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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

母国と対戦国の間で揺れる心

2010-06-27 01:04:24 | 日記
 今回のワールドカップで、日本と対戦国との板ばさみのジレンマを感じている方達は、僕の住む長野県にもいます。

 例えば松本市の有賀正前市町の胸中は、非常に複雑のようです。

 6月26日のスポーツニッポンの長野県版の32ページには
 「パラグアイも頑張れ」
 という見出しで、2002年のワールドカップの合宿を松本で行った同国代表への思いを、有賀前市町が語っているんです。

 パラグアイ代表の合宿はアルゥインで行われ、新聞にはジュビロ磐田との練習試合の際に撮られた写真も掲載されています。

 ですからワールドカップというものは、選手だけでなく応援する側にも様々な問いかけをしているわけです。

 また日本はブラジルから幾人もの選手が日本に気化してきました。

 ですからドイツ大会でブラジルと対戦した三都主アレサンドロの胸中は、本人でも説明できないくらい難しい心理だったかもしれませんし、闘り王のご両親は、もしブラジルと日本が(例えワールドカップでなくとも)対戦したなら、どちらを応援すべきか本当に困ってしまうでしょうね。

 僕の周囲には海外の方がいませんし、僕が国際結婚する予定もありません。

 よく世界のグローバル化が叫ばれますが、そんな簡単に地球はひとつの文化にまとまらないということが、サッカーやワールドカップを見ていると非常によくわかります。

 確かに昔と比べると、特に欧州では国境の存在がだいぶ緩やかになりましたが、それでもサッカーの世界では国境は存在し続けています。
コメント
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