塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

舶来品か国産品か選択はどちら

2019-02-19 01:03:17 | 日記
 日本には台湾や中国から多くの旅行者が訪れます。

 そして土産物として日本製の食材や電化製品、衣料品を買いますよね。

 僕らが中国製を買い求めることは自然ですが、彼らも帰国すれば周囲は台湾製、中国製を購入することはもっと自然なためです。

 日本からチャンピオンズ・リーグやワールドカップ観戦のために有給休暇を消化する方も増えていますが、当然現地で「現地」の食や買い物を楽しみたい。

 そう考えることが自然です。

 ですから、今日本ブランドは家電も衣料品も関税がかからないベトナム、新興国として注目を集めるカンボジアやラオスで生産を行うことが多くなりました。

 でも、海外からの旅行者が増加すればするほと、彼らからすれば日本製品はれっきとした舶来品ですよね。

 イニエスタがアシックス、トーレスがミズノを履き始めたことが話題ですが、彼らもまた日本生まれ、日本生産という言葉を魅力的にとらえたのではないでしょうか。

 つまり、日本生産を増やすことで、海外からの需要にこたえられるように思うのです。

 一方で僕は舶来品を日本人が好むのも当たり前だと思います。

 例えば僕ですら

 色鉛筆、カミソリ、洗剤はそれぞれステッドラー、ジレット、フロッシュのドイツ製
 住居用シートはチフのイタリア製
 風呂用洗剤はジョンソン&ジョンソンのスクラビングバブルの米国製

 を使っています。

 これは僕が勝手に、日用品を日用品デザインとして消耗するとどこか気がめいってくるためです。

 舶来品を用いていると、何だか気分が高揚しますし、何より僕の英語力ではパッケージに何が記されているか、解読不明で日用品らしくないためです。

 舶来品化国産品か

 今後の選択肢が興味深いと言えます。
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サッカーは人と人

2019-02-19 00:44:19 | 日記
 僕は中学時代に学習塾、小学校時代にはそろばん塾に、高校卒業後は1年間の予備校暮らしを経験しています。

 そこで思うのが、僕は教師とか先生と呼ばれる人物に教えを請う事を好まないという点でした。

 つまり、自分で納得して購入した参考書や辞書を用いて学ぶ方が、波長の良くない教師と向き合うよりも僕にとってはありがたい、と感じるためです。

 僕が学習塾に通っていた時、数学が苦手のために本来ならば勉強は進まなかったんですね。

 ところでが、ある一人の先生と出会ってから、粘り強く教科書と獲得し、必死に学ぶと苦手だった教科にも関わらず、猛勉強がはかどる事。

 しかし、先生が入れ替わってしまうと、その熱意は急激にしぼんでしまいました。

 子供が本当に波長のあう教師、勉強することは苦痛ではないよ、と教えてくれる存在と出会う難しさを、当時感じた次第です。

 サッカーも同様で、選手と指揮官の間には様々な出来事があります。

 どれだけコンピュータが発達しても、ソフト制作も人間、データ入力も人間、活用するのも人間であることに変わりはありません。

 でも、VARに代表される機器の発達が、審判を助けることで大きな批判を軽減出来ていることは良いと思います。

 しかし、コンピュータが人間を凌駕することは、今後もないと信じたいものです。

 アントニオ・コンテが業を煮やしてチェルシーを退団したこと
 ファビオ・カペロがデル・ピエロやバッジョと対立したこと
 スコラーリがワールドカップ2014で結果を残せず、糾弾されたこと

 これは全て「人」対「人」

 の結果と言えます。

 最近は移籍の為に練習を拒否する選手がいますが、それもサッカーの持つ人間の心情と言えるのかもしれません。
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