塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

生きる事は時に面倒であると思う瞬間

2010-08-02 00:59:33 | 日記
 僕は仕事をしている時に
 「生きている事は面倒くさいな。」
 と思うときがしばしばあります。

 でもこの考えは仕事をしている最中の、ほんの一瞬頭をよぎるだけで、家に帰ってくればそんな考えは微塵もよぎりません。

 自分の体を差し出して、清掃や商品の整理を毎日していることに、疑問が湧く時にこの考えが浮びます
 
 でも僕にはお嫁さんはいませんが、両親と弟は健在ですし、家で飼っている2匹の猫に頬擦りしているだけで、悩んでいたことは忘れてしまいます。

 でもそうした気分転換すら難しい人々も、世界には存在しますね。

 マルセイユやボカ・ジュニオルスのファンが、時に暴力に頼った応援をするのは、彼らが愛するクラブに自己の姿を投影しているからでしょうね。

 ですからクラブが不甲斐ない戦いぶりを見せた際は、もう罵らなければ腹の虫がおさまらないわけです。眼前に見えるその光景は、うだつのあがらない自分自身と何ら変わらない姿なのですから。

 マルセイユはブエノス・アイレスは、
 それぞれ「対」になる存在がありますね。

 マルセイユの場合はパリがそうです。

 「左岸のアルニス・右岸のエルメス」
 という言葉があるように、パリには世界に名だたる老舗の店舗が存在しますし、ジャン・コクトーのような才人が似合う街でもあります。

 一方ブエノス・アイレスには、金持ちクラブで知られる「リーベル・プレート」が存在します。
 近年の成績ではボカが勝っていますが、ボカからすればリーベルは憎悪の対象でしかありませんから、例え今成績が上回っていても、いつ立場が逆転するかはわかりません。

 ですから彼らにとって愛するクラブは
 「心のよりどころ」であると同時に、
 
 「自分自身を見つめる居場所」
 でもあると言えます。
 
コメント
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