塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手が豪勢な生活を送るのは嫌味だろうか

2022-02-15 21:38:41 | 日記
 サッカー選手が強盗被害やパパラッチに追い掛け回されるのは、選手が豪奢な暮らしをしていることに問題があるのでしょうか。

 豪奢と言いましても、プロサッカー選手の報酬は当然差がありますし、Jリーグのようにプロのカテゴリーが3段階あれば、当然J3よりもJ2、J2よりもJ1の方が報酬も練習環境も優れている形になります。

 強盗犯はカメラマンは、どこか思い違いをしていることもあるでしょう。

 サッカー選手が皆、ロレックスに代表される高額腕時計を所有しているわけではなく、ランボルギーニやフェラーリのように、高額な車を華麗に運転できるわけでもありません。

 ユルゲン・クリンスマンはイングランドでもイタリアでも人気のある選手でしたが、それは

 1・愛用車が、母国ドイツの大衆車であるウオルクス・ワーゲン
 2・海外文化に溶け込むことを怠らない
 3・何よりクリンスマン自身が飾らない性格であり、着飾る、見栄を張るという自己顕示欲が薄い選手であった

 という点もあります。

 選手たちは時に

 「僕たちは良い服、食事、腕時計、車を買うことで子供たちに、サッカーは稼げるんだよと伝えたい」
 「そして良い暮らしをして貰いたいのさ」

 と語ります。

 ただ、「良い」暮らしの「良い」は当然個人差がありますし、選手が大金を得てその大金で妻や子供たちが豪勢な買い物をして自己顕示欲を見せると、実に不愉快になる、という側面もあるでしょう。

 誰もが修道士や僧侶のように、節制や自然の摂理に従う暮らしができるわけではありませんし、僕だって手元に名のあるブランドの商品があるくらいです。

 ただ、それらを控えめにつけるか、それとも成金趣味的な形で見せるかが、強盗犯やパパラッチに訴えかける「差」なのかもしれません。

 誰もが強盗に襲われてみたい、拳銃を見せられ恐怖の時間を過ごしたいとは思いませんからね。
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大津祐樹、ケレメの取締役に就任する

2022-02-15 21:00:24 | 日記
 NBAもサッカー同様に、ナイキの契約選手桁外れに存在します。

 その中でカワイ・レナード(ニューバランス)、ステッフィン・カリー(アンダーアーマー)、ケリー・ウーブレ・ジュニア(コンバース)というように、当然ナイキ以外のブランドであり、契約選手がごく少数、という形があります。(コンバースはナイキ傘下ですが)

 サッカー・スパイクもそうですが

 1・皆と同じ靴、ブランドを選択しない
 2・その方が個性があるし、何より自分の靴が簡単に見つかる
 3・プーマやアディダスのように、伝統があり契約選手を数多く抱えるブランドと契約し、その中でも特別扱いしてもらえるくらいの実力者になりたい

 と思うことは選手によって様々でしょうね。

 僕はある意味「ひねくれているのか」、大手の靴よりも少数派のように目が行きます。

 街中でヒュンメルやサッカニーの愛用者を見ますと「見る目があるね」と思いますし、逆にジョーダン・ブランド(パリ・サンジェルマン)を見ると、お金があるんだなという別の感想になります。

 ジュビロの大津祐樹が先日「ケレメ」と契約したことで話題になりましたが、何と彼、ケレメの「取締役」に就任したんですね。

 (ウエブ版 サッカーダイジェストを参照)

 小規模ブランドと契約することにより、自分の感じた意見、感想が商品の改善、開発に大きく関与することにやりがいを持つ、契約してよかったと思う選手がいる一方で、ロナウドのようにナイキのようなビッグブランドの頂点に立つ事を夢見る選手もいます。

 この記事では、大津がケレメと関係を持つ以前からビジネスの関与していること(僕はこの記事で初めて知りました)を告白しているのですが、彼の在り様は案外今後の現役選手たちにも多くな影響を与える気がしますよ。

 鈴木啓太や中田英寿がビジネス面を重要視し始めたのは、引退後の事ですしね。
 
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無策であることはいかなる処置が必要なのか

2022-02-15 20:46:19 | 日記
 僕の勤務先は基本、残業ができません。

 それでも欠席者の穴埋めや諸事情などで残業時間が積み重なると、責任者からは

 「もう帰ってくれ」
 「そういう事をやっているから残業になるんだ」

 との声が飛びます。

 つまり「残業するな」が単なるスローガンとなり、

 「どうして残業が発生してしまうのか」
 「その背景には何があるのか」
 「ではどのような行動を考えれば、皆が定時で帰宅できるのか」

 を考えないんですね。

 それこそ責任者が「責任」者である理由だと思いますが、サッカーでいえば指揮官が無策である、につながりますか。

 フィリップ・トルシエが五輪代表とA代表を兼任していた2000年、五輪代表はシドニー五輪に参加するも8強で米国代表にPKで敗れます。

 ASローマへの合流が遅れる、つまりFIFAでもAFCの管轄でもない大会に参加するリスクを背負ったかあれが、最後の最後でPKを外してしまったことは残念でしたが、それ以上に指揮s田たちが指摘したのは、指揮官が無策と感じた為でした。

 日本五輪の3-4-1-2に対して米国代表は限らなく4-2-4に近い4-4-2を敷き、バック3歳代の欠点である最終ラインの背後と横のオープン・スペースを徹底して突いてきました。

 GKの楢崎正剛が出血するアクシデントに見舞われるも、フィリップ・トルシエは、交代枠が「1」残っているにもかかわらず、GKの交代も後手に回る布陣の修正もせず、ベンチから動くそぶりをみせませんでした。

 多くの方がこの行動から

 「トルシエは動かなかったのではなく、むしろ動けなかったのだ」
 「もう彼では駄目だね」

 という感想を抱きます。

 秋、日本代表は強く美しくアジアカップ2000で優勝しますが、無策であることは最前線に立つ選手、兵士を無駄死にさせることだけは確かであり、それは僕の職場でも同様の光景に感じます。
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