塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

個性、個性と言いますが

2019-02-03 01:50:39 | 日記
 マイケル・ジョーダンやコビー・ブライアントに代表されるバスケットの名手には、

 「キラー・インスティンクト」

 と呼ばれる能力が備わっていると指摘されます。

 日本語でいうならばとどめを刺す、もっと単純に言えば点を取れるときにとっておき、相手のやる気を削ぐという意味合いですね。

 カタール戦の後半45分のうち、ビデオ・アシスタント・レフェリーでカタールにPKの判定が下るまで、マイボールの保持率、多様な攻撃を含めて明らかに日本がカタールを凌駕していました。

 ですから南野がゴールを奪った瞬間、僕たちも観客席もベンチも

 「そうだ、試合はこれからだよ」
 「今、追い付けば完全にカタール代表の戦意は失われる」

 と思ったはずです。

 しかし、実際はあべこべの形になりました。

 日本代表には過去、絶対的は個性を持つ選手が数多く存在してきました。

 しかし、そんな簡単に絶対的な個は生まれませんし、見つかりもしません。

 逆に若年層の指揮官が

 「そうじゃないだろう」
 「何でそんなことするんだ」

 と子供たちを叱責し、親御さんが監督やコーチにずけずけともっと自分の子供を起用しろ、と文句を言うことすらすようです。

 絶対的な個性を生みたいのであれば、親御さんは現場の介入(指揮官が暴力や理不尽な行為を行わ依限り)はしてはなりませんし、コーチも言葉遣い、声掛けはもっと考慮するべきでしょう。

 やはり、これだけ失敗を恐れビクビクする国はまず世界的に稀でしょうし、子供の時に得たマイナスの体験は成長してもそう簡単には拭えないはずです。

 個性を認めると言いながら、出る杭は打たれると指摘されるくらいですし、僕たちも見方を変える必要があると思いますね。
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清々しい敗戦ではなかったための焦燥感

2019-02-03 01:33:04 | 日記
 今の刺し子ジャージは、ワールドカップ16強という甘美な思い出を僕たちに与えてくれました。

 一方でベルギーに敗れたことはともかく、カタールに敗れて大陸王者を逃すという、マイナスの印象が強くなってしまい、凄く残念に思います。

 ここまでファンがうっぷんを貯めこみ、識者が憤慨しているのか。

 それは対戦相手がカタールだったためではないでしょうか。

 これがアジアカップ優勝経験国、ワールドカップで勝利の喜びを知るイラン、韓国、オーストラリア相手の敗戦ならば、どこかまだ頷けると言えます。

 しかし、カタールは

 1.ワールドカップの出場はおろか、アジアカップ優勝の経験すらもたない
 2・ワールドカップ開催国が、初めてそれ以前の大会に出場したことが無い事例

 というように、「不文律」が通用しません。

 逆に日本代表は、体調面がイラン戦に最高潮の形になってしまった印象があり、そのためカタールの戦いに素早く対応できなかった印象を持ちます。

 これが1997年、ジョホールバルで日本代表に敗れたイラン代表のように

 真正面から打ち合い、後退しなかった
 自分たちの限界をさらけ出した形での敗戦

 ならば、ファンは敗れても大きな拍手を送ります。

 実際選手たちがイランに帰国すると、非難するファンは皆無で空港では皆が健闘を讃えたといいますからね。

 つまり、日本代表の敗戦は万人が納得のいく敗れ方ではない、清々しさが無いのですね。

 戦術面、選手選考と練習内容の吟味は識者に任せることにして、僕たちはコパ・アメリカに向けてJ1からどの選手を招集してほしいか、吟味したいと思います。

 欧州リーグの選手たちが疲労をため込んでいるオフシーズンの開催ですからね。
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