塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

カタール、ワールドカップ開催は不可能か

2018-02-26 01:00:08 | 日記
 ワールドカップは過去
 
 1・第二次世界大戦の影響で1938年から50年の間は開催されず
 2・1986年はコロンビアで開催予定だったが、大地震に見舞われ断念。メキシコが1070年に続き開催国となる

 という事例があります。

 ですからマラドーナの戴冠は、メキシコではなくコロンビアだったわけですね、本来の趣旨ならば。

 勿論1962年のチリ大会も直前まで開催が危ぶまれましたし、直近の2010年、2014年もストライキ、建設問題、交通手段など様々な点が指摘されながらも、開催がはく奪されることはありませんでした。

 しかし、劣悪な労働環境やサウジアラビアなど周辺国のとの関係悪化、何より票をいじっている可能性がある点で、カタール開催が

 1・1966年以来となるイングランド開催 
 2・1994年以来の米国開催

 に変更となる可能性があるそうです。

 現在のトランプ政権を見れば、恐らく米国での開催はないと思います。

 1993年のアジア最終予選、サダム・フセインとイラクが禁句であった米国入国を考慮した形で厳しい判定がイラク代表に下されたという事実が本当であれば、入国審査が厳しい上にサッカーに関心のない大統領の熱意は、さほどではないでしょう。

 まだ英国開催の方に余地が残されていると感じます。

 カタールの思惑がパリの思惑であれば、英国開催はアル・ケライフィは歓迎するでしょうが、ネイマールをそれまでPSGに引きとどめておく算段はあるでしょうか。

 それ以上にカタール開催がはく奪となれば、カタールが周辺国家だけでなく世界規模で頼りない国とみなされてしまいます。

 ネイマールの獲得は当然ビッグイヤーの獲得のためですが、それ以上にパリでカタールを浸透させるためと指摘され、ワールドカップのはく奪が実現すれば、アル・ケライフィの考えが根底から崩れ落ちてしまう。

 そんな予感もあります。
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サッカーの世界で顧みる父親の愛情

2018-02-26 00:49:48 | 日記
 ブラジル代表のラフィーニャ・アルカンタラは

 父親がブラジル代表マジーニョ
 兄がスペイン代表チアゴ・アルカンタラ

 であり、兄と同様に負傷に悩む時期が続きました。

 外国籍にも当てまりますが、スペインとイタリアでは生活習慣はおろか、サッカーに関する概念がまるで異なるため、同じ南欧でありながら適応するのが難しいことで知られています。

 2003年ミランに移籍したリバウドはバロンドール受賞者であることを忘れてしまうような低調ぶりであり、ミランはほかにも

 フェルナンド・レドンド(レアルから獲得)
 ハヴィ・モレノ(アラヴェスから獲得)
 リカルド・オリヴェイラ(ベティスから獲得)

 などの選手がその価値観の苦しみにもがきました。

 ラフィーニャはルーツはブラジルにある一方、その長い故障歴がインテルのファンからすれば気になるところでしょう。

 しかし、兄のチアゴと共に彼は父親の細やかな愛情に恵まれてもきました。

 ジダンが息子に自分の苗字ではなく、妻の「フェルナンデス」を名乗らせているのも、ジダンという名前がサッカー界では突出しており、自分の息子のプライバシーだけでなく、穏やかな環境で練習できるようにという、配慮があるためでした。

 マジーニョは1994年米国ワールドカップ優勝時のブラジル代表であり、この大会中に誕生したベベトの息子マテウスは世界中が祝福した、まさに軌跡の男子です。

 マジーニョがスペインに移住しても

 「偉大なるマジーニョの息子」

 というからかいから子供たちを遠ざけるために措置が、ジダンと同様に苗字を母方の物にする、しかし国籍の判別は彼らにゆだねる、というものでした。

 ちなみにベベトの息子の名前、マテウスは当然ロタール・「マテウス」から拝借していますが、このドイツ語の響きがブラジルでは「ピン」とこないことも大きかったはずです。

 サッカーでは東芝のように

 「ピンと来ちゃった!」

 では困ることがいくらもでもある、という事例でしょうか。
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底辺を満たすためのトップ・オブ・トップの意義

2018-02-26 00:37:38 | 日記
 ピラミッドの頂点に立つ「トップ・オブ・トップ」が結果を出せば、必然的に下の階に大きな刺激とやる気を与えることが、今回の冬季五輪で改めてわかりました。

 長野県は軽井沢にカーリングの施設がありますが、しばらくの間は満員御礼は間違いないでしょう。

 またカーリング女子代表が銅メダルを得たことで

 彼女たちが口した果物への問い合わせ
 サポートしてきた味の素、ミズノへの注目度や株価指数

 などにも関連記事が今後多く見られそうです。

 トップが勝てば下の世代にやる気が生まれる
 やる気があれば自主練習が可能になり、優勝が更に近づく
 彼らの勝利が更に底辺拡大を導く

 という、何だか「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、ピラミッドがより強固な物に変化してゆくでしょう。

 グランパスエイトとガンバが開幕戦で10代の選手が起用されましたが、なるほどプロとしての立場に年齢は関係ないのでしょう。

 現在のJ1で一番コスト・パフォーマンスが高いのは、恐らくグランパスエイトのガビリエル・シャビエルだと思いますが、彼のパスワーク、フリーキックは若い選手が盗むに値すると思いますね。

 ジャンフランコ・ゾラが若き時代、マラドーナの後ろ姿を追いかけ、ナポリ、パルマ、チェルシー、カリアリのいずれでも大きな経緯を集めたように、自分にとって不可欠な技術は「正しい」形で習得せねばなりません。

 ただ若い人々に伝えたいのは、人間は万能ではないし、相性が悪い事もあれば輝けない場所もあるということです。

 ゾラも代表とワールドカップでは思うように活躍できず、マラドーナも麻薬、過食で死にそうになったことはいくらでもあります。

 ただ、プロであろうがなかろうが、自分自身と対峙する時間を持つことは極めて大切であり、僕はこのブログと向き合うことがそうである、と言えますね。
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