久しぶりに、大江健三郎の小説。
いつものような大江健三郎の世界。
仮名や匿名で登場する、彼の人生において彼と深く関わった人物たち。六隅先生、岡厦(おかひさし)、篁透(たかむらとおる)、塙五良(はなわごろう)、作家K、文化人類学者、建築家。この小説のなかでの描かれ方、重点の置き方、登場の頻度はそれぞれだが、さて、これらはそれぞれ誰か。当ててみてほしい。
はい、答えは、六隅先生はフランス文学の渡辺一夫、岡厦(おかひさし)は作家・井上ひさし、篁透(たかむらとおる)は作曲家・武満徹、塙五良(はなわごろう)は映画監督伊丹十三、作家Kは、これは恐らく小松左京、文化人類学者は山口昌男、建築家は磯崎新。(作家Kは、一度だけさらりと登場するのだが、確証はないが、小松左京で間違いないと思う。)
この中で、この小説においての主要な登場人物は、言わずと知れた塙五良である。主人公が、四国の谷間の森の中から出て、県都松山の新制高校に転校した時の年上の同級生で、後の夫人の兄。
もうひとりの主要な登場人物が、ギー兄さん。作家の、谷間の家の本家筋にあたる、十歳年上の男性。
このふたりの、既に死んだ友人たち、自然に年齢を重ねて病気で死んだということでない死に方をしたふたりの人物と、作家との関係が、この小説の縦糸をなす。
このふたりとの関係というのは、なんというかダイレクトに生きていたことをはじめて文章にするということではない、というのは、大江健三郎を長く読んでいる人々にとっては自明のことと言っていい。これまでの作家の数多くの小説に描かれてきた、その描かれ方の再点検ということになる。
この再点検は、作家ひとりの手になるものではない。むしろ、主人公の作家というより、別の3人の主要な登場人物が再点検の役割を担うというべきだ。別の3人の女性たち。
そして、この女性たちは、やはり、作家の小説に繰り返し登場してきたひとびとだ。それぞれが、作家による描かれ方に不満を抱いていたという。描かれることによって多大な影響を被ってきた。その影響とは迷惑とすら言えるような。その修正を図る。その修正は、塙五良やギー兄さんの描かれ方の修正でもあるような修正。
この3人の女性とは、作家の妻(五良の妹でもある)、作家の妹(ギー兄さんと同じ谷間に今も暮らし続ける)、そして作家の娘。
小説は、作家が自分で書いた部分と、その3人の女性がそれぞれ書いた(とされる)部分と交互に配置される。
そうそう、ここまで書いてきて、書き落としていたもうひとりの重要な人物。もっとも重要な人物というべき登場人物、長男アカリ。本名は、大江光。あの優れた作曲家。大江の小説の中で、繰り返し繰り返し描かれてきた、障害をもった息子。大江の小説の豊かさの源であるような長男。(もちろん、豊かさと言えば、もうひとつ、四国の谷間の深い森をこそ挙げておかなければならない。)3人の女性の中で、作家の娘(真木と呼ばれる。)は、その兄アカリの再点検を主に担う役割となるのだろう。
晩年の様式とは、作家自らが小説家として長年書き続けた小説群の見直し、再点検をこそ小説とするというスタイルのことにほかならない。
長年、彼の小説を読み続けてきた者にとっては、ああ、あの時のあの作品、中期のあの作品、後期のあの作品と、いちいち思い出しながら、思い出して記憶と参照しながら読む、ということになる。自ずから立体的に、深く読み込んでしまうということになる。
全く初めて、大江の小説を読んだ読者に、この小説はどのように読めるのだろうか?
この作品中に、具体的に名前の挙がった作家の小説(一部エッセイ)を登場順に並べてみる。
「空の怪物アグイー」、「オキナワ・ノート」、「懐かしき年への手紙」、「水死」、「万延元年のフットボール」、「ヒロシマ・ノート」、「たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」、「人生の親戚」、「新しき人よ目覚めよ」「「雨の木」を聴く女たち」、「小説の方法」、「同時代ゲーム」、「取り替え子 チェンジリング」、「静かな生活」、「さようなら私の本よ」、「日常生活の冒険」、「M/Tと森のフシギの物語」、「形見の歌」。
これらは、ほとんど読んでいる。この中で読んでいないのは、「水死」、「さようなら私の本よ」、そして詩集であるらしい「形見の歌」。
豊かな想像力に満ちた、大江健三郎の小説たち。
「芽むしり仔うち」とか「飼育」とか「洪水はわが魂に及び」とか「自らわが涙をぬぐいたまう日」とか、名前が挙がらなかった優れた作品はまだまだある。そうだ、私は、大江健三郎の小説で育ったのだ。高校生の時の文庫の短編集「空の怪物アグイー」から始まって。
実は「燃え上がる緑の木」の3部作の1冊目を読み終えて、その先を読み進めることができなくなってしばらく、大江の作品から遠ざかった、などということは、どうでもいいことに思えてくる。
「日常生活の冒険」の主人公斎木犀吉(さいきさいきち)は、伊丹十三がモデルなのだという。細部は忘れたが、言われてみれば、なるほどと思う。遠い記憶のイメージは、確かにお洒落でカッコイイ伊丹十三を当てはめればぴたりと納まる。
何か、晩年に至って、映画監督伊丹十三がモデルの人物を登場させて、いささかでも小説の売り上げに役立てようとしている、みたいなイメージでつい捉えていたところがあるが、よく考えてみれば、最初期から、かれは登場していたのだ。
高校生の頃に出会った、伊丹十三と大江健三郎は、お互いに深く影響しあっていたのだ。実生活では親しくとも、映画と小説と、一見、まったく、別の世界で生きて活躍して、芸術面では、まったく違う種類の作品をつくり上げたように見えるふたりだが、実は深く影響しあっていたわけだ。
このふたりの優れた同時代の作家(小説と映画の)が、何をなして、どう影響しあったかということが、これから先、学問としての文学のテーマにもなるに違いない。
この小説に登場する、西洋の古典的な作家や学者、作品は、ダンテ「神曲」、レヴィ=ストロース、ウィリアム・ブレイク、セルバンテス「ドン・キホーテ」、エドワード・サイード、大野晋(あ、これは日本の国語学者)、マルカム・ラウリ―、モーリス・センダック、ウィリアム・モリス、「トムは真夜中の庭で」、T.S.エリオット、中野重治(おっと日本の作家)、オーデンなど。大江の小説には、繰り返し出てくる名前。
この「晩年様式集」は、大江健三郎の小説を長年にわたって読み続けてきた人間にとっては、紛れもなく、大江の小説だ。いいとか、悪いとか、そんなことは、いちいちどうでもいいことに思えてくる。彼の小説の豊饒さ、瑞々しさ、初期から晩年までの多くの小説総体の豊かさ、それを読み続け、そのなかに生きていること、それで良いのだと思える。私は、大江健三郎の小説を読み続けて幸福であった。それで良い。
この小説の最後は、七十歳で初孫を得て喜んでいる自らの詩の引用で終わる。この初孫は、長男の子供であることに間違いはない。(ところで、この小説に、長男はほとんど全く登場しない。初孫の父であるということすら明確には示されていなかったように思う。)
この詩の最後は
「私は生き直すことができない。しかし
私らは生き直すことができる。」
というものである。晩年の私個人は生き直すことができない。しかし、若いものらがいる。私たちの子孫がいる。彼らは、生き直すことができる。
なんという希望に満ちたメッセージだろうか。
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