路が接続され頻繁に車が往来する新しい橋が

そのものとして鎮座している

昔からその場所にあったかのように

新しい交通路が機能している

 

大きな2本のポプラの木は

もはやいまの子どもたちの知らない2本の樹木は

おとなの記憶の中にだけ

うっすらと存在している

 

取り壊された橋

かたわらに細長い歩道専用の橋が付随していた古い橋は

まだ子どもたちの記憶に新しいはずだが

それもやがて

かすんで行ってしまうだろう

 

この新しい橋が

あたかも

ずっとむかしからそこにあったかのように

鎮座している

道路も

この橋に接続している


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