塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

マンチーニに対しての批判を考えてみて

2018-02-06 01:47:59 | 日記
 ロベルト・マンチーニは指揮官に転身して以降、他の監督達とは異なり、下積みを経験することなくいきなりフィオレンティーナと契約したことで批判を受けました。

 地道にコーチ・ライセンスの取得の励む
 コンテやディ・フランチェスコのように、地方クラブで研鑽を積む

 事を経験してきた人物からすれば、マンチーニの歩んだ道はやはり公平感に欠けるのでしょう。

 でも、僕は逆に、

 「場数を踏まずにフィオレンティーナ、ラツイオ、そしてインテルと渡り歩いた彼は凄い」
 「そしてプレミアでもリーグ優勝とFAカップを制覇している」

 側面には、素直になるべきだと思います。

 確かにマンチーニは2度目のインテル時代を思うように過ごせませんでしたが、これはクラブがオーナーシップを含む完全な混乱期に会ったことは大きいと思います。

 確かにポドルスキ、シャキリと思うような関係を築けず、シティでもインテルでもチャンピオンズ・リーグで勇躍はできませんでしたが、その点ばかりを批判するのはまずいと思うんですね。

 僕も皆さんも、新しい事柄に向かう時は緊張するものです。

 特にカルチョが国技であるイタリアで、これだけの名門を下積み無しで一定の成績を得られた事の方が大きいのではないでしょうか。

 あのバロテッリが

 「ロベルトはフェアな男だ」

 と、名前で呼ぶくらいですから、マンチーニは全ての関係者ではないにしろ、強烈なシンパを作るだけの人間性が備わっているに違いありません。

 イタリア代表監督には暫定でディ・ヴィーアジョが就任しましたが、マンチーニもコンテ同様に招集リストに名前が載るかもしれません。

 イタリアは美しい男たちがサッカーをする国としても有名ですが、マンチーニがベンチに座れば、案外彼がメディアの視線を集め、選手たちは試合に集中できるかもしれません。
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優等生はそんなに得か

2018-02-06 01:30:39 | 日記
 小学校3年生の時、僕は級長に選出されました。

 しかもほぼ満場一致での選出で、当時はよほど人望があったのか、それともただ面倒くさい事柄を押し付けられただけなのか、正直よくはわかりません。

 帰宅して両親に伝えると、とりわけ父は

 「お前は優等生だな」
 「これから頑張らないとな」

 とひどくご満悦でした。

 当時、僕は優等生という言葉の意味がよくわかりませんでしたが、ご近所の手前、自分の長男が級長に選ばれたことは、両親の自尊心を満たす事柄だったのでしょう。

 上の学校に進学する、職を得れば猶更で

 「息子さん、大学に受かったんだってね」
 「あんな良い企業に就職出来てうらやましいわあ」

 などという会話は、ドラマの世界の専売特許ではありません。

 僕は優等生が必ずしも素晴らしいかと言えばそうではないと思いますし、両親や教師から叱責されたとしても、何か夢中になって取り組める、今は見られませんが何かしらのいたずらをして学んでゆく方が、メンタルはタフになる。

 そう感じます。

 サッカーの世界も、カカのように品行方正の選手は、本人の意思とは関係なく「お上品」と揶揄されますが、生まれは誰もが選べることは出来ませんから、この批判はアンフェアなものです。

 逆に同じブラジルならルイス・ファビアーノ、アルゼンチンならカルロス・テヴェスのように、時に悪態をつきながらも結果を出し続ける選手の方に、ファンの注目が集まることも事実です。

 優等生がひ弱
 ガキ大将がタフ

 というのは日和見的見解ですが、2010年のブラジル代表はその代表例がオランダ戦の途中までうまくかみ合っていた、はずだったのですが。

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