塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

川島ベルギーリーグで初先発

2010-08-03 19:04:53 | 日記
 日本代表GK川島が移籍したベルギーでは、早くも2010-11シーズンがスタートしました。

 昨日のスポルトのダイジェストで、川島の開幕戦の様子を見ましたが、コンディションは非常に良好のようですね。

 また入団会見で見せたように、川島は英語が非常に達者なようですし、イタリア留学の経験も考えればイタリア語での会話も考えられます。

 ベルギーはフランス語、ドイツ語が公用語ですので川島にとっては語学の学習も再度必要かもしれません。確かに英語が話せる事は練習や公式行事の際は有利でしょうが、街中で使う頻度が高いのは、先に挙げた2つの言語でしょうからね。

 クラブ・ブルージュ
 アンデルレヒト
 スタンダール・リエージュ

 ベルギーを代表する3つのクラブも、近年は欧州の舞台では寂しい存在です。

 2002年のワールドカップ終了後、鈴木隆行がアントラーズからゲンクに移籍し、チャンピオンズ・リーグでレアル・マドリーと対戦した時は、ゲンクとベルギーリーグの注目度が、日本でも一気に高まりましたが、川島の活躍次第では再びベルギーサッカーの情報が誌面を賑わすかもしれません。

 ただおおいに反省すべきなのは、日本人選手が去ってしまうと、そのリーグの報道が全く聞かれなくなる点です。

 中村が去った後のスコットランド
 広山が去った後のパラグアイ
 高原が去った後のアルゼンチン

 ですから定期的にこれらのリーグの情報を掲載すれば、彼らの移籍を通じてファンになった方は、非常に喜ぶと思うのですがどうでしょうか。
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生きる事は時に面倒であると思う瞬間(4)

2010-08-03 18:52:16 | 日記
 前回、前々回のブログで
 父と息子、兄と弟のコントラストについて綴ってみましたが、日本でもこうした例は幾つかあります。

 父と子の例で言いますと
 水沼貴史と水沼宏太

 兄と弟の例では
 森崎浩司と和幸(彼らは双子ですが 
 が挙げられます。

 家族でお互いがプロになった際、そのどちらもが遜色の無い活躍を魅せられれば問題なのですが、残念な事にどちらかに片寄って結果が出る形になります。

 例えばミヒャエル・ルンメニゲのキャリアは堂々たるものですし、どんなに才能のあるドイツの選手でも、バイエルンとドルトムントという老舗のクラブに在籍できるとは限りません。
 
 しかし兄のカールハインツが登場してくると、彼の経歴は一気に色褪せてしまうのです。

 加えてそこに世間の批評(視線)が集まるわけですから、僕らが思う以上に兄弟や親子でプロになることは、困難な道のりと言えるでしょう。

 やはり周囲にいる僕らが、選手とひとりの人間として尊重することが大事だと思います。
 またどんな選手であれ、駆け出しの時期はあるのですから、過度の期待や声援も避けるべきではないでしょうか。

 現役時代パオロ・マルディーニは、父でありかつてのイタリア代表監督であるチェーザレについて、様々な質問を受けていましたが、晩年には息子のミランでの将来についても聞かれていました。

 確かに親子3代で名門ミランの屋台骨を背負ったなら、まさに異例の出来事ですが、今はそのような質問を投げかけるのではなく、好きなことをさせてやった方が、実を結ぶことに成ると思います。
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生きる事は時に面倒であると思う瞬間(3)

2010-08-03 13:11:17 | 日記
 父と子の関係以外でも、兄と弟という関係も、時にはコントラストを生みますね。

 2・ルンメニゲ兄弟の場合
 
 兄のカールハインツ・ルンメニゲは、1980年代の西ドイツを代表するFWである、1984年から87年までは当時世界最高峰のリーグ、セリエAのインテルにも在籍しました。

 カールハインツは1982、86年のワールドカップに出場し、1975年にはバイエルンでチャンピオンズ・カップを、翌76年にはインターコンチネンタルカップを手にしています。

 またワールドカップの優勝はできませんでしたが、1980年の欧州選手権では勝利の美酒を味わっています。

 そんな西ドイツを代表する選手を兄に持つ1人の選手が、1993年浦和レッズに入団しました。

 彼の名前はミヒャエル・ルンメニゲ。
 カールハインツの実の弟であり、2試合ではありますが元西ドイツ代表の選手でもありました。

 レッズに加入前には、ドイツの老舗バイエルンとドルトムントに在籍し、1987年にはバイエルンでチャンピオンズカップ準優勝を経験しています。

 選手としての経歴は何の疑いもありませんが、
 「偉大なる兄」
 の経歴と比べると、残念ながら貧弱に映ってしまうんです。

 当時拙いファンの多くは
 「レッズがカールハインツ・ルンメニゲを獲得した」
 と考えたようです。(僕もそう思っていたら、来日するのは弟だよと知人に指摘されました。)

 ミヒャエルにしては、兄と比較されることは日常の風景だったかもしれませんが、極東の地でもまさか欧州と同じ反応をされるとは、予想外だったのではないでしょうか。
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生きる事は時に面倒であると思う瞬間(2)

2010-08-03 12:46:29 | 日記
 僕は家に自分が寛げる場所がありますが、家でも外でも自分の居場所が無い方もいますね。

 会社で話の合わない人間がいても、その相手が転勤や部署移動で自分の前から去ることもありますし、仕事が終われば顔を合わせずに済みます。

 でも家族や家はそうではないから困ります。

 家で寛げない
 家族との折り合いが悪い

 そんな時は本当に窮屈で堪らない気持ちです。
 僕のように家に居場所があっても、ほんの些細な出来事で、両親の顔色を窺うような形になると、家に帰りたくないと思うときがありますから。

 サッカーの世界でも、家族の事柄で悩んだ選手はいます。

 1・父と子の関係
 ヨハン・クライフは今でもオランダとスペインで、高い発言力をもっています。
 そして今でもバルセロナのファンは、彼にバルセロナに戻って欲しいと願っていると聞いた事があります。

 ですから彼の息子ジョルディが、オランダ代表とスペイン代表のどちらを選択するか、一時ジョルディの決断を、世界が固唾を飲んで見守ったことがありました。

 ジョルディ・クライフは、ヨハン・クライフがバルセロナ在籍時に生まれたので、スペイン国籍を選ぶ事が出来たんです。

 そして「ジョルディ」という言葉は、バルセロナの言語「カタルーニャ語」ですから、スペイン国籍取得は覆いにありえると考えられたんです。

 ジョルディの決断は
 父と同様にオランダ代表で活躍することでした。

 父の隠遁に伴いバルセロナを退団したジョルディは、移籍先にマンチェスター・ユナイテッドを選択、1996年の欧州選手権にも出場しましたが、これがオランダ代表として彼が挑んだ最初で最後の国際舞台となりました。

 「あのクライフの息子なのだから、彼もサッカーの才能に恵まれているに違いない。」

 ファンの勝手な推測に、ジョルディは随分嫌な思いをしたのではないでしょうか?
 ジョルディはクライフのような名手ではありませんでしたが、彼が今の選手のように、ピッチの外で問題行動を起こすようなことはありませんでした。

 もし僕がジョルディの立場なら
 「父と比較したい気持ちを抑えて、まずジョルディ・クライフとひとりの人間として見て欲しい。」

 そう発言していたでしょうね。
 
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