塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本がワールドカップで良いサッカーをしたら

2010-04-20 00:58:45 | 日記
 日本代表と岡田監督は、「勝ち点」という名の呪縛から解放される必要があると感じています。

 江戸時代で例えるならば、勝ち点は関所を通過する為の「交通手形」で、目的地である決勝トーナメントに進出するには、この手形が不可欠になりますが、僕としては色気を出して勝ち点の計算をすることよりも、「日本もやるじゃないか!!」「日本代表の姿に感銘を受けた。」と諸外国のファンが拍手を贈ってくれる、そんなサッカーをすることが大前提にあると思います。

 つまり勝ち点は、戦った後からついてくると考えた方が、気分的に落ち着くと思うのです。

 今回のワールドカップには、東南アジアと西アジアから参加する国がありません。ですから日本が仮に世界から賞賛されるようなサッカーを南アフリカで披露したならば、戦禍に苦しむ中東諸国や、ワールドカップに出場を果たす事が難しい東南アジアの諸国のファンを、勇気付けたり喜ばせることが出来るかもしれません。

 例えば2007年のアジアカップ、優勝したイラクにスーパースターはひとりもいませんでしたが、彼らのひたむきさがどれだけイラクの皆さんの力になったかは、新聞報道でしかイラクのことを知らない僕でさえ、容易に想像できます。

 よくアフリカ諸国はワールドカップで勝ち進む国々を、皆で懸命に応援し後押しをしますよね。
 日本が(韓国と北朝鮮、そしてオーストラリアも)良いサッカーをして、アジアの皆さんに活力を与えられた、本当に素敵だと思います。

 ベスト4進出も確かに素晴らしい出来事ですが、同じように人々の賞賛を得ることも、また素晴らしいことだと思います。
コメント
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