塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ポルトガル代表の性格と日本との共通点

2010-08-04 22:32:08 | 日記
 ポルトガルががワールドカップの常連になったのは2002年以降のことです。

 それまでに1966年と1986年の2大会に出場していますが、話題はもっぱら66年のイングランド大会での4強進出とエウゼビオの2つに集中します。

 そしてエウゼビオ以降に誕生した名手
 例えば
 ロイ・バロシュ(1988-89シーズンはユヴェントスに在籍)
 パウロ・フットレ(ミラン、アトレティコ・マドリード。ウエストハムの他、横浜フリュ-ゲルスにも在籍)

 などに関して語られる機会は多くありませんでした。

 ポルトガルはワールドカップよりも、欧州選手権のほうが相性が良いのでしょうか、1984年、2000年、2004年には4強、1996年と2008年には8強に進出しています。

 最大のチャンスは自国開催の2004年大会でした。

 指揮官にルイス・フェリペ・スコラーリを招き、フィーゴとルイ・コスタというポルトガルの時代背負ってきた選手と、ブラジルから気化したデコ、そして若き日のロナウドが顔を揃えた、年代的にも実力的にも非常に魅力的な代表でした。

 1990年代以降、フィーゴやルイ・コスタ以外にもフェルナンド・コウト、パウロ・ソウザなど、多くの選手が自国を離れ海外に活躍の場を求めるようになりました。

 それの呼応するように、2000年代はポルトガル代表の多くの選手、
 例えば
 ペドロ・パウレタ、ロナウド、ヌーノ・ゴメスなどが、フランス、イングランド、そしてイタリアで活躍を見せます。

 それでもビッグタイトルには縁がありません。
 最大のチャンス2004年は、ギリシャに2度破れ準優勝に終わります。

 こうした「脆さ」言い換えれば「大人しさ」が、逆にポルトガルの魅力なのかもしれませんし、改善点と言えるかもしれません。

 ただ以前と比較すると、その大人しさが解消に向かっていることも事実です。
 ロナウドの表情を見ても、それは一目でわかります。

 ポルトガルが栄冠を掴むには、
 ロナウドの負担を軽減し、デコの後釜を早急に探すことだと思います。

 また今回のワールドカップ、FWの主力はブラジルから気化したリエジソンでしたが、FWの顔触れに不満が残る点も、日本人がどこかポルトガルに惹かれる理由かもしれません。

 どちらもボックスエリア周辺までは良いサッカーができる。しかしいかんせん点がとれない。

 エウゼビオと釜本
 かつてふたりの偉大なFWを持っていた点も、シンパシーを感じますね。
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ポルトガルと僕の持つ気質

2010-08-04 22:13:11 | 日記
 今僕がポルトガルに関心があるのは、彼らの気質や食習慣が、僕たちと似ているだけでなく、ポルトガルの歴史や都市の成り立ちにも興味があるからです。

 まずポルトですが、ここは「ポートワイン」の出荷で有名ですね。

 今のサントリーはかつて「寿屋」という会社名で
 「赤玉ポートワイン」という、口当たりの優しいワインが主力製品だった事があるんです。

 ですから赤玉ポートワインで、赤ワインの美味しさとポルトガルという国を知った方、意外に多いのではないでしょうか。

 そしてポルトガルの首都であるリスボン

 ここは映画「カサブランカ」の中で、アメリカへ渡る為の希望の街として描かれています。

 当時、ナチスの迫害を避けアメリカに向かうには、カサブランカ(モロッコ)から飛行機でリスボンへ渡る必要があり、カサブランカの中ではこの「ビザ」が、登場人物たちと同様重要な意味を持つのです。

 皮肉にもポルトガルはその後、サラザールの独裁政権に支配されるようになりましたが、リスボンはかつて人々の夢と希望を代弁していた時代があったのです。

 僕自身は命令をする立場ではなく、受ける立場でしかありませんし、粗野な性格ではないと自認しています。(母は大人しいと言いますが)

 こうした歴史の中、大航海時代など1部の例外を除いて慎ましい生活を送ってきたポルトガルと、僕個人の性格の波長が合う気がするんです。

 例えばリスボンには
 ベンフィカとスポルティングという、2つの名門が存在しますが、彼らのダービーマッチはもっと注目が集まっても良さそうですが、さほど注目が集まっていない気がします。

 同様にモウリーニョ率いるポルトが、モナコを降して欧州王者に輝いた2004シーズンのチャンピオンズ・リーグの決勝を、「地味なカード」と揶揄する声もありました。

 こうした大人しさは代表の戦績にも現れ、今のようにスターが顔を揃えてワールドカップに出場するには、多くの時間が必要だったのです。
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見果てぬポルトガルサッカー

2010-08-04 17:24:09 | 日記
 世界から注目を集めるスペインサッカーですが、僕自身スペインに関心があるかというとそうでもありません。

 もちろんスペインには
 サグラダ・ファミリアのような美しい文化遺産がありますし、ロエベのような著名なファッションブランドがあることも理解しています。

 でもスペインには関心が湧かないのです。

 むしろ隣国ポルトガルの方に関心があります。

 僕の手許にあるポルトガルサッカーの資料は
 「ポルトガルサッカー物語」 白水社より発売 筆者が市ノ瀬敦
 「EH PA ポルトガル」 ランドガレージより発売 筆者はくりかおり
 
 の2冊しかありません。

 ちなみに市ノ瀬氏は同じ白水社より、「砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール」という作品を出版しています。

 ただポルトガルサッカーに言及した書籍が少ない事も事実です。

 ですから今のところ、日本ではポルトガル代表の知名度は高くとも、ポルトガルの様子やサッカー熱に関しては、まだまだ知る機会が無いのが実状です。

 僕はポルトガルでいうと、最初に連想するのはFCポルトでした。

 僕は辰年生まれでポルトのスタジアムは「ドラゴン」ですから、何となく親近感が生まれたんですね。

 またポルトガルの皆さんは、日本人と同じように魚を好んで食べ、同時に非常に暖かいもてなしをする国民である。と聞いて俄然興味が湧いてきたんです。

 もし松井大輔が噂どおりスポルティングと契約を結んだら、大喜びでポルトガルサッカーを見ようと思っているファンは多いかもしれません。

 ポルトガル代表のサッカーを好む日本人は多いのですから、ポルトガルリーグの情報が欲しいと考えるファンは沢山入ると思います。
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新しい代表監督の国籍は非常に重要である

2010-08-04 17:07:31 | 日記
 あと10日ほどで、新しい代表監督が発表になる模様ですが、今のところ誰が就任するのかさっぱり予測がつきません。

 候補に挙がっていたマルセロ・ビエルサは、チリとの契約を更新した為、彼が来日することはなくなりました。

 紙上を賑わせている監督の多くは、スペインの方がおおいですね。

 マジョルカを退任したグレゴリー・マンサーノ
 かつてレッズの選手でもあったチキ・ベギリスタイン
 デポルティーボ・ラ・コルーニャを、リーガと国王杯の優勝に導いた経験を持つハビエル・イルレタ。

 スペインと業務提携を結んだからでしょうが、それだけ今世界がスペイン代表の奏でるサッカーに陶酔し、スペインから学べる事を積極的に取り入れてゆこうと考えているのでしょう。

 ただ心配な点もあります。

 もう刊行されていませんが、ニューズ出版から以前「J:sサッカー」という雑誌が発売されていました。

 その2007年12月号の130ページに
 「日本サッカーの未来は明るいのか?」

 という見出しでJFAアカデミー福島の指揮をとる、フランス人のクロード。デュソー氏のインタビューが掲載されているんです。

 多国籍の時代に指導者の国籍を問う事自体ナンセンスかもしれませんが、代表の構築にアカデミー出身の選手が参加した際、悪い意味で摩擦が起こらないことを期待します。

 少なくとも2007年まで、アカデミーの指導はフランス式の育成を行っていましたが、スペインとの提携でアカデミーを含む指導者の交流、そして従来のフランス式からスペイン式へと、育成の方向転換を図るのか。

 時期代表監督の国籍は、僕らが考える以上に重みがあると思います。
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中村俊輔の「察知力」を読んで(2)

2010-08-04 02:06:27 | 日記
 ただこの本を読むと、運命のいたずらを感じます。

 毎日ノートを付け課題を見出し、練習や試合でその課題が克服できたか、新しい課題はなんだろうと常に探求を怠らない中村が、ワールドカップ2010の出場時間はわずか26分でしかないこの現実。

 でも彼はきっとワールドカップで見た光景に悲観することなく、普段どおりにノートに記入し、そしてJリーグの中で課題を見出しているはずです。

 「察知力」の208ページに中で、彼は
 「僕の経験を日本サッカー界の未来へ還元したい。」

 と延べ、自分を日本のサッカーが進化するための「実験台」とも語っています。

 中村は身体能力と身体に恵まれなかった自分が、いかに代表と欧州で戦ったのか、その経験が未来の日本サッカーに役立てば嬉しいと、僕たちに語りかけています。

 本当に嬉しい事です。

 ホーム、アウェイ問わずチャンピオンズ・リーグのユナイテッド戦で見せたFKのハイライトは、僕自身も何度となくニュースで見返しましたし、中村のFKを真似た子供達は、日本にもスコットランドにも大勢いたでしょうし、もしかしたらマンチェスターにもいたかもしれません。

 近い将来
 「僕は中村に憧れていた。」
 とインタヴューに答えるサッカー選手は、必ず登場してくはずです。

 今でも中村を手本にしている子供達は多いと思います。
 代表引退を示唆した中村ですが、これからは横浜の地で光輝いて欲しいものです。
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