塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

10代でのA代表到達、定着はどうなのだろうか

2018-02-25 18:22:48 | 日記
 競技の違いあれ、ピョンチャン冬季五輪をみていますと、10代で国の代表となり、金メバルを獲得してもおかしくはない点が見えてきます。

 ただロシア代表アリーナ・ザギトワのように、早すぎる年代(15歳)での受賞が

 「早熟の天才」
 「ピークが速くにはやく到達しすぎた」

 という批判が、彼女を苦しめる可能性もあるのですが。

 サッカーは五輪はともかく、年齢で区切りながら国際大会を開いてきました。

 バイエルンからスワンジーに移籍したレナト・サンチェスのように、10代でポルトガル代表が欧州王者に輝く手助けをしたものの、猛者が集うバイエルンでは居場所がないように、10代の選手がA代表に定着し、主力になる。
 
 これは世界を通じても困難な出来事です。

 これは集団競技と個人競技の違いもあるでしょうし、現在のように年齢制限を大会別に設けた方が

 強化の指針が得やすい
 選手の目的設定が明確になる

 という特徴もあるでしょう。

 当然、本当に力があればA代表でも通用するという意見はりますが、それは建前であり、早すぎる頂点への調達が、過去の事例でいえば北アイルランドのホワイトサイドのように、大きな重圧を与える気がします。

 通常版のキャプテン翼は最終巻をなる37巻で、代表監督に任命された奥寺康彦氏が中学3年生の大空翼を招集し、グレミオとの一戦に出場しハットトリックをする場面が描かれています。

 代表デビュー戦のハットトリックと言えば、先日引退を表明した平山相太氏がイエメン戦で実現し、大きな驚きとして報じられました。

 一方で中学生でのA代表到達は、今も昔もファンタジーであったほうが選手が多くの注目を集め、疲弊しなくてよいと感じるのですがどうでしょうか。
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思い出は厄介なのか、金のなる木か

2018-02-25 15:18:26 | 日記
 物を捨てられない理由を考えますと

 1・使う可能性があるから
 2・高値で購入したため

 という物の他に「思い出」があるからでしょうか。

 僕も捨てる際に、これ使うかもしれないなあと思うものは一旦脇に置き、捨てて問題ない物からどんどん処分してゆきます。

 一方で家族と同郷していると、処分しようとしても

 「簡単に捨ててしまうなよ」
 「いつか使う時、あるかもしれないよ」

 という歯止めがかかることも事実です。

 思い出というのは厄介なもので、我が家には僕が保育園や小学校で制作した版画や絵を今でもとってあり、仮に処分したなら大目玉を喰らうことは間違いありません。

 僕の物なのですから、僕が不要と判断すれば何の問題もないはずなのですが、人間の心理、感情は簡単に打ち消されるものではないのですね。

 例えばスティーブン・ジェラードがリバプールを退団する際、様々なことが頭をよぎったと思います。

 と言いますのも、彼の退団とLAギャラクシーへの移籍は、既に彼の存在を飛び越え

 世界中の全リバプールファンの記憶、思い出と密接している
 彼が退団すると、彼のプレイは思い出の中にしか生きない

 という形になるためです。

 ジェラードがアディダスの愛用者でしたが、プレデターを再度開発したのも、プレデターの感触を忘れられない市場の声が、突き動かした結果なのかもしれません。

 思い出のように

 「あの時はこうだったな」
 「懐かしいなあ」

 と思うものが、オークション・サイトで販売中の古雑誌や古着です。

 つまり思い出が商売になる一例ですが、時にセンチメンタルな感情を振りほどかなければ、物の処分だけでなく選手の移籍すらままならないのではないでしょうか。
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恐竜、ついに陥落の時か

2018-02-25 13:32:13 | 日記
 耐えに耐えて遂に降格をしたのが昨年にアルビレックス新潟でした。
 
 そしてブンデスリーガでは「恐竜」と呼ばれ、リーグ発足以降降格経験のないハンブルクが、今季遂に降格の気配が濃厚となっています。

 ハンブルクは1983年のチャンピオンズ・カップ優勝という栄光を持ち、ケヴィン・キーガンを筆頭に各国の代表選手が数多く在籍してきました。

 Jリーグ発足後、多くの日本代表選手がブンデスリーガに在籍してきましたが、「プロ」時代に限定すれば長谷部誠ではなく高原直泰とハンブルクに先見があったと感じます。

 ハンブルクがバイエルンのような競争を取り戻すには、セビージャの例が参考になると感じます。

 今はローマに在籍しているモンチSDのように

 1・良品を安く仕入れて高く売却する
 2・売却して得た資金を、再度投資に回す
 3・クラブが競争力を得た形で、リーグの上位を目指す
 4・上位が定位置になれば欧州での戦いが可能であり、出場ボーナスも入手可能

 というように、近視眼的、言い換えれば「場当たり補強」を行わないSDを招くべきだと思うのです。

 2部降格が現実となれば、アディダスとエミレーツという大型スポンサーも難色を示すでしょうし、ハンブルクのような「古豪」は、勝利の歴史がありますから、すぐに1部に復帰できるとという考えを持つフロントも多いと思います。

 人間が人間を見極めることは簡単なことではありません。

 しかし、潔く経営陣は退陣し、不要と感じた選手に解雇通告を行うことがまずは先決になるでしょう。

 ハンブルクの存在しないブンデスリーガ1部

 ドイツの人間が体験したことのないリーグが、来季行われる気配が高くなるとはかつては想像できませんでしたね。
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中村憲剛、フライデーに登場する

2018-02-25 01:00:33 | 日記
 毎週金曜日発売のフライデーと言えば

 水着女性のグラビア
 芸能人の諸事情

 が目玉記事と言えます。

 一方で、たまにではありますがサッカー情報の掲載もあり、最新号ではフロンターレの中村憲剛の特集が掲載されています。

 記事を読むと、彼も迷っていたんだなあと感慨深くなります。

 日本代表としてワールドカップ16強進出を果たした2010年、彼のもとには諸外国から多くのの移籍話が舞い込んだとのこと。

 30歳という年齢を考えれば、海外リーグへ旅立つ最後の機会であったにもかかわらず、中村は

 1・ファンの残留要請
 2・無名の自分を育ててくれたフロンターレに、優勝のお返しができていないこと

 を胸に刻み、残留し昨年の歓喜につながったというわけです。

 外国の方は「義理と人情」という日本独自の発想がよくわからないとこぼしますが、この感情が歌舞伎、狂言、古典落語の題材になるなど日本では馴染みのある光景です。

 フロンターレのファンはきっと

 「ジャスティス!!」

 を軸に、毎年半ば強制的に「ゴールパフォーマンス」を押し付けられる中村を見て、彼がいる安心感をその瞬間に感じるのでしょう。

 リーグMVPを受賞し、リーグ優勝も果たした今、フロンターレの関係者はきっと

 「中村と共にアジア王者を目指そう」

 と考えているに違いありません。

 鬼木、関塚、そして風間など日本人監督が指揮を執ってきたフロンターレ、その指揮官たちもきっと中村の存在をいつも頼もしく感じていたに違いありません。

 特にグランパスでJ1復帰を果たした風間さんは、中村を相手に戦うことをどう考えているか知りたいものです。
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