塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーとはリスク・マネージメント(2)

2010-06-10 01:12:37 | 日記
 リスク・マネージメントは、「トップ・ダウン」と同義語だと僕は思います。

 トップの下した決断に、ファンと選手は従う他ありませんし、言い換えればバルサやレアルの会長選挙は、ファン(ソシオ)が少しでも民意をクラブに反映させるための、残された最後の手段と言えるはずです。
 
 スタジアムで白いハンカチ、つまり不信任の意を唱えても、会長を含む首脳陣が退陣するとは限りませんからね。

 ですからトップは常にリスク・マネージメントを考えねばいけないはずです。

 それが例えば2007年の秋、イビチャ・オシムが脳梗塞で倒れ代表監督選出が急務となった日本の場合でもそうです。

 確かに病気や事故は、成績不振のように目に見える形でないぶん、厄介なのは間違いありません。ですがつぶさに世界のサッカーを観察していれば、後任監督選出の遅れ(タイムラグ)は、かなり減らせると思うのです。

 1998年フランス大会後、岡田監督の後任監督としてサッカー協会はアルセーヌ・ベンゲルに打診しましたが、日本の土を踏んだのは「赤鬼」と呼ばれた別のフランス人でした。

 まもなくワールドカップが始まり、その後には後任人事が控える日本代表。
 
 「本命」と思う第一候補が振られる可能性もあるのですから、水面下で他の候補者をピックするくらいのゆとりが、そろそろ日本にもあって良いと思います。

 トップの目が曇ってしまうと、全ての部署が曇ってします。それはサッカーでも職場でも変わらないはずです。ですから「トップ・ダウン」は時として、大きな弊害も生み出します。

 逆に今季のインテルのように、移籍からトレーニングの組み方まで、トップダウンがほぼ完璧に機能した例もあります。ですからサッカーに限らずトップの人間は、日々の観察力が僕らの誰よりも問われるのだと思います。
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サッカーとはリスク・マネージメント

2010-06-10 00:59:31 | 日記
 つまるところ、サッカーは「リスク・マネージメント」のスポーツだと思います。

 その背景には他のスポーツからは考えられないくらいの過密日程、シーズン終了後の訪れる昇格と降格の明暗が、明確な形としてファンに提示される為です。

 例えば2009シーズンの大分トリニータ。

 かつてない成績不振を考えれば、監督を交代するしかありませんでした。選手を解雇、もしくは先発の11人を総入れ替えする事は、どんな優れた監督とGMでも不可能です。

 ならば監督を交代するしか道はありません。

 でもトリニータの首脳陣は、ナビスコカップを手繰り寄せたシャムスカを、解雇するのは忍びなかったのでしょう。そしてシャムスカ自身もトリニータ残留を希望していたようですから、失速したクラブを野放図のままにしていた期間が、あまりに長すぎたわけです。

 ポポビッチが監督になってからは、逞しくなった選手たちの姿が見れましたから、結果論になっりますが、トリニータの踏ん切りの遅さが、J2への降格を早めてしまい、同時に多くの主力を手放す要因にも繋がります。

 確かに功労者の首を切る事は、非常に難しい。
 解雇通告を宣告することは、誰だってしたくない。

 でもプロの世界と言うのは、日本社会が今日まで発展する要素となった
 「敬意」や「気配り」を、時に根こそぎ排除する必要があるんですね。

 ですからこれからのJリーグには、時に「非情」と映ろうとも、クラブの将来を考えた決断が、今まで以上に増えてくると思います。
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