塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

スパイクの適正サイロはどの程度でしょうか

2022-02-11 21:39:39 | 日記
 アディダスはワールドカップ2014において「バトル・コレクション」を発表し、大好評を得ます。

 その一方で大会終了後アディダスは、「エックス」と「エース」という2サイロでスパイク展開を行うことを発表し、ナイトロチャージやパティークが廃盤となります。

 しかし、この2サイロだけでは選手(アマチュアを含む)の希望に応えることが難しいと考えたのでしょう、グリッチやネメシズなどを導入しながら現z内にいたります。

 そこにはプレデターやF50の復刻版も含まれます。

 このアディダスの事例からわかるように、サイロはどの程度準備するのが得策なのでしょうか、という疑問が生じます。

 恐らくアディダスからすれば、2サイロに絞ったのはアマチュアへの配慮だったと推測します。

 つまり、初心者からすればアディダスの靴は格好いいですし、スターが愛用している名門ですよね。

 1・しかし自分にはどの靴が良いのかまるで見当が使いない
 2・店頭にはアディダス以外の靴も多く売られている
 3.その中から絞り込むにはどうすればよいのか

 という悩ましさを解決するには、展開を最小限にすればよいと判断したのでしょう。

 ただ、その方向性は契約選手、つまりプロから細かな注文に応じることができない面もあったのでしょう。

 アマチュアとプロ、両方へ適切な対応をするには2サイロは少なすぎたというのが、アディダスの反省点だったと推測します。

 ミズノはモレリア2と派生形のモレリア・ネオとレビュラカップ
 ニューバランスはテケラとフェーロン、そして4-4-2
 プーマはウルトラ。キングにフューチャー

 など、3サイロ程度が必要数ではないでしょうか。

 ニットスパイクだけでなく、プーマはキングで「ヴィーガン・レザー」という、動物素材ではない皮革を採用するなど、新しい局面に突入した印象がありますね。
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競技に見られるルール変更

2022-02-11 21:18:30 | 日記
 大リーグは昨年まで、アメリカン・リーグのみで指名打者制度を採用していましたが、2022シーズンからはナショナル・リーグでも採用が決定しました。

 NBAではかつて、守備戦術においてゾーンはイリーガルでしたが、現在は使用可能となっています。

 これはかつての世界選手権、現在のワールドカップにおいてゾーンの採用は問題なかったための措置であり、米国代表が欧州代表や南米代表の敷くゾーンに対応できなかったため、リーグで採用することを機構側が決定したのですが、当初は選手に大変不評でしたが。

 これらのように、定期的なルール改正はリーグとその競技がよりファンの関心を抱かせ、不公平感を是正するために考えられます。

 近年のサッカーでも

 交代枠を3選手から5選手へ増加
 バニッシング・スプレーの採用
 ビデオ・アシスタント・レフリーの導入

 という形で競技の向上を促しています。

 実験的に試されて不採用の事例も当然ります。

 タッチラインの外に出たボールはスローインで放り込む、これはごく普通の光景ですが、「キックイン」つまりボールを蹴ることで試合再開という案が試されました。

 確か1993年のアンダー17世界選手権、つまり日本がホストとなり若き日の中田英寿の存在が全国区になった国際大会で実験が行われた、と記憶していますがスローインの方が理にかなった動作というわけでしょうか。

 元木大輔読売巨人軍コーチは現役時代「隠し玉」の名手で知られていました。

 大リーグでも隠し玉でアウトカウントを稼ぐという話は聞いたことはありませんが、日米問わず隠し玉はルール違反ではなくても、どこかで汚い印象を与えるのかもしれません。

 サッカーでも意図的なハンドで失点を防いだ際は、同様の声が寄せられますね。
 
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集英社文庫「対岸のヴェネツイア」より

2022-02-11 21:02:27 | 日記
 集英社文庫「対岸のヴェネツイア」を読むと、クロノスのジャージ、会長のザンパリーニと名波浩を思い出します。

 名波が移籍した19990-2000シーズンは、現在のように日本代表選手たちが欧州各国に点在しているわけではなく、中田英寿の存在だけが突出していました。

 彼が在籍するペルージャとの一戦では、日本から多くのマスメディアが殺到したわけですが、既に彼らの構図は

 「中田英寿対名波浩」

 という、まるでレスリング化柔道のような個人競技のような形で、サッカーが集団競技ではないような扱いだったことは、本当に奇妙でした。

 それだけ日本サッカーが本場から見れば「遅れている」証でもありました。

 ちなみにゼニト・サンクトベテルブルクという海外リーグ、そしてASローマ、インテルミラノ、そしてナポリとセリエAを渡り歩くルチアーノ・スパレッティが、この名波在籍時のヴェネツイアを率いていたことを覚えている方は、さほど多くないかもしれません。

 彼は就任、解任、再就任、また解任とオーナーのザンパリーニの短気さに振り回された格好で、駆け出しのスパレッテからすれば全く落ち着かないクラブだったに違いありません。

 ザンパリーニはのちにパレルモのオーナーとなり

 ファブリツイオ・ミッコリ イタリア代表 のちにユヴェントス
 ハビエル・パストーレ アルゼンチン代表 のちにパリ・サンジェルマン

 という代表選手たちを高値で売却するなど、辣腕を見せましたし2006年イタリア代表としてワールドカップ優勝を果たすルカ・トニも、パレルモで汗を流した時期があったものです。

 ただ、彼の短気はここでも変わらず、多くの指揮官が回顧通行を受けます。

 名波と中田の対戦は日本のマスメディアが溢れかえりました、案外欧州の記者もその点では同じ面はあります。

 2003年のFIFAコンフェデレージョンス・カップ、ジーコが日本代表監督とそて開催国フランスに渡り、ミッシェル・プラティニに挨拶すると、記者たちは二人が並んだ写真を撮りたいと要望を出します。

 「私は観光できたのではない」
 「日本代表監督という責任ある立場でやってきたんだ」

 と温厚なジーコが激怒するほどで、マスメディアの身勝手さが露呈されたわけですが。
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