昨日は劇団納会。年納めした翌日の今日も、劇団事務所で座シェイクスピアのチラシに使うための写真撮影会。なんとモデルはテディベアちゃん達。槍だの弓矢だの王冠だの兜だの勲章だのシルクハットだの、色んな小道具を作って持たせたり被せたり…さーてどんなチラシになるかは年明けのお楽しみですわ❤
— 相澤まどか(林千から) (@aimadoka) 2016年12月29日 - 18:50
1月18日(水)本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』&荻窪〈Title〉『本屋、はじめました』刊行記念イベント開催!南陀楼綾繁×辻山良雄×ナカムラクニオ(司会)さらに…その場で一箱古本市も。残席少なくなってきました→… twitter.com/i/web/status/8…
— ナカムラクニオ(6次元) (@6jigen) 2016年12月29日 - 11:36
山浦玄嗣と畠山重篤について、書いたもの。山浦先生のホルケウ英雄伝は購入済み。blog.goo.ne.jp/moto-c/e/04b5e… 熊谷達也氏の「浜の甚兵衛」は読み始めている。あと、今井照先生らの「福島インサイドストーリー」、気仙沼の為家洋子さんの「ファッション業界のトレンド~」など…
— 千田基嗣 (@motochida) 2016年12月30日 - 10:27
そんなに「今の」自分が可愛いか?世界が自分にもたらす新たな光・エネルギー・出会い・驚き、つまり「天の配剤」を感謝と共に受け止め、明日の自分、次の自分、やがては「本当の自分」に向って歩む‥それが「生きる」事ではないか?「本当のそいつ」に代り張り倒したい奴が多い。流れぬ水は腐るのだ。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年12月30日 - 11:26
人は夫々自分の周りに「ある空気感」を纏っている。それは一種の膜であり、時にはいびつなレンズであり、演者には概ね邪魔になる。新世界に触れるには外さねばならぬものだ。これが外せぬのは自意識過剰か鈍感。空気が読めない、同化出来ない、つまり共有すべき物語に生きられない不適合者という事だ。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年12月28日 - 09:45
九鬼周造著の「いきの構造」のハイライトは「我慢」。粋(いき)であることの要諦は「我慢」だというのだ。「やって見せる」「いいとこ見せたい」は野暮なのだ。皮一枚のところで我慢し乍ら己の内側に集中する。そして確かにストイックに心の鐘を打つ時、観客から見た君の佇まいは美しく爽やかになる。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年12月28日 - 09:02
「上手い」とか「一生懸命」に価値はないと思う。どちらも演者本位の問題だから。作品を活き活きと伝える工夫をして観客を世界に連れ込む。後で我に返って「あ、○○(例えば虎造)だったんだ」それが本当に上手い。演技中に上手さを見せたがるのは我欲だ。一生懸命の押付けも作品を味わう邪魔になる。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年12月28日 - 07:55
上手くなくてもいい「実」が欲しいのだ。実とは写実やリアリズムの事ではない。「英国では舞台で本当に食う・殴る」そんな事に感心することはない。舞台の写実は「ありのまま」じゃない。肝要なのは「心の実」だ。演者が本当に信ずる事だ。パッチワークのような感情ではなく、本物の感情で生きる事だ。
— 壤 晴彦 (@HaruhikoJo) 2016年12月28日 - 08:46
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます