mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

一日一生

2019年04月23日 | 本と雑誌
 <ロンドンのビッグベン>


 昨日、久しぶりにこのブログに記事を書いていましたら、70歳を迎えると、健康面ばかりではなく、人生の先が見えてくるのか?人の生き様が気になってきました。
 そうした中で、近所の本屋さんで気になっていた本を読んでいます。
 NHKの「あさイチ」で元厚生事務次官の村木厚子さんが紹介!「この本に救われました」という「一日一生」という本です。
 著者は、天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さんです。
 その第1章が「一日一生」となっていて、この章には、8つの題名のような言葉が書かれています。
 今日の記事は、その最初の言葉を紹介したいと思います。

 「一日が一生、と思って生きる」
 
 行に入ると、毎朝毎朝、草鞋を履いて出て行く。登りが10キロ。わりと平坦な道が10キロ、下りが10キロの道を毎日ぐるぐる歩く。そうして一日山を歩き通して帰ってくると、、草履がくたびれてボロボロになっている。翌日はまた、新しい草履を履いていかないといけない。
 それを毎日毎日、繰り返していたら、ある時、草履が自分に見えてきたんだ。
 草履はボロボロになっちゃった。もし自分が草履だったら、今日でおしまいなんだなあって。明日になるとまた新しい草履を履く。それは、また生まれ変わるみたいだなあって。一日が終わって、また生まれ変わる。草履も人間も同じなんじゃないかなって。
 山の中をトットコトットコ歩いてる時は、動きの世界。一日履いた草履を脱いで、お経を上げたり、横になったりしている時は、静かな世界だ。静かな世界が終わると、朝になり、また動きの世界が始まる。動と静というのは背中合わせ。動があるから靜があり、靜があるから動がある。
 人生で置き換えるなら、「動」というのは生きること。「靜」というのは死の世界。生まれるから死んで、死ぬからまた生まれる。
 今日の自分は草履を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。復習するわけだな。今日はなぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度と再び同じことは起こらないように努力しましょうって・・・・・。
 そしてまた、新しく蘇って出て行く。今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。
 一日が一生、だな。今日失敗したからって、へなへなすることはない。落ち込むこともない。明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。
 それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。
 今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。

 というものです。
 最初の方を読んでいますと「何じゃ!これは?」と思いましたが、副題のように「一日が一生と思って生きることが大切なんだ」と言いたいのだと思います。
 小生などは、一日一日を大切に生きていないのでは?と反省したものです。
 さて、この次のページですが、「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」になっています。
 そして次のページでは「仏さんは、人生を見通している」となり、続いて「足が疲れたなら、肩で歩けばいい」、「ありのままの自分としかった向き合い続ける」、「人からすごいと思われなくたっていいんだよ」、「「一日」を中心に生きる」、「人は毎日、新しい気持ちで出会える」となって第一章が終わります。

 小生のような凡人でも「なるほど!」と同感したり励まされる内容になっていると感じました。
 なお、この本の続編である「続一日一生」という本が並んでいましたので、あわせて購入しました。
 小生の独断と偏見で「これは面白い!」と感じましたら、またこのブログで紹介したいと思います。

 それでは、今日はこれで失礼いたします。
 巻頭写真は、2016年の5月に訪問したロンドンです。

パソコンで難しい漢字、読めない漢字を入力するワザ

2016年10月18日 | 本と雑誌
 今日は午前中、久しぶりにスポーツジムに行ってきました。
 最近、健康ブームの中で炭水化物ダイエットとともに運動の必要性が叫ばれているためでしょうか?ジムが混んでいるので、驚いてしまいます。
 小生の運動内容?歩行の機械で30分歩いて、ストレッチを20分程度する、というパターンです。

 さて、前から気にはなっていましたが、あまり読んでいなかった「たった3秒のパソコン仕事術(知的生き方文庫 中山真敬さん)」から「「難しい漢字」「読めない漢字」を簡単に入力するワザ」についてお伝えします。

 月曜日の19時からフジテレビで放映している「ネプチューン」をご存知でしょうか?
 我が家では、毎週に楽しんでいますが、芸能人を中心にクイズなどの答えを回答する番組で、クイズの中に林先生が作った漢字の読み書きなどがあり、回答者が悪戦苦闘しているのが我がことのようで、一緒に回答したりしています。

 この番組ではありませんが、普段、日記や手紙を書いていますと、漢字が書けない場合が多く、自身の勉強不足を痛感しています。
 でも、嘆いたり、後悔しても「遅い!」ですよね。仕方がないので、電子辞書や国語辞典にお世話になっていますが、パソコンンの場合はどう考えたらよいのでしょうか?

 その答えが先ほど申し上げた本に書いてありましたので、引用します。

 誰でも、「読めない漢字は」は意外にあるもの。たとえば、欠陥を表す「瑕疵(かし)」という言葉を、知ってはいるけれど読めない、といったケースだ。
 読めない言葉は、入力のしようがない」--そうあきらめていた方も多いだろう。
 しかし、これからご紹介するワザを使えば、そんな無理っぽいことも可能になるーーそんなすごいワザが「Ctrl」キー+「F10」だ。
 Ctrl」キー+「F10」を押し、表示されるメニューから、「IMEパッド」→手書きを選ぶ。
 ここで、マウスを左クリックしたまま動かして、字を描くのだ。描く字は下手くそでもかまわない。
 このワザを使えば、描いた字画に似た漢字の候補が、その右側にズラリと表示される。正しい漢字をクリックすれば、文書にその漢字が入力されるのだ。
 このワザで、「不可能を可能に変える快感を」を、ぜひ味わっていただきたい。

 なるほど!マウスで下手くそな字を描けばよい、というのは面白いし、大助かりですね。
 と言いましても、小生の場合は、漢字の入力で苦労した記憶はあまりない?というと、うそになりますが、頻度としては、海外旅行の旅行記に出てくる地名をカタカナで入力する場合にIMEパッドにお世話になることが多くなっています。
 「カタカナ」?と思われるかもしれませんが、「ウ」に濁点をつけた「ヴ」を入力する必要が度々あるのです。
 ところで、この本の作者の名前ですが、「まさたか」と読むそうです。

 今日は、パソコンで難しい漢字や読めない漢字を入力する方法についてお伝えしました。
 巻頭写真は、ゴッホの「アルルのはね橋」です。

般若心経の本(No.2)

2016年03月12日 | 本と雑誌
 久しぶりに天気が良いものですから、先ほど、我が家の庭を眺めていましたら、バラやブルーべりなどの芽が膨らんでいる様子が目に飛び込んできました。
 また、かみさんが育てているサクラソウなども花をつけて「こちらですよ!」と手招きしているようです。
 そこで、こういう素朴な草花の様子をカメラに収めたいとシャッターを切ってきました。

 さて、先日、お伝えした般若心経の話ですが、なぜ、小生がこの本(超訳 般若心経”すべて”の悩みが小さく見えてくる、境野 勝悟著 三笠書房)を気にいったのかといいますと、「1章の「こだわらない」-そして、自由になる」の「1 観 価値観のはかなさを注視せよ」の文章が頭に容易に入ってきたからです。
 その文章は、次のようです。

 ◎「正しいか」「正しくないか」にとらわれない 

 毎日、毎日、絶え間なく、さまざまなものを見て、きいて、学んで、頭の中の記憶の量が、いやというほど、増加する。うんざりするほど・・・・。
 大量の記憶の川に、ぐんぐん流されていくうちに、いつしか、自分本位の考え方や価値観がすっかり身について、誰もが、頑固に、それを守ろうとする。
 「オレは、これが正しいと思う。お前の考えは、絶対に間違っているぞ。」
 「冗談言わないでよ。あんたの考え方の方が、よっぽど狂っているわ」
 記憶力の強い人ほど、自分の考えを脇に押しやって、他人の意見を、受け入れることができない。よく考えると、自分の考えたことは、みな、世間や他人という外部からのなんらかの働きかけでできあがった、夢まぼろしである。単に、自分の記憶に残っているだけのもので、実体はない。みんな仮のものである。
 時に、人間が命がけで固執する考えや価値観のむなしさを注視せよ。そのはかなさを「観」破れ!たかが「正しい」「正しくない」という考え方が違っているだけで世間の悲惨な姿を、「観」破れ!

 というものですが、自分の職業人生や家庭生活を顧みながら素直に読んでみますと、「なるほどな!」とうなずけるものです。
 それだけ、人間は自分の考えや価値観にこだわらないと生きていけないのかもしれませんね。
 その代表的な例がキリスト教、イスラム教などの宗教にあるのではないか?、だから、世界各地で起こっているテロなどの紛争が収まらないではないかと思うのでが、この本の般若心経も仏教という宗教の教えでしたね。

 などと相変わらず小生は、おかしなこと言ってますが、この本は、人生の指針の一つとして読んでみても面白いものと感じました。

般若心経の本

2016年03月07日 | 本と雑誌
 我が家では毎年、近くの寺に初もうでに出かけていますが、祈願する際に般若心経をお坊さんといっしょに読み上げています。
 般若心経に何が書いてあるのか分かりませんが、お坊さんの声と太鼓の音に合わせて大きな声で般若心経の文字を読んでいますと、何だかほっとします。
 その時には「いつかは般若心経の本でも読んでみよう!」と思うのですが、しばらく時間が過ぎますとすっかり忘れてしまいます。
 ところが、先日、近所の本屋に行きましたら、般若心経のことを書いた本が目に留まったものですから、頭の片隅にあった「本を読みたい」という気持ちを思い出しました。
 その本は、「超訳 般若心経“すべて”の悩みが小さく見えてくる」というもので、三笠書房から出版されています。
 本をパラパラめくって軽く読んでみたのですが、「うん、これは分かりやすい!」と感じたのです。そして、文庫本ですから値段も571円(税別)とお安いのです。
 著者は境野勝悟(さかいの・かつのり)さんという方で、円覚寺龍隠庵会首をされているそうです。
 さて、この本の中身ですが、それは、最初のページの「はじめ」に言い表されていると感じましたので、その文章を引用します。

 たった二百六十二字に凝縮された”仏教の真髄”


 たくさんのお経を読まなくて、いい。
 般若心経が、よくわかれば、あったいう間に、仏教の真髄が、つかめる。
 幸いなことに、般若心経は、たった二百六十二文字。とても短い。
 が、ここに書かれている生きた知恵を、チョットひねり出し、うまく自分のものにすると、すごくつらい環境にありながらも、とても楽しい生き方に、ふと、目覚めることができる。


 ずーっと前から、観音さまや仏さまは、人以外の尊いお方だと、勘違いしていたが、実は、観音さまや仏さまは、人そのものであった。
 この真実を知ったとき、わたしは、胸が、ぎゅっと、ひきしまった。
 空海も白隠禅師も、「即身是仏」。
 つまり、わたしたち人間の身心の中に仏が存在している、と、般若心経は、声高らかに、ハッキリいい切っている。
 般若心経は、ごく普通の生活をしているわたしたちに、やさしく寄りそってくれる。座禅が組めなくてもいい。きびしい戒律を守れなくてもいい。あなたは、いまのあなたのままで、深く悟ることができる・・・・・と。
 まことに型破りな教えである。
 仏像に恋をする仏像ラブ。コケの庭を眺め、ひたすら打ちこむ写経。
 そんなムードから一歩踏みこんで、般若心経の意義を発見したら、まさに、鬼に金棒だ。


 というものですが、これを読んでどのように感じますか?
 般若心経の意義を発見したら、普通の生活をしている私たちにも仏が存在していることが気づく、ということでしょうか?


 そして、次のページに般若心経全文の現代語訳があり、あの呪文のような漢字の意味を解説しています。
 最初だけ、申し上げますと次のようです。


 仏説魔訶般若波羅蜜多心経


  観自在菩薩 行深般若波羅       
  蜜多時 照見五蘊皆空         
  度一切苦厄                
                         
 <現代語訳>                        
 あなたが、苦しみや悩みから解放されて、安らかで幸福な毎日を送りたいなら、般若心経にあるすごく簡単な修行をすれば、いい。だんだん修行が深まると、なぁんだ、頭の中に記憶された善と悪の考えは、もとは、一切なかったんだ、と頭の中をカッラと空っぽにすることができる。
 「五蘊は皆空」だ。頭に集まったゴチャゴチャの記憶を空にせよ・・・・・ということだ。

 となっています。
 ところで、小生がおもしろい!と感じたのは、この262文字の現代語訳の次に出てくる第1章から第6章の人生の教訓みたいな解説文です。
 例えば、第1章の「こだわらない」そして、自由になるの「1 観 価値観のはかなさを注視せよ」では、「◎「正しいか」「正しくないか」にとらわれない」という副題がついています。
 その中身は、最後に書いてある部分でしょうか?
 「時に、人間が命がけで固執する考えや価値観のむなしさを注視せよ。そのはかなさを「観」破れ!たかが「正しい」「正しくない」という考えが違っているだけで起こる世間の悲惨な姿を「観」破れ!
 小生なども自分の価値観に固執する方でしたから、「なるほどな!」と感心したものです。

 このように、この本は、小生にとっては、まことに面白い本だと思いました。

 今日の巻頭写真は、オランダのキューケンホフ公園です。


冊子EURASIA(ユーラシア旅行社)9月号の特集「壁画は語る」を読んで

2015年08月21日 | 本と雑誌
 昨日、そして、今日と2日間にわたって畑に行ってきました。
 畑には、ナスやキュウリ、ピーナッツなどを植えてあるのですが、これらの野菜がどこにあるのか?わからないくらい草が茂っていました。しばらく畑に行っていないものですから、作物がどうなっているのかや草の生え具合などがとても気にはなっていたのですが、暑さに耐えきれず?放っておいたのです。
 また、草に隠れた野菜ですが、キュウリは、巨大化してぶら下がっていて、ナスは雨が降らないことが原因でしょうか?艶のないものがいくつもぶら下がっていました。
 それにしても、涼しくなったとはいえ、除草作業は疲れます。昨日が2時間、今日が1時間ぐらいの作業でしたが、二人とも汗びっしょりの悪戦苦闘でした。
 毎年のことですから慣れている?そうですが、年を取ってきたためか厳しくなってきたように感じます。
 でも、この作業をしませんと、これから植え付ける白菜や大根、ラッキョウ、玉ねぎ、にんにくといった野菜を植えることができません。
 「野菜は買ったほうが安い?」とも思うのですが、無農薬のことを考えるともう少し自分で作ろうと考えてしまいます。

 さて、最近、川内原発が再稼働しましたが、地震や噴火といった大きな自然災害に十分対処できるのでしょうか?
 また、地球温暖化の影響でしょうか?大型の台風が発生したり、熱帯のような気候が続いたりするなど地球の環境が大きく変化しているように感じてしまいます。何しろ、小生が住んでいる関東地方でも甘いミカンがなるのですから驚きです。

 などというような不安な政治情勢や社会事象のことを考えていますと「海外旅行」どころではないはずですが、好きなものはやめられないものですね。
 ユーラシア旅行社から送られてきた冊子9月号に特集として「壁画は語る」がありました。
 その内容は、4つあり、一つ目が「ポンペイレッドの秘密(イタリア)」、二つ目が「モルドビアンブルーの壁画(ルーマニア)」、三つ目が「キジル千仏洞(中国)、4つ目が「岩絵からアートへ(オーストラリア)」となっています。
 このうち、小生が旅したところは一つ目と二つ目ですが、記事に登場する場所を訪れたのはルーマニアのスチェビツァ修道院でした。
 そこで、ルーマニアの修道院について記事にしたいところですが、西暦79年にベスビオ火山の噴火で町が火山灰に埋もれたポンペイの記事が気になってしまいました。

 ポンペイはナポリ近郊の町ですから、南イタリアへのツアー旅行では必ずと言ってもいいくらい訪問する場所で小生も「学校で勉強した町に自分が来ているんだ!」と感激したことを思い出します。
 でも、ユーラシアの記事にあった赤い壁画の場所「秘儀荘」は訪問しなったのです。なぜ、訪問しなったのか?わかりませんが、残念でなりません。
 ユーラシアの記事を読みますと、「この都市遺跡(ポンペイ)では、2013年から修復作業が開始され、今年3月に遺跡群の一つである秘儀荘の修復が完了した。」とありますので、小生が訪問した時には、見学できなかったということでしょうか?
 その秘儀荘ですが、「遺跡の外れにある邸宅で、ディオニソスの秘儀への入信様子を描いた壁画だ」ということです。そして「18世紀以降、ポンペイ遺跡の発掘が進み、この壁画存在が明らかになると、その保存状態の良さに世界中の人々が驚嘆した。」そうです。
 なぜ、保存状態が良かったのか?ですが、「隙間なく町を埋め尽くした火山灰には、乾燥剤に似た成分が含まれ湿気を吸収したため、鮮やかな色彩が保たれたという。今回の修復作業でも、絵画そのものはほとんど手が加えられていないという。」と説明しています。
 
 そして、その赤のすばらしさを次のように説明しています。
 「「西暦79年といえば日本の弥生時代、この時代の人々は、なんと素晴らしい色彩感覚を持っていたのだろう。」この壁画を目の前にした多くの人は、こう思うだろう。この壁画の背景に使用されている限りなく朱色に近い鮮やかな赤は、その美しさからポンペイレッドと呼ばれるようなった。」

 さらに、その赤の説明が続くのですが、省略します。

 小生がこうして秘儀荘のことを記事にしたのは、自分が見られなったという悔しやと、「時を超え、その赤は生み出された」という副題がついた写真があまりにも美しかったからです。

 今日の巻頭写真は、そのポンペイにします。