1階に下りて上を眺めると灯籠が目に入ってきました。1つ1つの灯籠が心のともし火にも見え、何か切ない気持ちになりました。夜は明かりが点いて綺麗なんでしょうね。屏東旅行の最後に非常に素晴らしい道教の古刹を見ることが出来、有意義な時間を過ごすことが出来ました。屏東旅行の話題はこれにて終了します。
慈鳳宮から屏東の街を眺めてみました。高層ビルは存在せず、怪しい雲行きも合わさって少し寂しさを感じました。私達が屏東を訪問しているときは雨は一切降らず、高雄市へ戻った後で暴雨となってことを考えると、これも一つの奇蹟だったのかもしれません。
屋根を見ると本当に細かい像が設置されていて感心してしまいました。おそらく陶器の焼き物を後でくっつけているものと思いますが、媽祖廟の場合、この手の像が伝統の装飾なのでしょうね。
以前ここのブログでレパルスベイの天後宮を紹介したときも、こういう綺麗な陶器の像を見つけて感動したことを覚えています。
以前ここのブログでレパルスベイの天後宮を紹介したときも、こういう綺麗な陶器の像を見つけて感動したことを覚えています。
3階回廊の壁にはこんな立体絵がかかっていました。孫悟空らしき猿も見えますが、何の絵でしょうね?屏東慈鳳宮にはこの手の立体絵があちこちにかけられていて結構綺麗な絵ばかりで気に入ってしまいました。ところどころの金箔が気品を出しています。
屏東慈鳳宮の続きです。この慈鳳宮には幾つかの奇蹟が言い伝えられているそうです。第二次世界大戦中に日本軍が屏東周辺を爆撃したときに、慈鳳宮にも爆弾が落とされたそうなのですが、これらの爆弾が不発に終わり慈鳳宮に逃げてきた市民が皆無事だったそうです。
その後、1945年日本がポツダム宣言を受諾したこの年の5月1日にも、連合国軍が空襲を行い辺りは一面火の海になったそうですが、このときも慈鳳宮は無傷だったとのこと。
これ以外にも1984年に発生した電線起因の失火の際も、天上聖母の像はどれ一つ損害を被らなかったそうです。これらの奇蹟が神事と考えられ言い伝えられているそうです。
その後、1945年日本がポツダム宣言を受諾したこの年の5月1日にも、連合国軍が空襲を行い辺りは一面火の海になったそうですが、このときも慈鳳宮は無傷だったとのこと。
これ以外にも1984年に発生した電線起因の失火の際も、天上聖母の像はどれ一つ損害を被らなかったそうです。これらの奇蹟が神事と考えられ言い伝えられているそうです。
昨日足を運んだオートショーのBYDのブースに、先日から深センで走り始めた電気タクシーが展示されていました。もっと派手な車かと思っていましたが結構シンプルなデザインですね。私はまだ街中で見かけませんが、既に2回見かけた日本人もいるようです。早く乗ってみたいものです。
ときどき
中国の世間では今日から端午節で5日間休みのところが多いかもしれませんが、私の会社は明日まで仕事で月曜日から3間の休みだけです。
ワールドカップサッカーですが、中国は自分達のチームは出ていませんが、何かにつけてお祭りをしたがる民族ですので、ご他聞に漏れず日常会話はサッカー1色になりつつあります。
先日海岸城へ行ったらこんなPEPSIの宣伝ボードが設置されていました。なかなかインパクトのある宣伝ボードでしたね。
中国の世間では今日から端午節で5日間休みのところが多いかもしれませんが、私の会社は明日まで仕事で月曜日から3間の休みだけです。
ワールドカップサッカーですが、中国は自分達のチームは出ていませんが、何かにつけてお祭りをしたがる民族ですので、ご他聞に漏れず日常会話はサッカー1色になりつつあります。
先日海岸城へ行ったらこんなPEPSIの宣伝ボードが設置されていました。なかなかインパクトのある宣伝ボードでしたね。