塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

保守と革新、僕は前者の方ですが。

2018-02-22 17:00:51 | 日記
 政治の世界に限らず、世間では保守と革新という言葉が見られます。

 僕は服装に関して言えば前者にあたり、シャツは白か空色、柄は細い縞柄のみ、ネクタイもチェックはペイズリーは一切に見つけません。

 簡単に言えば保守は、基本に忠実であることが根底にあり、だからこそ古臭く悪い意味で伝統に固執しているように見えるのでしょう。

 勿論、時代に即した変化は必要です。

 今スーツでは従来のウール、麻、綿という天然素材から、スポーツジャージのような機能性を満たした素材まで幅広く存在し、必ずしも天然素材が全てではありません。

 革新をうたう人物は、このような新機軸を率先して行うことで、目新しさを広げてゆくのでしょう。

 でも、革新は基本がともなってこそ意味があります。

 英国を代表するデザイナー、ポール・スミス氏の商品は日本でも人気ですが、彼が手掛ける背広は基本、ハンツマンやヘンリープールに代表される

 「英国伝統の背広から基本を学んでいる」
 「ポール・スミス自身が職人の背中を見てきた」

 事が大きく関与していると思います。

 つまり、チェックのネクタイや薄紫の無地やギンガムチェックのシャツをオン・ビジネスで着用したいならば

 「本来はビジネスに不向きである」
 「しかし、今回はあえてこのデザインを着用」

 という理念が必要ではないでしょうか。

 ナイキ、アディダス、そしてプーマが盛んにニット素材を市場に投入していますが、彼らはいきなりニット素材と合皮をスパイクに搭載していません。

 基礎となるカンガルーレザーを用いた、クラシックな靴づくり、職人のクラフツマンシップの名の下で成長してきたからこそ

 「新しい素材の投入」
 「靴紐の概念を変える」

 事が出来たと思います。

 案外、保守と革新は表裏一体なのかもしれませんね。
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改めて思う、プロクラブの存在価値

2018-02-22 11:48:12 | 日記
 サッカーに限らず、プロスポーツは応援している方の人生と、密接な関係がありますよね。

 例えば僕の父はもう70代後半ですが、息子の僕としては父の生涯でまだ2回しか体験できていない、横浜DENAベイスターズのリーグ優勝と日本一を味わってほしいと思います。

 これが読売巨人軍や鹿島アントラーズのような「巨人」のファンであれば、様相は異なってくるのですが。

 日本はすでに100歳まで生きることが当然、という風潮さえありますが、思い残すことの中に

 「自分が贔屓にしているクラブの行く末」
 「優勝の瞬間に立ち合いたかった」

 という感情が無ければよいのですが。

 米国スポーツは「フランチャイズ」、つまり商業圏の中で思うような採算が得られないのであれば、移転が可能のです。

 一例を考えてみますと

 モントリオール・エキスポズがワシントン・ナショナルズへ(大リーグ)
 シアトル・スーパーソニックスがオクラホマ・シティサンダーへ(NBA)
 ボルチモア・コルツがインディアナポリス・コルツへ(NFL)

 があるわけですが、どんなに観客動員で苦戦してもそこの土地にファンが不在となったわけではありません。

 サッカーが降格制度を用いているのは、

 「君たちは1部で戦う戦力と財政面が無いね」
 「だから下のリーグで顔を洗って出直しておいで」

 という意味合いで、あのフリューゲルスのような例は本当に例外です。

 クラブが消滅しないことの保険として、降格を用いていると僕は解釈しています。

 前回触れた大杉さんが熱心にヴォルティスを応援していたことも、故郷のクラブだけでなく、彼らの奮闘に自分の人生を重ねていたためでしょう。

 僕もパルセイロの苦闘に自分を置き換えているくらいですから、それだけでプロクラブが存在する価値がありますよ。

 
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大杉漣さんの訃報に関して

2018-02-22 11:34:44 | 日記
 大杉漣さんの突然の訃報に、芸能界は落胆、そして悲しみが広がっています。

 特に大杉さんが出演している番組関係者の混乱ぶりは相当のようで、大杉さんの存在感が改めて浮彫となりました。

 映画やドラマに疎い僕ですら

 「ええ、大杉さん亡くなったの?」

 と思ったくらいですからね。

 大杉さんはサッカー好きでも知られており、故郷のクラブ徳島ヴォルティスに声援を送っていたわけですが、僕がどこか大杉さんを画面越しに好ましく感じていたのは、同じサッカー好きだから、というわけでもありません。

 よく世の女性たちは

 「日本の男はだらしがない」
 「レディー・ファーストやセクハラなど、概念を根本から変えて」

 と不平を漏らします。

 事実、その指摘は「部分的」には当たっており、日本男性はもっと髭剃りやつめの手入れ、服装を含めた言動を見つめなおすべきだと僕も思います。

 一方で大杉さんのように

 「人生、良い時期も悪い時期もある事をしっている男性」
 「日本の男も、こんな味わい深い存在がいるじゃあないか」

 と思わせる方がいること。

 これは紛れもない事実で、下の世代が「こうなりたいね」と思える手本であったと思います。

 日本代表の若手が敬愛を込めて「ゴン」「アツ」などと読んできた諸先輩が、解説はフロント入りを果たしながら、後輩の質問に答えより良い代表とリーグを目指す姿とどこか重なるような気がします。

 今、徳島の掲示板を閲覧しましたら、ヴォルティスファン以外の方からも多くの書き込みがあり、サッカー好きが皆大杉さんの訃報に悲しんでいることがわかりました。

 冥福をお祈りいたします。
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