塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本人に迫る脅迫、失敗は恥

2022-02-16 17:19:36 | 日記
 失敗は恥ずべき事と僕たち日本人はそう感じます。

 でも野球で3アウトチェンジになるには、三振や凡打がなければいけませんが、これらは「失敗」ではないでしょうか。

 日本人が極度なまでに「失敗」を毛嫌いするのは、自分が恥ずかしい、こんなことすら満足にできないという自己否定感を生むこともありますが、周囲が間違いなく嫌悪し、溜息をつき

 「こんなこともできないのか」
 「期待外れだな」

 と漏らすためではないでしょうか。

 よく、仕事で「7割も出きれていれば御の字だよ」と思えと指摘があると思いますが、実際7割の出来栄えですと

 「なんでこれしか出来ていないの」
 「もっとやれると思っていたよ」

 と思われますよね。

 実は僕もこう思う事があり自己反省をすることがありますが、これらの「恥」「出来損ない」という強迫観念が日本固有の形なのか、海外渡航経験のない僕にはわかりかねます。

 北海道コンサドーレ札幌に指揮官、ミハイロ・ペトロビッチは

 「選手にミスをする権利を与えている」
 「責任は私が取る」

 と語ります。

 彼が日本国内で手にしたトロフィーは、浦和レッドダイヤモンズ時代のヤマザキ・ルヴァンカップだけですが、広島でも札幌でも一貫した姿勢に変化はありません。

 僕も先ほど、父から

 「お前はこんなこともできないのか」

 とため息をつかれ、むしろ傷を受けたのは僕の方でもあるのですが、なるほど日本では個人もミスや失策は、周囲の人間の面子をつぶすと考えられているからこそ、失敗したくない、できないと感じられるのでしょう。

 1982年ワールドカップのブラジル対イタリア戦、自身の横パスをカットされて失点の起点となったトニーニョ・セレーゾは以後、泣きながらプレイしたと言われていますが、これはデマ、作り話になります。

 ワールドカップの大舞台でのミス、衆人環視の中で自分のプレイが批判される、それは選手にとって避けることはできませんが、それでもセレーゾが怯むことがなかった、これもまた事実です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファンの印象は簡単には覆らないでしょうが

2022-02-16 14:54:57 | 日記
 星野源は歌手、俳優、作家と様々な職業で秀でた顔を見せます。

 ただ新垣結衣と結婚を発表する際は「新垣結衣の夫」という印象が、それらの歩みを打ち消す可能性がある、その点を熟慮したうえでの結論だったとも感じます。

 それは木村拓哉がスマップ全盛期の中で結婚を表明した工藤静香にも言えるかもしれませんし、ファンの評判や印象は移り気であることも確かですが、一度ついた評判はなかなっ覆すことができません。
 
 僕が使用している英語検定準一級の教科書「旺文社 準一級7日間完成 予想問題ドリル」の5日目、リスニングテストにおいて、ミア・ハムが登場します。

 米国女子サッカーの枠を超え、世界規模でけん引し続けた彼女は、3度の五輪出場において金メダルを2個、銀メダルを1個獲得し、のちに財団を設立、スポーツの世界において若い女性たちが活躍する機会を与え続けています。

 そのミア・ハムの夫は、かつてボストン・レッドソックスの主軸であxた、ノマー・ガルシアパーラです。

 1990年代のレッドソックスは、ニューヨーク・ヤンキースの前に太刀打ちできず、ワールド・シリーズ出場には届かず、優勝は投手、カート・シリングを擁した2004年まで待つことになります。

 この夫婦が稀有だと思うのは

 「ガルシアパーラの妻であるミア・ハム」
 「ミア・ハムの夫であるガルシアパーラ」

 と印象が薄い、要約すれば結婚している今でも、各々の個性が打ち消されていないことでしょうか。

 サッカー日本代表選手たちも、妻が女優、モデルという形が増加傾向にありますが、それはある意味代表選手が花形職業であり、同時に花形の職業と知り合える機会が増加していることを意味します。

 その際、冷やかし半分で「あの人の妻、夫」といかかる声にいら立ちを感じないだろうか、この点はよく考慮すべきではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

例えその移籍が都落ちであっても

2022-02-16 11:35:26 | 日記
 セルティック・グラスゴーのGKはジョー・ハートがレギュラーです。

 過去、レンジャーズ・グラスゴーにはマイケル・ボールがレフト・フルバックとして移籍しましたが、イングランド代表経験者にとって、隣国スコットランドに移籍することは、嫌な言い方になりますが「都落ち」になるのでしょうか。

 1990年代、両クラブはまだ欧州で戦う戦力と補強費用があり、特にレンジャーズは

 ブライアン・ラウドルップ デンマーク代表
 ポール・ガスコイン イングランド代表

 が在籍しましたし、セルティックでは当然ですがヘンリク・ラーションがそうですね。

 ただ、どんな小規模なリーグでも、自分の居場所がある、戦力として役に立っていると選手が感じられるならば、それは意義あることですよ。

 例えばヴィッセル神戸。

 ボージャン・クルキッチとセルジ・サンペールにとって、アンドレス・イニエスタが在籍していることは、移籍を考慮するうえで本当に大きな要素だったと思います。

 ただ移籍してきて神戸の街並み、クラブの姿勢、AFCチャンピオンズ・リーグで優勝し、アジアで最も優れたクラブになるという野心。

 これらの要素が絡み合い

 自分も神戸というクラブの躍進を助けたい
 ヴィッセル神戸がJ1の競合と認知されるために全力を尽くす

 という信条が生まれている、そんな気がします。

 映画「7人の侍」は、農民が侍たちに腹いっぱい米の飯を食べる事を提案する一方、侍たちが自分たちが生きている証を取り戻す、だからこそ素晴らしい作品に仕上がっているのだと、ファン化喝采しました。

 どんな形でさえ、選手の心に張り合いがあることがうれしいですよね。

 今の日本企業は僕も含めて、やりたくない仕事に就く人間で賄われていることが多すぎると思いますし、その点は今後どうなってゆくでしょうか。

 サッカーでも企業でも「会社・クラブのため」という大義名分が、選手と従業員の心に満足感を与えるとは限りませんから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抗議方法を考える際、適切さはどうなのでしょうか

2022-02-16 11:21:20 | 日記
 2021年スーパーボウル覇者となったラスベガス・レイダーズ。

 恒例のハーフタイムショーにはケンドリック・ラマーとドクター・ドレが登場し、ファンを沸かせました。

 レイダーズのQBはマシュー・スタフォードという選手ですが、彼は2009年のドラフト1位でデトロイト・ライオンズから指名を受け、契約に合意し入団します。
 
 前年のデトロイト・ライオンズはあろうことか、近代、現代米国リーグでは見ることのなかった

 「勝利0000」
 「シーズン全敗で勝利無し」

 という、屈辱のシーズンを終えたところで、首脳陣はチーム再編成にはスタフォードの力は必須、と考えたんですね。

 GMのマット・ミレンはシーズン中から大きな避難を浴び、辞任しますがそれでもオーナーは彼の働きぶりは理にかなっていると考えたようで、編成や教科、報酬に関してファンとは異なる見解だったようです。

 ここで問いたいのが「ファンの姿勢」です。

 サッカーにおいてここまで低空飛行ならば

 1・監督はすぐに解雇され、後任人事に着手する
 2・ファンがフロントに成績低迷の事情説明を求める、座り込みで抗議をする
 3・選手バスをファンが襲う

 など荒っぽい、別の見解をすれば「無関係の人間を巻き込む」こと「当然」の事とします。

 バスを囲む、投石する、でもバスの運転手は成績に関して無関係でしょう、無関係の人間を恐怖におびえさせる方法など、あっていいわけないんですよ。

 でも居座るファンもそうですが、彼らは自分たちの行為が「適性」であると感じているのでしょうが、僕にはその心情がさっぱりわかりません。

 でもシーズンん全敗でもライオンズのファンが、ホームゲームで抗議のプラカードを掲げる、暴動が起きるなど聞いたことがありません。

 そこにはシーズン全敗でも来年の仕切り直しができる、降格という形がないためかもしれませんが、サッカーの姿勢とはまるで異なる姿に改めてすごさを感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする