ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

夕刻の光

2010-11-15 22:53:19 | ご挨拶

夕刻5時前
午睡の後
庭に出ると

川向かいのクリニックの
薄黄緑の壁面や
農協のくすんだ白い壁面
家々の北向きの壁面が
妙にくっきりと浮かぶように見える

既に
西の山なみの
稜線から落ちた
見えない西陽が
かすかに壁面を照らして

映画のCGの背景のように
芝居の書割のように
実在が虚構のように見える

すでに光が光とも見えないような
壁面をかすかに照らすことによって
まだ
光が残っていることが
ようやくわかるというくらいに
まるで
人工の
映画のセットの照明のように

ふと
京都の金閣寺の
向こうの山蔭からゴジラが出てきそうだ
と思った記憶がよみがえる


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2 コメント

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9.11 (ヤドリギ金子)
2010-11-18 20:51:17
 「実在が虚構のように」わかる気がします。夕刻の風景には原風景が潜んでいると誰かがいいましたが、3Dとか「ナントカ」・リアリティーなどと言って、陳腐な虚構ばかりが蔓延している昨今、この感覚こそがまさにリアルのように私は思います。
 また、9.11の映像を美しいと「正直に」言ってしまって、批判にさらされたドイツの著名な現代作曲家を連想しました。
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実在と虚構 ()
2010-11-19 23:21:40
ヤドリギ金子さん
 コメント感謝。
 「実在と虚構」について語り始めたら長くなるけど、金閣寺はスーパーリアルというか、シュールレアルというか、巨大な模型というか、実在感がなかった。映画のセットのようにしか見えなかった。
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