塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ミズノ、2023年よりラツイオと契約へ

2022-02-18 21:44:44 | 日記
 専門サイト「0014のブログ」によると、ラツイオは来季からミズノとスポンサー契約を交わしたとあります。

 現在はマクロンと契約中のラツイオ。

 ジュゼッペ・シニョーリが大エースとして君臨した1990年代中期はアンブロ、ファン・ヴェロンやエルナン・クレスポ、ディエゴ・シメオネなど、アルゼンチン代表も猛者たちが名を連ね、スクデットを獲得した2000年は、プーマがスポンサーでした。

 日本ブランドでは、サンプドリア、レッジーナがアシックスと契約し、ジャージの供給を受けていたことが知られています。

 一方でミズノは2001年、フィオレンティーナをサポートしていたものの、イタリアのクラブと契約することはなく、ラツイオとの契約はセリエAだけでなく、欧州クラブとの契約へ向けた足掛かりになるかもしれません。

 ミズノはサッカースパイクだけでなく、野球用品でも高い品質を保持することで知られており、米国でも日本でも多くの支持を集めています。

 ですから野球用品で北米市場を、サッカーで欧州市場を開拓、販路を広げることが人口減少で市場自体が縮小傾向にある日本から脱却することの第一歩を考えたでしょうか。

 また、経済的発展画も更に期待される東南アジア市場では、タイ代表のチャナティップに次ぐ契約選手が求められるでしょうね。

 ヴェトナム代表がワールドカップアジア最終予選に進出したように、東南アジア各国も地道に成長して力を蓄えて言います。

 西アジアにガルフカップがあるように、東南アジアではAFCスズキカップがあり、覇権を競います。

 こうした土着の大会から契約選手を探すという手もあるでしょうし、Jクラブも有力な選手を獲得できるのではないかと考えます。

 ランバードラインが来季、欧州では目立つ存在になるような気がしてきましたよ。
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名声は死後と現存、どちらに与えられるべきでしょうか

2022-02-18 21:31:42 | 日記
 レオナルド・ダヴィンチは今でこそ素晴らしい芸術家であり、先見の明を持つ人物であったと評価されますが、生きていた当時はさほどの評判ではなかったようです。

 代表作である「モナリザ」が本国イタリアではなく、フランス・ルーブル美術館で保管と展示されているのは、晩年のダヴィンチがフランスに庇護されていたためですが、芸術家でなくとも

 「評判と名声は死後に得る方が理想的なのか」
 「現存中に大金と共に得るべきなのか」

 が問われる気がします。

 ファン・ホッホ(ゴッホの発音はホッホに近いのでこう記します)のように、現存中と死後で扱いがこれだけ変化する画家も珍しいと思いますし、彼からすれば生きている最中に日の目を見たかったに違いありません。

 レオ・メッシはFCバルセロナで名声と優勝、報酬をほしいままにしてきましたが、パリ・サンジェルマンでは必ずしもうまくいっていません。

 それは駆け出しのころから在籍してきたクラブと、移籍初年度という在籍期間の差もあるでしょうが、むしろ現在のパリ・サンジェルマンは、当たり前ですがレオ・メッシを最大限有効活用するために戦術と布陣を構築してきたわけではありません。

 彼がスペインを去ったのは、クラブの財政とサラリー・キャップの観点からであり、競技面ではありませんでした。

 つまり、パリ・サンジェルマンからすれば「降ってわいたような話」が実現した形であり、既に形成されている「キリアン・エムバッペ」を軸に戦う過程に、レオ・メッシを放り込むしかなかったという面はあると思いますよ。

 少なくとも4-3-3の形しか、メッシを組み込める術はなく、ある意味でまだ暗中模索は続いていることは確かでしょう。

 ただ、メッシほどの選手でもうまくいかないところに、浮世という存在が痛烈に感じられます。

 皮肉であ春と思いますが。
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見てくれの良さは、必ずしもアドバンテージは無いようです

2022-02-18 21:17:40 | 日記
 「ヤマトナデシコ七変化」というDVDボックスを購入し、昨日から視聴しはじめました。

 僕はディスクの1枚目、2話までの視聴ですが題材になるのは「見た目、外見、そして心の尊さ」になります。

 外見が良いことは必ずしも当人の自己肯定感を上昇させることはなく、むしろ袋小路に追い詰めてしまう可能性があることが伝わります。

 デイビッド・ベッカムはまず「外見」から人気が出た選手であり、同時に周囲からやっかみや嫉妬受けた存在でした。

 今、プレミア・リーグに関心を抱き始めた方からすれば意外でしょうが、ベッカムが先発の座をつかんだ1990年代のマンチェスター・ユナイテッドは、リバプールやチェルシーが到底敵う相手ではなく、隣人のシティなどまるで話にならない存在でした。

 イングランド代表に選出
 ユナイテッド伝統の背番号7を背負うだけの責任を所持
 その卓越したクロスの質は、味方を多々助けてきた

 にもかかわらず、周囲は

 「ヴィクトリアはどうして彼と交際しているんだ」
 「ベッカムは全く英語がうまくない」
 「髪型だけを気にしている」

 と、信頼よりは避難の対象にしていた印象です。

 彼が突然坊主にする、モヒカンにする行為をとったのは、彼ら批判する人間たちへの「あてつけ」ではなく、単純に髪型を変えることがベッカム自身の気分転換だったのでしょう。

 契約するアディダスも、ベッカムを「ロゴ」にするという決断を下しますし、ACミランでもレアル・マドリードでも、同僚たちは彼がどれだけ練習に真剣に取り組んでいるかを語りましたが、そうでなければワールドカップに3度も出場していませんよね。

 ブラジル代表のカカも、その風貌がさわやかで美しいと評判でしたが、両選手ともに外見「のみ」を褒められることから距離を置く強さがありました。

 ただ、僕たちは外見を気にしすぎていると思う反面、その拘泥から逃れる方法も知らないように感じます。
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