有馬もとの補助犬訓練士ダイアリー

聴導犬・介助犬国際認定インストラクター(日本聴導犬協会)有馬もとのプライベートブログです。

573 代表犬タカ、がんばりました。

2009-02-21 23:51:58 | とっても私的
  お知らせするのが、10日以上も遅れたこと、みなさま本当に、お許し下さい。

 (福)日本聴導犬協会の代表犬タカは、私の担当犬で、私の先生でした。
 協会設立まで、まったく犬を飼ったことのない私に、いろいろなことを教え、支え、励ましてくれました。良い子なので、留守番ばかりさせていたました。「ボク、デモに行きたいよう」というのを、「ね、他の子犬の面倒見ててね。いい子ね」と。
 これからの、恩返しにタカの老後の介護ができるととても楽しみにし、介護用に、スウェーデン製の楕円形ベッドまで用意しました。
 老犬の部屋は別にせず、事務所で私の机の横に、いつでも目が合うようにベッドの上に寝かせて・・と、本当に楽しみにしていたのです。

 協会の高齢犬たちは、毎年、年1,2回は全身検査をしています。12歳を過ぎた2008年に入って、タカの元気がなく、なんとなく不安で、2箇所の病院で計3度も検査を受けましたが、そのときには結果的に緊急性の病はなかったのです。
 結局、12月に「甲状腺がん」が見つかり、それほど長くないとお聞きすることになりました。
 狼狽しました。相棒だったのです。本当の相棒。
 大事なデモの日に、目覚ましを止めてしまって寝過ごしそうになったときに、起こしてくれたり。後ろで、あふれた牛乳に火がついて燃え上がっているのを教えてくれたり。泣いていると、励ましてくれたり。本の執筆をしているときも、いつも机の下に入って、待っていてくれました。

 私は、いったいタカに何をして上げられたのか・・。あんなに身近にいたタカの病に気づかず、苦しい思いをさせてしまいました。
 もっと、もっとあちこちに一緒に行けたら。
 もっともっと、一緒にいれたら。

 最後は、甲状腺の腫瘍が気管をふさぎ、足に酸素がいかなくなり、立てなくなりました。酸素吸入器が協会にあるので、スタッフの矢澤さん、まゆみさん、私が健康管理室に雑魚ねして、タカを見守りました。一晩中、呼吸が苦しいので、酸素室に入れようとしましたら、苦しい息の中でじっと見上げて「ボク、ここ嫌だ」と、言うのです。私が抱きかかえて、外に出し、酸素のカバーを口にあてて、夜がすぎました。
 たくさんの方々から応援していただき、愛され、心配していただいたタカは、幸せ者です。2009年2月9日、がんが見つかってから2ヶ月間でした。入退院の繰り返しで、タカは本当に、がんばりました。
 12歳6ヶ月。数えで13歳でした。みなさま、ありがとうございました。
 
 ずーーと、タカの死についてご報告できませんでした。死んだことが、現実になるのが怖くて、かけませんでした。
 協会をここまで支えて、大きくしてくれたのは、協会の犬たちです。
 捨てられ、もしかしたらいじめられ、それでも、人を信じて、スタッフと一緒にがんばってきました。そのタカを助けられなかったこと、本当に、ごめんなさい。

 タカのためにも、1頭でも多くの子たちを、お一人でも多くの障害のある方のために、生かしていきたいと思っています。大丈夫です。でも、悲しくて、悲しくて。タカに申し訳なくて。ごめんなさい。