塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

流した汗が報われるとは限らない

2010-06-14 12:42:37 | 日記
 ひとつのワールドカップが終えて次のワールドカップが来るまでの4年。

 この4年の歳月、選手たちは皆必死になって汗を掻きますが、その汗が必ずしも報われるわけではありません。
 勝者はただひとつ、優勝した国の選手と監督、そしてスタッフと国民のみ。

 予選で敗退した国と本戦出場のその他31カ国と、優勝した国のコントラストは、「明と暗」という言葉には収まらないくらいの非情さがありますね。

 でも敗戦にうちひしがれた選手の姿が時に美しく見えることも、ワールドカップの持つ姿であると僕は思います。

 また僕はワールドカップは1回経験できただけでも凄い事だと思います。

 例えば若手の有望株がいたけれども、代表監督が彼の「若すぎる」年齢を考慮し、選考対象から外したとします。彼の周囲は「君はまだ若い。だからワールドカップ出場の機会は、きっと訪れる。」と励ましたとします。

 でも4年後の保証など、選手も含めて誰にも出来ませんよね。
 だから年齢に関係なく、選手は誰もがワールドカップという言葉を口にします。

 (西)ドイツの顔として長く君臨したロタール・マテウス。彼は5大会連続でワールドカップに出場していますが、これはマテウスの力量もさることながら、(西ドイツ)が欧州予選で敗れることのない戦力を、常に維持してきたことも無関係ではありません。

 ですから今大会が久方ぶりの出場となるニュージーランドやホンジュラス、過酷な欧州予選勝ち抜いたスロバキアやスロベニアには、日本のように「4年後も出られるであろう。」という楽観は無いのですね。

 ワールドカップほど勝者と敗者のコントラストが浮かび上がる出来事も無いでしょう。
 ですから人々はワールドカップに関心を持ち続け、同時に自国への応援と優勝国への嫉妬と賞賛を、心の糧にしているのだと思います。

 冒頭で記したように
 「流した汗が必ずしも報われるわけではない」
 という現実があるからこそ、僕らはどうしても代表へ口を挟みたくなる。それもファン心理のひとつと言えます。
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日本代表よ、シュートを打とう!!

2010-06-14 01:34:55 | 日記
 僕がカメルーン戦に挑む日本代表に期待すること。

 それは「バックパスの頻度を減らすこと」です。

 僕はバックパスをするな!!と言っているのではありません。ただ回数を減らして欲しいと思っているだけです。ボックスエリア周辺で横パスでお茶を濁す、攻撃を再構築するため自分よりも後方の味方にパスを戻すくらいなら、やはりシュートを打って欲しいのです。

 仮にオランダが本調子でなくグループEが混戦模様になったとします。
 日本が勝ち点で他の国と並んだ際、勝負の分かれ目は「得失点差」になります。

 ならばより多くのシュートを打った方が、効果的なのは言うまでもありません。

 確かにバックパスや後方からビルドアップし直した方が、明らかに賢明な時もあります。
 
 カウンターに転じても相手の戻りが速い、楔の選手のマークが強固でボールを預けられない。こン名時は焦らずマイボールを大切にすべきでしょう。

 ただ日本のボール回しは「意図」が感じられない、つまりただこねくりまわしているだけという印象を僕は抱いています。

 ですからカメルーン戦はバックパスや無意味なパス回しの頻度を減らし、相手GKのカメニを脅かす場面をどんどん作って欲しいと思います。
 
 積極的にシュートを放つ代表を見たいですね。
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