塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モウリーニョのスペインでの生活

2010-06-08 21:05:12 | 日記
 さすがのモウリーニョも初年度から、スペインと欧州の2冠達成は無理だと思います。

 インテル時代と同様、まずはリーグ優勝して基盤を固める事が先決だと思います。
 
 もしバルセロナからタイトル奪還ができなくとも、今現在モウリーニョクラスの指揮官は、既に代表ないしクラブの指揮官に就いていますから、解任も考えにくい。ですから国内タイトルをバルサから奪う事に集中しても良いと思います。
 
 モウリーニョは2008-09シーズンにダヴィデ・サントンとマリオ・バロテッリを、今シーズンはレーネ・クリンという若手の抜擢でイタリア国内を驚かせましたが、レアルではこうした若手の起用をどう働きかけるかも考えないといけません。

 またイタリアのメディアは
 「モウリーニョの態度は尊大すぎる。敬意がまるで感じられない」と言い、

 モウリーニョ自身も
 「インテルは好きだがイタリアは嫌いだ。」
 とメディアに吐露していました。

 もしかするとこの発言も、イタリアを離れるために考え出したモウリーニョの策略なのかもしれませんが、スペインのメディアと同じことを繰り返せば、インテル以上にビッグネームが揃うレアルのベンチを、更に混乱に陥れる可能性もあります。

 特に愛憎入り混じる「クラシコ」の直前は、いかにモウリーニョといえども自分の発言に注意しなくてはいけないでしょうね。

 仮にインテルがレアルと戦わねばならないとき、サンシーロに集まったインテル・ファンは、間違いなく万雷の拍手で愛する指揮官を迎え入れるでしょう。

 同様の出来事が今季スタンフォード・ブリッジでも起きましたが、アンチェロッティは大人の態度を崩しませんでした。

 もしモウリーニョ率いるレアルがサンシーロに乗り込んできた時、インテルの指揮官はどのような態度で接するのか、今から興味が湧きます。
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モウリーニョの退団は、必然の出来事だった(3)

2010-06-08 20:53:54 | 日記
 モウリーニョがレアル移籍の願望を口にしたとき、僕は彼にこう聞いてみたいと思いました。
 
 「ミステル・モウリーニョ、インテルをチャンピオンズ・リーグ連覇に導くことに魅力は感じないのですか?

 チャンピオンズ・リーグに名称変更して以来、連覇を果たしたクラブはひとつもありません。
 ユナイテッドもバルサもタイトルの防衛に失敗しています。

 ですからここはひとつ、インテルを2連覇に導くために残留を考えては頂けませんか?」

 答えはもう明らかになっていますが、同じクラブで2度欧州制覇を体感することよりも、異なったクラブで優勝を味わう事に重みがある。

 モウリーニョはそう考えたのでしょう。

 でも初年度から通算10度目の欧州王者に輝けるほど、レアルの内部は充実してはいないはずです。

 ラウルとグティの去就は不透明のままですし、モウリーニョが願う補強を実現するには、既存の選手を数人売却する必要がありますが、誰を残して誰を売却するのか、まだその姿は見えてきません。

 守備ではカシジャス、攻撃ではロナウドが軸になるのは間違いありません。
 しかしそれ以外の選手、それがカカのようなビッグネームや、イグアインや伸び盛りの選手といえども、その地位は安泰ではないかもしれません。

 ですからカカがチェルシーに移籍する可能性は決して低くはないでしょうし、この夏もレアルの札束攻撃は続きそうな気配です。
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モウリーニョの退団は、必然の出来事だった(2)

2010-06-08 20:39:15 | 日記
 「就任1年目でのスクデット獲得」

 この政権の土台を手に入れたモウリーニョは、2009-10シーズン、抜本的なインテルの構造改革に着手します。

 その改革の目玉は皆さんご存知のように、イブラヒモビッチとエトーのトレードです。
 
 イタリア国内だけでなく再び欧州王者に輝くには、イブラヒモビッチに依存した従来の型から、どうしても抜け出す必要がありました。

 しかしモウリーニョの改革がディティールの細部にまで及びました。
 その内訳を見ていきますと

 1・クレスポとクルスの放出劇
 前監督マンチーニの色合いが強いと判断したのでしょうか。代わりに獲得したミリートはエトーとの相性も抜群で、冬に獲得したパンデフも及第点の出来と、改めてモウリーニョの慧眼を知らしめた事柄でした。

 2・真の10番の獲得
 移籍が決まって即ミラノ・ダービーに出場し、4-0の完封勝利に大きく貢献。
 スナイデルの獲得は2000年代のインテルにとって、最高の獲得劇だったと僕は思います。
 
 特にFKの精度の高さと、ミリートとエトーで組んだ4-3-1-2の布陣は、2010シーズン前半のインテルの躍進を支えた原動力となりました。

 3・モッタとルシオの獲得
 モッタをジェノアから獲得し、中盤の補強をてこ入れしたのと同時に、バイエルンからお払い箱になったルシオを電光石火で獲得した事は、近年のインテルの視線が多岐に渡っている事を意味します。

 スナイデル獲得によりスタンコビッチを中盤の駒として起用できたこと、そしてインテルの守備陣にはマイコンとジュリオ・セザルというふたりのセレソンが在籍していたため、ルシオも気兼ねなく戦えたのでしょう。

 こうして充実した戦力を手に入れたことで、モウリーニョが今季3冠を達成できる下地は、昨年の夏ほぼ出来上がっていた形になります。
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モウリーニョの退団は、必然の出来事だった

2010-06-08 05:33:07 | 日記
 今から考えると、彼の退団のシナリオは1年前の夏から、入念に書かれていたものなのかもしれません。

 インテルをスクデットに導き、同時にファイナルの地サンティアゴ・ベルナベウで、思う存分自分の能力を世界に示し、自分がいかにレアルのベンチにふさわしい人物かを再確認する。
 当然スペインの地でインテリスタは歓喜に咽び、賞賛の声を自分に送り続ける。

 こう捉えるならば、ジョゼ・モウリーニョがインテルを退団し、レアル移籍の願望をさらけ出した事も不思議ではなくなります。

 それでもモウリーニョのインテルでの生活が、常に快適だったわけではありません。

 自身が思い描いていた4-3-3を具現化するためには両翼の補強が必要と訴え、ローマからマンシーニを、FCポルトからリカルド・クアレスマを獲得しますが、結果がついてきません。

 モウリーニョが懸命だったのは、4-3-3に拘泥せず布陣を4-3-1-2に変更し、選手を戦術に縛らせなかった事です。普通大枚叩いて獲得した選手を、結果が出るまで使いたいと思うのが監督でしょうが、(お金を出したフロントの顔色伺いと、自分の正当性を見せるため)モウリーニョはそうした「媚」を一切見せず、現実的な戦い方に終始しました。

 「モウリーニョはマンチーニの遺産で結果を出している」

 イタリアのメディアの多くが、はモウリーニョに懐疑の目を向けるようになったのもこの頃からです。

 4-3-1-2の布陣は前指揮官ロベルト・マンチーニの十八番であったこと
 スタンコビッチをトップ下に配置し、攻撃に行き詰まったなら、ズラタン・イブラヒモビッチのイマジネーションに全てを委ねる。

 指揮官は変わっても、戦い方や軸となる選手の顔触れが変わらない点が、識者たちには不満だったんですね。
 実際チャンピオンズ・リーグの舞台では、プレミアの雄ユナイテッドの前に歯が立ちませんでした。前年リバプールに敗退した時同様、インテルが国際舞台では成熟していないことを、改めて露呈してしまったのです。

 しかしこの2008-09シーズン、モウリーニョはスクデットを獲得し、最低限の結果は残しました。

 この最低限の結果という土台を大いに活躍し、選手間の構造改革を図ることで、彼は2009-10シーズンの3冠へ突き進んでゆくのです。
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コンバースとインテルは同級生

2010-06-08 00:08:39 | 日記
 僕はコンバースのオールスターが好きで、大学時代から愛用しています。
 
 僕が大学時代の頃はまだまだアメリカ製のコンバースが流通していましたが、2001年に破産宣告を受け、生産をアジアに移してからというもの、かつてのアメリカ製オールスターは高嶺の花になってしまい残念です。

 現行のアジア産は気軽に愛用できる点はありがたいのですが、アメリカ産と比べると履き心地がやや鈍いのが残念です。アメリカ産の方がクッションが柔らかいんです。

 そのコンバースは破産以後、ナイキの傘下におさまり現在に至っています。
 
 ナイキは1998-99シーズンからインテルのテクニカル・スポンサーをつとめています。
 それ以前までアンブロがスポンサーだったことを考えると、何だか皮肉な感じもしますが、当時のインテルは低迷期の真っ只中でした。(アンブロも今はナイキの傘下です。)

 ではどうしてナイキがインテルのスポンサーに名乗り出たかというと、これは僕の想像ですが恐らくロナウドがインテルの一員だったことが大きく影響していると考えられます。

 当時から今に至るまでミランはアディダスと良好な関係を築いていますし、ユヴェントスは当時カッパのサポートでしたが、デル・ピエロとジダンは共にアディダスの広告塔ですから、ナイキが入る余地は無かったのでしょう。

 さてそのコンバース。創業が1908年と実はインテルと同い年なんですね。

 インテルが2008年3月8日に100周年の記念行事を盛大に行ったように、コンバースも2008年は100周年を記念して、様々な製品をリリースしたことは記億に新しいところです。

 ですからコンバースがオールスターで「インテル・モデル」を製作したり、インテルの選手がオールスターやジャック・パーセルの広告に登場できないかな。と以前から考えているんです。

 選手が広告に出演すれば、夏のキャンプをアメリカで張る必要がなくなりますし、コンバースもイタリアでの販売促進が期待できると思いので、互いに悪い話ではないと思います。
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